日 録

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 きょう、最終日になってようやく、中学生の息子とふたりで、町田市民文学館でひらかれている « 八木重吉展 » を見にいってきた。
 はじまったころ(10月)からずっと行きたかったけれど、時間がつくれなかった。

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 八木重吉は町田出身の夭逝した詩人で、わたしは大学生のころに知り、それ以来ずっと好きだ。
 いま、手もとにある詩集をみると、1990年1月12日、土浦の白石書店で購入したものだった。

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 たとえば、

 夕ぐれ
 夏のしげみを ゆくひとこそ
 しづかなる しげみの
 はるかなる奥に フヱアリの 国をかんずる

 といった詩が有名だろうか。
 こどもたちは、NHKの番組 « にほんごであそぼ » で、うなりやベベンが詠唱する、つぎのような重吉の詩をそらんじていた(そういえば、うなりやベベンもちょうど1年まえに亡くなった)。

 こころよ
 では いつておいで

 しかし
 また もどつておいでね

 展覧会は、重吉の詩稿、書簡、写真、そして(じつは知らなかったが)絵画作品が展示されており、はじめてみるものも多かった。

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 重吉の筆跡の繊細さにも好感をもった。

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 重吉の詩はときに繊弱すぎると思われる (cf. http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-266.html ) が、この繊弱さは、かぎりないやさしさと別のことではない。
 また、現実に存在する「フヱアリの 国」ともういべき、多摩丘陵のやさしい自然のなかでこそ、つむぎ出すことのできた詩だという気がする。
 わたしは前任校勤務時代に相模原市から町田市に引っ越し、もう13年が経ったが、ときおりわたし自身もあるきまわっている、町田をとりまいている多摩丘陵の山々は、ほんとうに「やさしい自然」だと感じる。
 どれほど山奥に行っても遭難するような場所ではなく、ただただ、なだらかにうねっているだけだ。
 津波がおそって来る海からも、水害をひきおこす大河からも、土石流が起きる大きな山からも遠い、箱庭のような自然のなかでこそ、八木重吉のような純粋な精神がはぐくまれたのではなかろうか。

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