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2007年7月、チュニジア出張報告

(1) Hôtel Ibn Khaldoun

 以下、2007年7月17日から31日にかけて (ただし、最後にふれるように、帰国は結局8月1日にのびました) の、チュニジア出張の報告をします。
 チュニジアには昨年12月に学会発表のため初めて行ってきました。そのときの報告はこのブログの2006年12月の記事をごらんください。
 昨年おとずれたときに、チュニジアをいっぺんに好きになり、こんどの出張の話も、どちらかというと嬉々としてひきうけた次第です。ほぼゼロから準備しないといけないので、たいへんだということにはあとで気づくことになりますが、そんなのはご愛嬌です。
 今回は長丁場の夏季講座への出講ということだったので、まちなかに出たり、チュニス以外に出かけたりしたのは、週末など、しごとのあいまをぬって少ししかできませんでしたが、はじめてゆくところもまだまだ多かったので、紹介してゆきます。

 はじめにご紹介するのは、今回滞在したホテル。中世の歴史家イブン・ハルドゥーンの名を冠したHôtel Ibn Khaldoun です。12階だてで、外観はつぎの写真のようです。




 室内はひろびろとしています。




 窓からのながめです。ホテルはチュニス市街の北のほうにあたるラファイエット地区にあり、窓は南にむいているので、チュニスの中心街をのぞむ方向です。







(2) Lablabi

 チュニス北郊のしゃれた店にラブラビ Lablabi をたべにつれていってもらいまいした。
 ほんらいは pain perdu とおなじく、かたくなったパンを再利用するまずしい料理でしたが、最近わかいひとのあいだではちょっとたのしいB級グルメとしてはやっているそうです。




 ラブラビのつくりかた。まず両手の手のひらにのるくらいのバゲットをこまかくちぎってボールに入れます。




 そしてカウンターにゆくと、ずんどうで煮出した牛骨のスープをかけて、ターメリック、ハリッサ、まぐろのそぼろ、オリーヴ、野菜、ひよこ豆、半熟たまごなどをのせてくれます。なんとなくニホンのラーメンを想像します。




 そのあと、全部をよく混ぜて食べます。見かけ以上におなかがふくれて、いっしょにいったわかいチュニジア人学生のかたがたもふくめて、完食できたひとはいませんでした。






(3) ミントティーに、なまのアーモンドを






 食後はさわやかなミントティー。なまのアーモンドをお茶に入れたり、別に食べたりします。なまのアーモンドは白くてやわらかく、香りもやさしくておいしいです。


(4) スィーディ・ブー・サイード Sidi Bou Saïd










 白い壁、独特の青いとびらやよろい戸のたてものが、アンダルシーアやギリシアをおもわせるうつくしいまち、スィーディ・ブー・サイード Sidi Bou Saïd に、夕刻からでかけました(昼間、とくに午後は40度の炎暑なので、夏場はひとびとは夕刻からでかける習慣があります)。
 つぎの写真は、Café des Nuttes です。世界一ふるいカフェ、というふれこみですが、世界一ふるいカフェはパリの Procôpe だったのではないでしょうか。まさか、じつは各国に自称「世界一ふるいカフェ」があるとか(笑)。




 Café des Nuttesは撮影するだけにして(笑)、べつのカフェ、 Café des délices にゆきます。ここは地中海を一望する斜面にできていて、すばらしいながめをたのしみながらお茶をのむことができます。






(5) ビゼルト Bizerte と「犬の島」Ile des Chiens

 はじめの週末、チュニジア北端に近いみなとまち、ビゼルトにでかけました。






 ヨットハーバー Port de plaisance から、船をチャーターして出港です。










 洋上にでると、40度の炎暑がつづく陸地より、ずっとすずしいのがありがたいです。
 地中海を航海すること1時間半で、「犬の島」Ile des Chiens につきます。
 さっそく地中海にとびこみ、およぎまわります。








 すんだ水に海ぶどうやうにが見えていて、すぐたべられます。




 昼食にいか、いわしやぼらを炭焼きにしてたべました。とてもおいしい。




 かえりは地中海にしずむ夕陽をみました。




(6) メディナに買い物

 チュニスの旧市街(メディナ)に買い物にゆきました。
 はじめの4まいの写真は、メディナの入り口につながる、ハビブ・ブルギバ大通り。










 メディナの入り口近くにある、キリスト教のカテドラル。ヨーロッパのキリスト教圏とちがって、他を圧するたてものではありません。




 ブハール門Bab Bhar。もともとはメディナをとりまく城壁にあけられた門でしたが、いまは城壁はとりこわされ、門だけがのこっています。




 以下はメディナのなかです。いろいろ買い物をしてきました。








(7) Circolo italiano
 夏季講座さいごの夜、イタリア料理屋≪Circolo italiano≫に行ってきました。「会員制」と書かれた入り口はひとの手びきがなければ入りづらいです。ピザやパスタをたべながら、ビールをのみます。ピザにはベーコンがのっていますが、ムスリムのみなさん、だいじょうぶでしょうか。よけてたべているひともいました。





