日 録

まえの記事 つぎの記事
 晴れて、とても暑くなる。東京の最高気温は30.2度。
 自宅のムラサキカタバミはますます多く、よく咲いている。

P5265700

P5265701

 * * * * *

 午前中、学内で健康診断をうける。血液検査をまつ長蛇の列にならぶとき、同僚の先生とあい、「ことしもいやな季節になりましたね」とことばをかわす。
 去年、最高血圧が 141mmHg と基準を 1mmHg だけ上回ってしまい、後日眼底検査をうけさせられた(その結果は異常なかった)が、ことしは 122mmHg と、正常値内にもどっていた。
 しかし、去年の「高血圧」は会議用のテーブルに血圧計を置いてあって、ふつうの血圧計より異常に位置が高かったので、不自然な姿勢をとらされ、その結果人工的につくだされた値だったのではないかとうたがっている。じっさい、べつのところで測ったときは、そこまで高い値は見たことがなかった。ことしは低いテーブルを使ってくれていたので、去年ほど無理な姿勢をとらずにすんだのがよかったのだろう。
 その他、体重、胴囲などはメタボリック症候群の領域に達しているものの、それだけではメタボとはきまらず、血液検査などの結果をまたなければならない。ちなみに、体重、胴囲とも去年よりは減少した。
 去年、体重、胴囲などの指標と、血圧とのいわば「あわせ技」でメタボ認定されてしまったが、ことしは血圧もさがったことだし、メタボ認定されませんように(もっとも、薄氷をふんでいることには変わりないが)。

 * * * * *

 筑波大学では、3年計画で進んでいる人文社会学系棟耐震工事の最終年度が今年度で、いよいよわたしの研究室も、来月なかばからはいったん立ちのかなければならなくなった。
 いらないものをすでにかなり捨て、荷づくり用のダンボールをもらってきたので、研究室は様相がかわっている。
 しかし、耐震工事と同時に内装もしなおすので、工事後にもどってくるときは、もっとドラスティックに変わる予定だ。
 それなので、いまのうちに40年ものの研究室の旧態を写真におさめておこうと思い、以下のような写真をとった。

P5275702

P5275705

P5275706

P5275708

 写真なんてとっていないで、引っ越しの実質的作業をしろよ、といわれそうだが。

 * * * * *

 4月に最後の免除職在職届兼特別免除願を送りかえしていた旧日本育英会奨学金が、たしかに全額返済免除されたという通知が、日本学生支援機構からとどいた。

P5275720

 ことしの3月までで、専任教員としての勤続年数が15年に達したことで、全額免除の基準をみたすにいたり、大学院在籍5年間のあいだの奨学金(といっても、ありていは借金だが)の債務が消滅したことになった。
 しかし、「返済免除」というお役所的なことばでは気分が出ない。庶民的な感覚では、「お礼奉公の年季明け」といったところだ。ある種の通過儀礼のように、ひとつの節目をむかえたという気がする。
 奨学金を借りおわった1997年春、借用証を書かされたときに、保証人になってもらった父と岳父に、この借金が棒引きされたことを報告する手紙を書き、送りだした。

 じつは、この話題をもちだすのは微妙なところがある。
 旧育英会がみとめる範囲の専任の研究職・教育職がいわゆる「免除職」であるが、大学院を出てもなかなか専任教員になれないひともいるし、なれたとしても返済猶予が可能な期間をこえてからでは全額返済免除のレールにのることができない。ここで晴れ晴れと「全額免除」などといっていては、そうした違いに関して無神経な発言ということになりかねない。
 しかし、免除職かどうかという分断をこえて、本当の問題として問うべきことは、そもそも貸与型ではなく給付型の奨学金がないのがおかしい、ということだ。
 OECD諸国で、大学の学費が無料化されていなくて、かつ給付型の公的奨学金もない、というふたつの悪条件をかねそなえるのは、ニホンだけだ。
 あまつさえ、旧日本育英会が独立行政法人化され、日本学生支援機構になったことにより、条件はいっそうわるくなった。
 かつての日本育英会は、まがりなりにも就学期の若者を経済的にたすけ、かつ教職について次世代を支援する立場になることを奨励する制度でもあったが、日本学生支援機構にころもがえしたことで、ずいぶん性質が変わった。
 まず「免除職」という一般的規定がなくなり、返済免除が、学会での受賞歴があるなど、とくにすぐれた業績をあげたものに対する表彰的な意味合いを帯びることとなった。このことの理由づけは、「学修へのインセンティヴ」ということだが、そのうらで、圧倒的多数の奨学生にとっては、奨学金が「純然たる借金」となり、卒業(修了)後、確実に負担としてのしかかってくると感じられるようになった。
 もちろん、以前もあくまでも「貸与」だったので、「借金」にはちがいなかったが、それをとりまく条件がまったくちがっていた。じっさい、いまでは「純然たる借金」の本質をむきだしにするかのように、ワーキングプアーにあえぐ返済滞納者からの債権も容赦なく回収会社にまわし、個人信用情報のブラックリストに登録する。延滞金は年10%とあって、もはや「官製学生ローン」というほかない。おおよそ、若い世代を助けようとしているようには見えないのだが、どうだろうか。
 そのようなことから、いまでは、大学院生でも、日本学生支援機構の奨学金に危険を感じ、申請を避けるひとが格段に多くなった。それが賢明だと思う。ただでさえ先行き不透明なのに、官製学生ローンを借りてしまったら、不透明性にレヴァレッジをかけるようなものだから。

