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 2日分の記録をまとめてしるす。

 2014年7月2日(水)
 岸彩子さんを筑波に招き、講演会を開催した。

■講師
岸 彩子
(青山学院大学非常勤講師)

■題目
「未来を表す現在形 présent "pro futuro"」
 フランス語現在形の、未来時に生起する事態を表す用法 présent "pro futuro" について考察し、この用法は時間・空間的にも判断の主体としても話者の立場を考慮に入れることを許さないとする。このことから présent "pro futuro" は現在形にどのような時間性も認めない非時間性説 (Serbat 1980 他) を補強するものであると考える。

■日時
2014年7月2日(水)15時〜17時

■場所
筑波大学共同利用棟A102教室

 まず、未来をあらわす現在形が、L'astronaute revient sur la Terre { ??en sûreté / ??lentement / ??prudemment } lundi prochain のように様態やモダリティをあらわす副詞と共起することがむずかしく、おなじ文を単純未来形にした L'astronaute reviendra sur la Terre { en sûreté / lentement / prudemment } lundi prochain のような文は可能であるという対比などから、未来をあらわす現在形は、特定の一時空に生身の人間が身をおくことで得られる「知覚情報」ではなく、その場での知覚をはなれ、とらえかえした「知識情報」をあらわすという説を出しておられる。
 そのうえで、Demain je suis libre は自然なのに対し、*Demain je suis heureux はおかしな文であるということなどから、未来をあらわす現在形は、「知識情報」のなかでも、個人の意見に帰せられるようなものではなく、客観性の名において語られうる「共有される知識」に適合する、という結論にいたっている。

 「知覚」と「知識」の区別は、わたしの研究で言及したことのある「叙事的時制」と「叙想的時制」の区別と比較可能であり、わたしの考えでは、「叙想的時制」の概念をもちいると、現在形が現在への位置づけをあらわすという説も維持可能のように思われた(岸さんは時間性をあらわさないという説にくみしておられる)。
 また、「現場での知覚」という概念は、認知モード論でいう「Iモード」(Interactional mode of cognition)とも接続可能であろう。
 さらに、「知覚情報」、「個人的な知識」、「共有される知識」というように、文内容を3つにわけるところは、最近のポリフォニー理論で Alfredo Lescano が提唱している「目撃者トーン」(ton de témoin)、「話者トーン」(ton de locuteur)、「世界トーン」(ton de monde)と(この順で)みごとなくらいに対応している。
 このように、現在形の用法にとどまらない大きなひろがりを感じることができ、また、わたし自身の研究テーマとも関連するところの多いお話だった。

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 おわったあと、≪百香亭≫にゆき、名物の、黒酢のかかった特大酢豚をたべ、ビールをのみながら歓談する。
 参会くださったかたがたの一部と、岸さん、英語学の同僚の和田くんとわたしで多く話したが、3人とも大阪生まれで基底文化を共有しているせいか、あるいはビールのおかげか、ここには書けないような本音を言いあい、たいへん楽しい思いをした。
 明日が大学院入試で、確実に朝から大学にいないといけないので、きょうは大学会館の宿泊施設に泊まる。ひさしぶりにここに泊まったら、ベッドがやわらかすぎて、あまりねむれなかった。

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 2014年7月3日(木)
 大学会館にとまったのもひさしぶりならば、学外側を向いた(相対的にながめのよい)部屋をあてがわれたのは、さらにひさしぶりなので、朝、カーテンをあけて、しばらくそとをながめた。
 わたしが学生だったころは、このあたりは、ひろい梨畑があったものだが、いまではまったくなくなった。

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 朝から大学院入試だが、午前中は試験場からの質問などにそなえて待機。正午ころから採点。
 夕方の会議まで、さらにながい待機時間のはずだったが、意外と雑務が多く、それらをかたづけているうちに会議の時間になった。