(8) カルタゴの海辺のレストラン







 カルタゴのアミルカル地区 Carthage Amilcar にあるレストラン、L'Amphitrite につれて行ってもらいました。
 海水浴場に面してもうけられたテラスにあります。
 いかの網焼き、フリット、ムール貝などをたべて、ビールをのんで、しあわせです。


(9) チュニスのメトロ

 チュニスにはメトロとよばれる電車がはしっています。精確には軽便メトロ métro léger で、地上を走る電車です。
 かんがえてみれば、メトロはmétropolitain の謂いですから、地下鉄である必然性はないですね。

 路線は5つあり、市街地では各路線がおりかさなっていて、郊外にむけては放射状にひろがっています。
 3輌連結の列車がつねに2編成あわせられ、6輌ではしっています。
 路面電車といっても専用軌道で、きっぷうりばできっぷを買い、大きな駅では改札をとおって、小さな駅ではそのまま乗ります。








 つぎの写真はレピュブリック République 駅です。ここはチュニスのメトロではもっとも大きな駅で、プラットフォームにゆくには地下道をくぐらなければいけません。









(10) チュニス駅 Gare de Tunis とチュニス・マリーヌ駅 Station Tunis Marine

 ちかくまでくるついでがあったので、国鉄のチュニス駅 Gare de Tunis をみにゆきました。
 1まいめが正面の写真、2まいめが長距離線のプラットフォーム、3まいめが近郊線のプラットフォームです。








 べつの駅、カルタゴ方面に行く近距離線、TGM の始発駅であるチュニス・マリーヌ駅 Station Tunis Marine にもゆきました。




 ちなみに、TGM ってなんの略だとおもいますか。TGV に語形がにているから、つい、Train... ? などと考えがちですが、じつは単純に Tunis - Goulette - Marsa と、都市の名まえをつないだだけ (笑)。

(11) カルタゴの大モスク

 前回チュニジアをおとずれたときは、学会会場スースを起点に中南部をまわってきたので、北部はチュニスにしかきていなかったのですが、今回ははじめてカルタゴにゆくことができ、感涙でした。
 まずはカルタゴの大モスク。2003年竣工で、まだガイドブックなどにはのっていません。床や壁はほとんど大理石という贅沢なつくりの、まあたらしいモスクですが、それでいて完全に伝統的な様式にのっとっていて、カイルアンの大モスクに匹敵するでしょう。


















(12) カルタゴのアクロポリウム





 カルタゴのアクロポリウム L'Acropolium です。
 かつてはサン・ルイ大聖堂でしたが、数年前、ヴァッティカーノから使者をよび、「脱聖化 désanctisation」の儀式をおこないました。
 それ以降は教会ではなくなり、もっぱら演奏会などの文化施設としてつかわれています(この点もまた、某ガイドブックはまちがっています。脱聖化については、ここでくばられている資料にも書かれていました)。
 十字架やパイプオルガンもとりはずされ、がらんとしています。

(13) カルタゴのローマ劇場







 カルタゴのローマ劇場 Théâtre romain です。
 5000人を収容する屋外劇場として、こんにちも現役です。
 カルタゴ・フェスティヴァルの期間中で、夜におこなわれるコンサートのリハーサルがおこなわれていました。

(14) カルタゴのアントニヌス浴場











 カルタゴのアントニヌス浴場 Thermes d'Antonin です。
 まことに広大で、「これが全部浴場?」という月並みな感想が出ます。
 地中海をみおろす高みにあり、たいへん爽快です。

(15) カルタゴのローマ人の住宅







 カルタゴのローマ人の住宅 Villas romaines です。
 海をのぞむ丘に、ひな段状に宅地の区画がならんでいて、ニホンの宅地造成をおもわせます。こういう技術はあまり変わっていないのでしょうね。


