日 録

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 くもりのち雨。きのう自宅の庭木を剪定したせいで、筋肉痛だ。のこぎりで太い枝を引くとき全身を使うので、太ももがいちばん痛い。

 9時すぎに家を出て、地下鉄東西線の竹橋へ。一ッ橋をわたり、そのむこうにみえる « 如水会館 » へ。
 ここは国立にうつるまえに一橋大学のあったところだ(といっても移転は戦後ではなく、関東大震災のあとの1927年と古い)。
 一ッ橋は川の上を高速道路がふさいでおり、まったく風情はないが、通りかかったときは白いカモがおよいでいた。

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 「「老人はおしゃべり屋で言葉だけの哲学者だ。老人は自分の経験を弱々しく冗漫で不明瞭な説教口調で語るため、つい〈常套句〉だけになってしまう」(『ヘルダー旅日記』)
 これは、いま老人と呼ぶのに不足はない年齢に達したぼく自身が、老人学者に投げつけたいことばだ。モデルはいくらでもいる。ぼくは老人であることは、自分ではわからないが、これら身のまわりのモデルを通して、自分を鏡に映したかのように、そうだとわかる。それにもかかわらず、こんな自伝を書こうとするのはどういうわけだろう。それは、いまのように老け込んでしまった社会、若いままに老いてしまった人たちの目にうつるであろう、ぼくの自己弁明のためである」((『田中克彦自伝 あの時代、あの人びと』p.7)

 田中克彦先生の自伝出版記念講演会ならびに懇親会に出席。
 わたしは田中克彦先生の著作は80年代後半から90年代にかけて集中的に読み、絶大な影響をうけた。

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 自宅ですぐに見つかるかぎりの書物をならべてみた。
 とくに『国家語をこえて』はわたしのいちばん好きな1冊で、EU の統合がすすんで国家レヴェルの言語が相対化されてきている現在、ますます光彩を放つ著作だろう。

 [後日追記] だいじな本がまだあることを忘れていた。下の写真のものも手もとににあった。この『モンゴル:民族と自由』のなかにある、「モンゴル文字のよみがえり」もおもしろい。

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 追記おわり。

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 11時にはじまった講演第1部は、自伝(一部、伝記や日記)そのものを主題化し、戦前の軍神廣瀬中佐にはじまり、戦後からお読みになったというマリー・キュリー、ソーニャ(ソフィヤ)・コヴァレフスカヤ、マリー・バシキルツェワの日記、アウグスティヌス、大杉栄、荒畑寒村、片山潜、クロポトキン、ルソー、ゲーテ、シュヴァイツェルらの自伝、伝記についての話で、わたしにとっては新情報が多かった。
 たとえば、「フランコフォニー」(francophonie) の名づけの親として知られるルクリュが、アナーキズム、そして地理学というふたつの共通項を介して、クロポトキンとまじわりがあったことなど。
 また、Kindlers Leteratur Lexicon が、狭義の文学のみならず、ふだんは話題にもならないモンゴルの文献にひろく言及していたことを例とし、関連することはひろく研究する姿勢を範とするお考えをのべておられたが、この考えかたは、ともすると拡散的にすぎるといわれそうな研究をしているわたしにとっては、勇気づけられるようなものだった。
 講演第1部がおわったあと、田中克彦先生の息子さんにあたる田中ひかるさんが登壇され、1871年のコミューヌ・ド・パリ(フランス語ではたんに La Commune という)のさなかに作詞作曲された L'internationale の解題。ひかるさんは作詞者・作曲者のフランス語の名まえを読みあげるとき、壇上から「フランス語のよみかたはこれでよいでしょうか、わたなべじゅんやさん?」とわたしに確認してくださった。
 ひかるさんとは2005年にわたしがジョルジュ・パラントの訳書を出したころから交流があり、最近では大杉栄全集のフランス語関係の解題に協力したご縁で、同全集月報にも書かせていただいた。しかし、父上がどなたかはきょうまで知らなかった(じつは、わたしにとってはこのことがきょうはいちばん衝撃的だった)。
 L'internationale を会場で大合唱。ニホン語でも、フランス語でも、ドイツ語でも、ロシア語でも、すきな言語でうたってよいということで、田中ひかるさんに招かれて前にでていっしょに歌ってしまった。
 その後、田中克彦先生が親しんでおられ、L'internationale の伴奏もしてくださった新宿のうたごえ喫茶、« ともしび » のかたがたを中心として4曲ほどの演奏をきき、一部はいっしょに歌う。
 講演第2部は今回の出版に関する話で、複数の他社に原稿をもちこんでもうまくいかなかったが、平凡社で出版できたことがよろこばしい、続篇もあるかも、とのことだった。くわしい裏事情も話しておられたが、会社名、個人名など固有名詞が多く、ここには書けない。
 13時から懇親会。乾杯の発声はスペイン語学の原誠先生。
 もとゼミナリストのかたがたによって構成される主催者がわに、わたしをおさそいくださったおふたりのほか、非常勤先でごいっしょしている先生もおられたことにおどろいた。また、学会などで交流のあるかたがたとも話すことができた。
 田中ひかるさんと話し、『チョムスキー』のあとがきに、「チョムスキーの年譜がはなばなしいできごとにかざられておらず、簡素であることに、むしろ私は好感をいだく」(同時代ライブラリー版 p.219)と書いておられる田中克彦先生が自伝を出すのはちょっと矛盾しているのではないですか、と冗談を申し上げたところ、「そんな指摘をしても、『人間は矛盾に満ちたものだ』といわれて終わりですね」と笑っておられた。
 ユーリッヒ・リンス氏、木村護郎クリストフ氏をはじめ、名の知られたエスペランティストのかたも多く来ておられた。
 最後のあいさつで、田中克彦先生が、「この会場は(一橋大学関係の施設なので)石原慎太郎が都知事になったときに祝賀会が開催された『いやらしい』場所です。このような催しをひらくことができ、お清めになったと思います」と発言され、拍手喝采のうちに15時30分ころ終了。

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