日 録

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 春休みにはいったこどもたちと、妻とともに、先週末を中心に、大阪の実家に行ってきた。
 こどもたちにおじいちゃん・おばあちゃん孝行をさせることが主目的なので、主目的は達したと思う。

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 26日は雨だったが、27日は晴れたので、こどもたちをつれて大阪万博記念公園に行ってきた。
 この場所にくるのは、1983年、高校1年のとき、おなじクラスの有志一同と遊びに来て以来、じつに34年ぶりだ。
 ごていねいに、当時、上の写真とまったくおなじ場所で、おなじ太陽の塔を背にしてとった記念写真ものこっている。
 それ以前にもたびたび来ていたので、記憶とふかくむずびついた場所だ。
 そんなところに、ながいときをへだてて、しかも自分のこどもたちとともにまた来ることになるとは、感無量だ。

 芝生の上を走りまわったり、(小学生の娘だけ)遊具であそぶところを見まもったり、家族4人でサイクルポートにのったりしたあと、« EXPO '70 パヴィリオン » と題された大阪万博全体を記念する資料館をみてきた。博覧会当時は « 鉄鋼館 » だったたてものだ。
 1970年の大阪万博には祖母につれていってもらったりしたらしいが、当時3歳だったわたしは万博そのものはまったく記憶がない。
 とはいえ、3年保育の幼稚園にかよった、その1年目の生活ははっきり記憶があるので、たいへん近い時期の世のなかの雰囲気はおぼえているのだろう、当時の写真や、当時使われた道具などの実物展示を、たいへんなつかしく感じた。

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 また、常設展のほか、« 建築の記憶 » と題された企画展もいまだけ開かれていて、こちらも見てきた。
 たんに高度成長時代だったというだけでなく、「科学技術がひらく明るい未来」が強く信憑されていた時代、という背景がはっきり感じられる。
 いまはどうだろう。過去になされた未来予測の多くは、否定的な面をすくなからずはらみながらも、実現してしまっているようだ(否定的ということのなかには、原発事故のような人災もふくまれる)。
 いまから未来を予測するならば、むしろディストピアっぽいことにしかならないのではないか。

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 いまはあとかたもなくなってしまったエキスポタワーにも、中学生のころにのぼったことがある。
 ここはエレヴェーターの「呼」ボタンを押すとかごの中でブザーがなって、オペレーターが呼ばれた階まで向かわせるという、1970年仕様だった...というつまらないことを記憶している。
 しかし、このエキスポタワーのカプセル状になった展望室が、当時構想された「未来の住居」のすがただったということは、今回展示をみてはじめて知った。

 大阪に帰るなら知らせるよう、おっしゃってくださったかたがたには申し訳ありませんが、今回はこどもたちの相手で手をとられることがわかっていたので、とくに連絡しませんでした。ご容赦のほど。