(16) カルタゴのポエニ人の港 Ports puniques







 カルタゴのまちなかをあちらこちらと経めぐって、最後にいたりついたところは、カルタゴのポエニ人の港 Ports puniques です (ちなみに、「ポイーニクス Φοινιξ」、「フェニックス Phenix」、「フェニキア Phoenicia」、「ポエニ Poeni」、「ピュニック Punique」はすべて同語源です。古代カルタゴ人すなわちポエニ人とは、フェニキア人の末裔であるといわれています)。
 古代カルタゴ滅亡のあとに建設されたいつくものローマ遺跡より、地形的な名残り以外はなにものこっていないこの港が、じつはわたしにとってはいちばんおとずれたいところでした。
 ローマと3度にわたるポエニ戦争をたたかった、古代カルタゴの軍港と商港がここにありました。軍港はまるいかたちをしていて、商港は四角で、ふたつがつながっていました。
 軍港は奥にあり、防衛の体制をとるときには商港との境を鎖でとざしたそうです。
 軍港のまんなかには軍港全体と相似な円形をした司令島があり、まわりにむかって船をだせるようになっていました。
 かつての司令島にたって、まわりを撮影してみました。いまは静かな池 (しかし水は海水) のようなところで、つりをしているひとがすこしいるくらいです。
 また、かつての司令島にも、屋外に炎天をかこって番をしているおじさんが2~3人いるだけです。

 しかし、この島に、かつての軍港施設を再建して、本格的な観光スポットにしようとする工事がはじまったそうです。
 そんなふうにならないうちにきて、「つはものどもが夢の跡」といった光景をみることができて、本当によかったとおもいます。

 それにしても、カルタゴの滅亡は、「無常」をキーワードとして、それを介してであれば悲劇をこのむという、ニホン人の感性につよくひびくものがあるのではないでしょうか。
 文庫本でカルタゴものが多いのもそのような理由からかもしれません。
 もっとも、某作家の、カルタゴのありかたをニホンにかさね、かつカルタゴの滅亡を現代ニホンへの警告であるという論はイカガナモノカとおもいますが。


(17) 炎暑

 ここからはこまごまとした拾遺篇です。

 夏のチュニジアの最大の特徴は、なんといっても40度をうわまわる炎暑です。
 チュニスは地中海性気候ですから、夏はまったくといっていいほど雨がふらず、乾燥した晴天がつづき、さえぎるものがない太陽が容赦なくてりつけます。
 よけいなことですが、ヴァレリーのいう地中海的な明晰さが、こうした風土に根ざしていることはまちがいないでしょう。





 1まいめの写真はテレヴィの天気予報にうつしだされた7月21日の予想気温、チュニスは42度。2まいめの写真は24日の予想気温、チュニスは45度 (両日とも予想どおりになりました)。
 午後は閉居して昼寝が地元のやりかたです。たまたま必要があって昼間に外に出ると、やはりひとどおりが少ないです。
 じっさいにこの時間に外をあるいてみた感覚は、さながら「サウナの中」という感じです (湿度はひくいので、なおさらです)。
 帽子や服でつよい日ざしをふせいでも、ふせぎようのない目に暑さがしみてきます。




(18) Carla Bruni

 チュニジアのテレヴィのはなしは去年の12月にも報告しましたが、こんかいはテレヴィをみるどころか、テレヴィに出るというおもしろい経験をしました。
 チュニスのイブン・ラシック文化会館 Maison de culture Ibn Rachik で開催されていたチュニジア南部の生活を紹介する写真展があり、7月19日の夕刻にみにいったのですが、そのときチュニジア最大の放送局Tunis7 が取材に来ており、わたしが (テレヴィ局としては、チュニスでは東洋人はめずらしいから、とりあえず映しだしておこう、という感じではないでしょうか)インタヴューされ、ニュースで放映されたそうです。
 「されたそうです」というのは、予定の日より遅い放映だったことと、仕事中だったために、わたし自身は見ていないからです。この展覧会の主催者のかたから、かなりくわしく報道されたむねを事後にうかがいました。

 さて、チュニジアでは1~6チャンネルはフランスとほぼ同じです(このあたりやや植民地的)。
 で、チュニジアにきたついでにフランスの情報も収集するべく、France 2 をみたり TV5をみたりするのですが、いろいろ発見があります。
 歌番組の TARATATA で Carla Bruni をみました。




 Carla Bruni は You Tube でブラッサンスのカヴァーをみてから興味があり、そこからいだいていた「油断ならない姉さん」という先入観に反して、しゃべっているのをきくとひかえめで、むしろかわいいひとでした(笑)。

 #(2008年2月加筆)この Carla Bruni がのちにフランス大統領夫人になろうとは、当然ながら、このときは知るすべもありませんでした。

(19) Lio




 往年のフレンチポップスのスター、とニホンではおもわれているかもしれない Lio ですが、じつはまったくの現役で、France2 の Tubes des tubes に出てきました。
 でも、うたっているのは往年のヒット。≪Banana Split≫とか (笑)。情感のない平板な歌唱に、むしろ好感がもてます。ポップの極北はテクノだと、Lio をきいていると思えます。

