日 録

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 出かけるとちゅう、千代田線車輌なのに新宿行きという、非常にめずらしい運用の電車にのりあわせた。ダイヤみだれで、千代田線と小田急線との相互乗り入れをとりやめた結果、小田急線内にとりのこされた千代田線車輌がしかたなく新宿にむかった恰好だ。

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 筑波大学の交流協定校でもあるパリ第13大学の Aude Grezka さんの講演会があったので、4日まえに来たばかりの早稲田大学を再訪した。

早大戸山キャンパス

 春休み中の平日のせいか、わずか10人ほどの聴衆しかあつまらなかったが、かえって親密に質疑応答できてよかった(すべての参会者がなんらかの発言をできるほどだった)。
 14時から16時すぎまでが講演会で、おわったあと近隣でコーヒをのみ、17時から場所をうつして懇親会。懇親会にはわずか5人しかこなかったので、わたしも Grezka さんと直接いろいろな話ができた。
 今回の企画の主催者だった K さん(あ、そういえばこのブログに登場するほかのかたがたのように、コードネームをつけられないものか)は、かねてより Grezka さんと個人的にも親しく、懇親会がおわったあと、さようならをいうときも、なみだを流して抱きあっておられ、学的交流と個人的な友情がふたつながら成りたっている、うつくしい例であるように思った。
 かくいうわたしも、K さんにはいくらか肩入れしているつもりなので、学的な活動の根柢には、なにほどか情的な次元が存在することはめずらしくないのではないかと思う。「理論」をつかさどる次元に、「感性」があるのではないかと、これは以前、わたしがジョルジュ・パラントの著作にことよせて肯定したことでもある:
 http://www.ne.jp/asahi/watanabe/junya/palante/antinomies.htm
 そうであるだけに、感性的次元から学的次元にいたるまで、堅固な信頼、協力関係をきずいておられる K さんと Grezka さんに敬意をいだかずにはいられない。
 だいたい、ニンゲンどうしで、いがみあっている場合もすくなくないのだから、「協力できる」ということだけでも、すばらしいことだと思う。
 ギリシアの劇作家メナンドロスのことばに、"Deus est mortali juvare mortalem" (ひとがひとを助けることは、神だ) というのがある。つまり、「神」は、「協力」という行為のなかにこそ存するのだ。近年のはやりことばでいう、「神対応」というものに接続したくなる。これをいうときだけは、ふざけているのではない。メナンドロスのことばも、「神対応」も、本質はおなじだと思う。