 * * * * *

[後日追記] 育英会奨学金の免除にいたる15年を思うと、島崎藤村『破戒』のつぎのようなくだりを思い出す。
 ある日の午後、丑松は二通の手紙を受取つた。二通ともに飯山から。一通は友人の銀之助。例の筆まめ、相変らず長々しく、丁度談話をするやうな調子で、さまざま慰藉を書き籠め、さて飯山の消息には、校長の噂やら、文平の悪口やら、『僕も不幸にして郡視学を叔父に持たなかつた』とかなんとか言ひたい放題なことを書き散らし、普通教育者の身を恨み罵り、到底今日の教育界は心ある青年の踏み留まるべきところでは無いと奮慨してよこした。長野の師範校に居る博物科の講師の周旋で、いよいよ農科大学の助手として行くことに確定したから、いづれ遠からず植物研究に身を委だねることが出来るであらう――まあ、喜んで呉れ、といふ意味を書いてよこした。
 功名を慕ふ情熱は、斯の友人の手紙を見ると同時に、烈しく丑松の心を刺激した。一体、丑松が師範校へ入学したのは、多くの他の学友と同じやうに、衣食の途を得る為で――それは小学教師を志願するやうなものは、誰しも似た境遇に居るのであるから――とはいふものの、丑松も無論今の位置に満足しては居なかつた。しかし、銀之助のやうな場合は特別として、高等師範へでも行くより外に、小学教師の進んで出る途は無い。さも無ければ、長い長い十年の奉公。其義務年限の間、束縛されて働いて居なければならない。だから丑松も高等師範へ――といふことは卒業の当時考へないでも無い。志願さへすれば最早に選抜されて居たらう。そこがそれ穢多の悲しさには、妙にそちらの方には気が進まなかつたのである。丑松に言はせると、たとへ高等師範を卒業して、中学か師範校かの教員に成つたとしたところで、もしも蓮太郎のやうな目に逢つたら奈何する。何処まで行つても安心が出来ない。それよりは飯山あたりの田舎に隠れて、じつと辛抱して、義務年限の終りを待たう。其間に勉強して他の方面へ出る下地を作らう。素性が素性なら、友達なんぞに置いて行かれる積りは毛頭無いのだ。斯う嘆息して、丑松は深く銀之助の身の上を羨んだ。
(『破戒』11章3節、新潮文庫87刷160ページ。いわゆる差別表現が見られるが、資料として原文のまま引用した)
 ここにみられるように、かつて、師範学校はどちらかというと貧しい家庭の子弟がかようところだった。そして、学費を無料にしてもらうかわりに、卒業後10年間教員として勤務するという制度があった(上記でいう「長い長い十年の奉公」)。思うに、育英会奨学金の「免除職」の規定もこのあたりの制度をうけつぐかたちで出てきたのではないか。『破戒』が書かれた(10年きざみでいう)1900年代は、ニホンのいろいろな制度の形がきまった時期でもある。
 1900年代、そして「師範学校」ということばで、どうしても想起するのは、夏目漱石の『坊っちゃん』にみられる、中学校生徒と師範学校生徒の « 抗争 » であろう。
 中学と師範とはどこの県下でも犬と猿のように仲がわるいそうだ。なぜだかわからないが、まるで気風が合わない。何かあると喧嘩をする。大方狭い田舎で退屈だから、暇潰しにやる仕事なんだろう。おれは喧嘩は好きな方だから、衝突と聞いて、面白半分に馳出して行った。すると前の方にいる連中は、しきりに何だ地方税の癖に、引き込めと、怒鳴ってる。後ろからは押せ押せと大きな声を出す。おれは邪魔になる生徒の間をくぐり抜けて、曲がり角へもう少しで出ようとした時に、前へ! と云う高く鋭い号令が聞こえたと思ったら師範学校の方は粛粛として行進を始めた。先を争った衝突は、折合がついたには相違ないが、つまり中学校が一歩を譲ったのである。(『坊っちゃん』第10章)
 ここでは、中学と師範がなぜ「仲がわるい」かは「わからない」としているが、ここでもえらくいばりちらしているし、だいたいにおいて師範のほうががらが悪かったのではないかと想像する。育英会奨学金の免除職についたわたしも、その意味で、がらの悪い側に属しているのではあるが(笑)。

 * * * * *

 日本フランス語フランス文学会の学会誌『フランス語フランス文学研究』第107号にわたしの論文が掲載されることが確定し、査読者からのコメントが送られてきた。
 そのコメントに、ティレをハイフン(トレデュニオン)2つで表記するのが悪いという趣旨のことが書かれていた。
 しかし執筆要項(5B)では、下記のように、ティレであることを明示するためにトレデュニオンを2つ書くことが奨められている。
 
ティレ(─)は、トレデュニオン(‐)と違うことをはっきりさせる(例えばトレデュニオンを2つ打つなど)。
On fera attention à bien marquer la différence entre tiret et trait d'union, par exemple en inscrivant le second deux fois.

 この学会は査読者が執筆要項を読まずに矛盾した要求を出す、白痴的な「学会」であるということを理解した。こんなふざけた仕事をする学会と、今後、良好な関係を維持したいとはまったく思わない。この学会での発表も投稿も今回で最後にするつもりだ。

 * * * * *

 きょうはなにやら、ボヤキが多い記事になってしまった。いや、いつもこんなものか?