日 録

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 倉橋由美子の小説『夢の浮橋』のなかで、主人公の桂子が、一部の同級生について、「もともと卒業式のような晴れがましいところに出てこられるような連中ではありませんわ。あの人相風体からしても」(中公文庫版226ページ)という、毒のふくまれた発言をしている。
 晴れがましい場に似つかわしくないという点では、わたしもまったくそのとおりだと自覚している。きのうも書いたが、セレモニーは全般的に大のにが手で、なるべくそのような場はさけている。2006年の転任以来、卒業式の日に筑波に出勤したことは、たった1度しかない(2008年3月。そのときも、べつの用件があったから行っただけで、学位記授与式に出席したわけではない)。
 前任校では、卒業式や入学式の日に出勤(年によっては式に参列や登壇)しなければならなかったので、これがたいそう苦痛だったが、筑波に転任してからは、この義務がなくなったことがありがたい。

 しかしきょうは、人文社会科学研究科の広報委員会があり、卒業式当日にもかかわらず、筑波への出勤を余儀なくされた。わたしは現在、文芸言語専攻の広報委員だが、研究科の広報委員ではない。専攻の広報委員長が研究科の広報委員会に出るべきことになっているのだが、きょうは委員長が会議に出ることができないというので、わたしが代理で出席した。もっとも、4月からはわたしが専攻の広報委員長になるので、1か月さきどりした任務のような形になった。
 それで、せっかく筑波まで遠距離を出勤するので、いわば「ついでに」、はじめて人文学類の学位記授与式に出てみようという気になった。
 委員会がおわったあとに行ったので、正午からの人文学類学位記授与式にはすこしおくれたが、学類長の式辞のとちゅうから参会することができた。

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 学類長が卒業生のひとりひとりに学位記を手わたし、握手もするなど、簡素ながら親しみのこもった授与式だった。

 おわったあと、フランス語学でわたしが卒論を支援した卒業生たちといっしょに記念撮影をした。そのうちのひとりは、大学院に進学してくれるので、卒業、進学のお祝いのことばをのべるとともに、たがいに「4月からもよろしく」ということになった。
 今春卒業する世代は、2011年、大震災の直後に筑波大学に入学してくれたひとたちだ。つくば市は大震災の被災地にも指定されていたし、事故を起こした福島原子力発電所に由来する放射線量が比較的高い地域ということもあり、この年は筑波大学に合格しても入学を辞退した学生がもっとも多かった。そんななかで、強い決意をもって学問をこころざし、あえて筑波に来た学生が集まったようで、実際、この世代の学生にはたいへんすぐれたひとが多かった。
 そのようなわけで、元来にが手なはずの卒業式に2日連続で出席しても、こころは晴れやかであった。

 2003年3月、わたしのホームページにつぎのようなことばを書いたが、この気もちはいまでも変わらない。

 卒業式できかれる公式のあいさつは、往々にして、大学生活が勉学と課外活動の密度にみたされていたことをもって「有意義」であったとするものですが、これには違和感をおぼえます。学生時代が、「ながい夏休み」や、「なまあたたかい寝床」であったとしたら、なにが悪いのでしょうか。ふんだんに時間があり、おちついて考えごとができる。これ以上「有意義」な何がありましょう。わたしはいまだにそれが理想です。ともあれ、卒業生のみなさん、おめでとうございます。