日 録

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 またしばらく、≪日録≫をかくことができなかった。
 れいによって、しごとに追われていただけのことだが、そんななかにも、いつもとはすこし毛色のちがうしごとがあった。

大杉栄全集月報の原稿依頼

 現在刊行準備中の大杉栄全集の月報の原稿依頼が来ていたのだ。
 おまえが大杉となんの関係があるのか、といわれそうだが、じつは2005年にわたしが訳書を出したジョルジュ・パラントの書いていた論文のうちのひとつを、パラントと同時代(1910年代)に大杉がはじめて日本語に翻訳・公刊していたのだ。なので、いちおう、大杉はわたしにとって「先人」だ。
 ちなみに大杉は、ロマン・ロランなど、多くのフランス語文献の翻訳をしている。

 依頼をうけとったのが7月2週目の週明けで、しめきりが7月25日なので、3週間弱しかない。
 字数はわずか2000字だが、短くまとめないといけないという意味でかえってたいへんだし、だいいち、専門でもなんでもない内容なので、これは気をつかった。
 きょう、字数もぴったりそろえて、ようやく提出可能な状態になったが、あと1週間余裕があるので、いましばらく最終確認のつもりだ。

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 ほかにも、まだ明かすことのできない「よけいなこと」をしていた。
 学内での帰国生入試の準備や、学外ではフランス語学会の研究促進プロジェクト関係の業務があり、たいへんなときなのだが、たいへんなときにかぎって、まったくちがったことを好んでしたくなるのは、こどものころからのわたしの「悪癖」といってもよい。
 しかし、道草を食うことで研究のうえでいろいろなひろがりがあることも事実なので、いまでは「悪癖」を正当化してしまった。
 これは、ほんとうにいそがしいときはぐあいがわるい。まえにも書いたが、この癖をもう少し煮つめたら、ある種の行動障碍になるだろうと自覚している。

 「しなくてもいいことをして泣いている」という川柳があって、タレントのマラソン出場を揶揄したものだったと記憶しているが、その文脈にそって解釈すると、むずかしい課題にいどむひとと、そのひとをとりまく集団の内輪の感動を、さめた視線で外からながめている状態だということになる。
 しかし、マラソンの文脈をぬきにしてみると、じつは、べつの読みが可能で、「よけいなことに手をだすから、寝る時間さえ足りなくなって、苦しみの涙をながしている」と解することもできる。
 わたしには後者の解釈がなじみぶかい。そのとおりの状況におちいることがあまりにも多いからだ。今がまさにそうだ。

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 小学生の娘がそだてているミニひまわりが、とてもきれいに咲いた。童心がそのままかたちをとったような花だ。

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