日 録

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 今週は火曜から木曜まで、後期入試にまつわる一連の業務のため、つくばに泊まりこんだ。

 3月11日(火)
 快晴。おそめに出て、つくばに向かう。

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 つくば駅からのバスは、明日の後期入試にそなえて臨時態勢をとっている。
 前期入試のときほどではないが、下見にくる受験生と保護者がいる。

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 天気がよいので、ひとつ手まえの大学会館でバスをおりて歩く。
 桐葉橋のたもとからの見はらしはいつもながら爽快だ。

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 研究室で、(また)たまっていたしごとをかたづける。

 3月12日(水)
 前期入試のときとちがい、早朝の担当がないので、9時まえに出勤。
 10時から後期入試開始。きょうはさいわい別室受験も発生せず、今年度実施した入試の各日程のなかで、いちばん問題のない、しずかな入試になった。

 夜、すっかり解放されてから、2月12日や3月3日の日録でも言及した、フランス留学時代にお世話になった先生とメールでやりとりをした。
 バイイによるものとされた(じつはバイイ自身は用いていない)mode vécu / mode pur や、社会学・人類学での émique / étique、そして最近の言語学でいわれている「認知モード」(Iモード / Dモード)にまつわる話をして、全般的には好意的なコメントをいただいたが、つぎのような指摘もいただき、ありがたかった。
Mais c'est tellement général que ça ressemble à un truisme comme on trouvait déjà chez Russel :"Signification et vérité (1938) " Dans toute assertion il faut séparer deux aspects. Côté subjectif, l'assertion exprime un état du locuteur; côté objectif, elle prétend "indiquer" un "fait" et elle y réussit quand c'est vrai." [拙訳:しかしそれはたいへん一般的なので、つとにラッセルの『意義と真実性』(1938)にみられるような自明の理に似てしまいます。いわく、「あらゆる断定において、ふたつの側面を分けなければならない。一方は主観的な側面で、話者の常態をのべる断定である。もうひとつは客観的な側面で、そちらでは断定は『事実』を『表示』しようとするものであり、それは真であるときに成功することとなる」]
 ラッセルによる「客観的な断定」の説明は、≪elle prétend "indiquer" un "fait"(断定は『事実』を『表示』しようとするものである)≫と、いささか屈託を帯びており、言語主体が純粋に「客観的」な観点にたつことができないことを暗示しているようだ、というと深読みしすぎだろうか。

 3月13日(木)
 きのうとおなじく、9時まえに出勤。
 前期入試の採点は全学マタ―だが、後期入試は学類ごとの実施なので、採点も自分たちのところでする。
 もちろんわたしは裏方なので、採点そのものにはまったく手をださないが、なにかあればお声がけいただくことになっているので、昼食をはさんで長時間の待機。
 待つあいだ、たずさえていた Cahiers Louis Guilloux の第2巻を読む(下の写真は後日自宅で撮影)。

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 第1部はジョルジュ・パラントからルイ・ギユーあてに送られた書簡の集成(1917年から21年にかけての65通)。
 パラントにかんする資料といえば、かれが公刊した著書や雑誌論文は残っているものの、パラントの手もとにあった原稿、日記、書簡などは、かれの死後、再婚の妻ルイーズが、金になる本だけ売りはらったあとすっかり燃やしてしまったので残っていない。しかし、パラントが発信した書簡は相手のところにあるのだから、残っているという道理だ。
 これらを読むと、パラントとギユーの親しい交際とともに、パラントが日常的にどのように思考していたかも読みとることができ、たいへん有意義だ。
 パラントも学期中は校務でいそがしかったらしく、≪tâches innombrables, nauséeuses et inutiles(かぞえきれない、吐き気をもよおす、無益な任務)≫などと書いていて、実感をともなって苦笑してしまう。

 第2部は≪Une carrière≫と題されたパラントの未公刊原稿で、これは奇蹟的にルイーズによる処分をまぬかれ、残っていたらしい。
 パラントの晩年、ボヴァリスムの理論家ジュール・ド・ゴルティエとの論争が過熱し、決闘騒動になった事件にかんする手記だ。
 教え子の弁護士ペリゴワ氏が、決闘の法的手つづき(1920年代はまだ、決闘が合法だった!)を補助することになり、証人の選定やゴルティエがわとの交渉を担当したが、その交渉過程で、ペリゴワ氏は、わたしにとってきわめて不利な条件をのまざるをえない方向にみちびいた、そしてそれはわたしをだまし、おとしいれるための陰謀だった、というようにくちをきわめてののしっている。
 もちろんこれは、パラントのがわからみた一方的な意見で、実際にはペリゴワ氏は、恩師のことを思い、決闘そのものを回避するために働いたのではなかろうか。それにしても、なかなかイメージのわかなかった事件について、なまなましくえがき出されており、貴重な資料になるだろう。

 第3部はギユーによるパラント評論で、やはり Cahiers Louis Guilloux の第2巻におさめられるまでは未刊だった。
 これも重要な文献だが、これについて述べるにはもう少し整備した論文のようなかたちのほうがよいだろうから、ここには書かないことにする。

 15時ころ採点がおわり、集計委員の先生に集計を依頼。16時すぎに集計はおわり、17時まえに本部棟の入試課に提出。判定は来週なので、きょうはデータをもちこんだだけで終了。その他、残務はまだつづくものの、今年度最後の入試がおわった。

 17時すぎ、研究室にもどり、さあ帰ろうというときに、つくばエクスプレスが運転を見あわせているという情報を目にした。



 しかし、つくばエクスプレスは全駅ホームドア・ホーム柵つきなのに、どうして駅で人身事故が起きるのか。万難を排してでも自殺しようというひとが、柵を乗りこえて線路に飛びこんだのだろうか。
 ここで駅にむかってしまうと何時間待たされるかわからないので、つくばエクスプレスのホームページなどで様子をみてから大学を出ることにする。
 19時20分ころ、運転が再開されたとのことだが、こんどはガラス窓にたたきつけるような強風、大雨になったので、さらに研究室で待機する。
 20時まえのバスで駅にむかう。つくば駅からは、平常どおりというわけにはいかないが、運転見あわせのあとにしてはまずまず順調で、23時まえには帰宅できた。

 家につくと、わたしの新しい著書の、著者むけ献本が留守中に到着していた。

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 研究書とはおもえないほどのインパクトのある装幀で、表紙カヴァ―の制作を銅版画家の小柳優衣さんにお願いしたかいがあった。本書のために銅版画を新作してくださったのだ。
 ただし、これは速報的に発行日以前に受けとったものなので、各方面への献本ができるのは、来月以降になりそうです。みなさま、申し訳ありませんが気長にお待ちいただければと思います。