(20) salade verte




 チュニジアでは、料理が大盛りなので、夕食でもサラダだけをたのんでちょうどいいくらいです。
 写真はグリーンサラダ Salade verte ですが、卵や、まぐろのそぼろものっていて、パンもついてくるので、これだけでも満腹します。
 しかも、これで2.1ディナール (200円くらい) と廉価なことも特筆にあたいします。

 あと、サラダをたのまなくても、野菜や果物をたっぷり摂るのがチュニジア流です。
 どんな料理にも野菜のつけあわせが山ほどついてきます。
 トマトや、赤ピーマンがとてもおいしい。
 これがないと夏がのりきれないのかもしれません。

(21) Lac de Tunis





 チュニスからいちばんちかい地中海岸のまちはラ・グーレット La Goulette ですが、チュニスからラ・グーレットにいたるみちは、陸地がΘの字のかたちをしています。
 Θ型の上半分は淡水のチュニス湖 Lac de Tunis、そして南半分は地中海とつながる海水のチュニス湾 Golfe de Tunis です。
 そして特筆すべきはまんなかで、一直線に橋のような陸地がつづいています。これは人工の海中築堤だそうです。そこに近郊鉄道のTGMと、幹線道路がはしっています。
 東西をむすぶこの道路をまたぎこして、南北にチュニス湾とチュニス湖をひとまたぎする大きな橋が現在建設中で、大成建設がうけおっています。つぎの写真の橋脚に「大成」の文字がみえます。




 ところがこの橋は、計画ではとうに完成しているはずなのに、何年もおくれていて、チュニジア政府もご立腹だそうです。
 ニホンとおなじように、真夏も1日中建設作業をするなどという計画をたてたから、チュニジアの実情にあわなかったのではないか、と想像します。しかし、これはニホンの方式がまちがっているでしょう。この炎天下1日ぢゅう働くなんて、ありえない!

(22) toilettes



 尾籠なはなしですが、チュニジアのトイレにはかならず、写真の左側にみえるような、ステンレスの水のホースがついています。
 これは、手動ウォシュレットとしてつかうもので、掃除にもつかえるすぐれものです。だれか輸入してくれないかな。

(23) これがほんとの「ドーハの悲劇」




 チュニジアへの往復には、こんかいはカタール航空を利用しました。
 切符はやすい、サーヴィスはいい、機内食はおいしい、といいことづくめだとおもっていたのですが、ひとつだけ問題が。それは、遅れるということです。
 まず往路。ドーハからのチュニスゆきは、8時発のはずが、11時発に3時間遅れました。このときはチュニスにただ到着するだけだからまだましでした。




 つぎの写真はドーハ空港と、ドーハ空港でみた日の出です。






 問題は復路です。チュニス・カルタゴ国際空港(つぎの写真)に到着したところ、ドーハゆきは5時間半も遅れることがわかりました (以下2まいめの写真、モニターのいちばんうえ。14時25分発が19時45分発に)。






 チュニスをでる飛行機に乗れたときには、チュニジアの夏のながい日もかたむいていました。




 しかも、ドーハでのニホンへののりつぎ便は、おくれたチュニスからの便をまってくれることはなく、さきに出発してしまうのです。
 ドーハからは、まる1日あとのおなじ便にのることになりました。
 このため帰国が1日おくれ、当初予定では帰国の翌日に予定していた大学院生おふたりとの面会の約束をキャンセルせざるをえなくなるという、たいへん申しわけないことになってしまいました。
 そして、ひとたび歯車がわるいほうにまわりはじめると、すべてが最悪に転じないではいないようです。
 ドーハでは、カタール航空が用意したホテルにとまったのですが、ここがまた、空港にちかいこと以外はなにひとつとりえはなく、ことごとく問題だらけで、わたしとおなじように飛行機の遅れが原因で滞在を余儀なくされた見ず知らずの旅行者とおなじ部屋に押し込まれたり、一切通じない電話の修理をたのむと、なにもしていないのに「直った」といって持ってこられるなど、不当な苦労をしました(電話にかんしては、結局べつのところからかけました)。




 それとは関係ないのですが、ドーハは沙漠にもかかわらず、やたらに湿気が多くてうんざりしました。
 暑いだけならチュニスで慣れていたころですが、まったく異質な空気でした。
 その土地でろくなことがないと、気候までもがのろわれているような気になってしまいます。

 結論。これがほんとの「ドーハの悲劇」(笑)。2度とカタール航空には乗りません。