日 録

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 れいによって、おくればせながら、月曜からきのうまでの記録を書いておく。

 2月10日(月)
 晴れてあたたかいが、土曜にふった大雪がまだ残っている。
 8時半ころに出て、つくばに向かう。
 つくばエクスプレスの車内から、守谷あたりの広い田圃をながめると、雪がのこっていてたいへん爽快だ。

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 つぎの写真は、わたしの研究室からのながめだ。

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 11時半から会議(教育課程委員会)。おわったあと、第3エリアのニホンそば店で昼食。
 研究室にもどり、たまっていた雑務をかたづける。
 14時から18時すぎまで、科研費共同研究会。
 そのあと、研究会で発表してくれた同僚のWくんと、ききに来てくれた院生のみなさんとともに、年度末の打ち上げと称して近隣の≪燈禾軒≫にゆき、酒を飲みながら話す。はじめは焼酎をのんでいたが、ニホン酒の熱燗をたのんだひとがいたので、後半はそれにつきあった。
 その場で Fabrizio de André の音楽を話題にしたもので、たまたまもっていた音楽プレイヤーでWくんとふたりでイアフォン片方ずつできいて確かめていると、大学院生のひとりが、おもしろい光景だといって、写真をとってくれた。さすがにここには貼りつけられないが(笑)。

 2月11日(火)(祝日)
 押し入れの奥からようやく再発見した思い出のモバイルPC、東芝 Libretto に Linux の OS をいれようとこころみる。
 プレインストールされていた OS は XP だとおもっていたら、そうではなく、Windows 2000 Professional だった。
 USB ブートができない機種なので、大学の「爆音パソコン」と同様、Prop Boot Manager をつかう。
 マシンが PAE 未対応なので、Linux でいちばん好きな Lubuntu は、12.04までしか入れられない。それをこころみたが、マシンの力量もあり、うんと緩慢にしかうごかない。
 いくつか別種の OS のインストールをこころみた結果、結局、Bodhi Linux が、この機種でも軽快に動き、それでいて性能もよい、最適な OS だということがわかった。

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 Libretto 特有の1280x600という解像度にしようとおもって、xorg.conf をいじってみたが、うまくいかないので、当面はこのまま。

 この OS の名まえである Bodhi というのはサンスクリットで、仏教用語として漢字で転写されると「菩提」になる。最小限の資源でコンピューターを動かそうというシンプルな OS の設計思想が、「小欲知足」の仏教思想にあい通じるということから、OS に Bodhi の名をつけたのだそうだ。かんがえてみれば、「小欲知足」の思想こそ、今後は2年に1度の周期で消費者に買い替えを強いる Microsoft の思想の対極に位置するものではなかろうか。
 Bodhi はまた、英語の body の語源ともいわれているが、それはまったくの与太話で、ただしくは英語の bid と語源をおなじくする。英語 body の語源は古英語までしかさかのぼることができず、それ以前は不詳。サンスクリットが仏教用語としてニホンにも伝わっている一方、そのサンスクリットはインド・ヨーロッパ語族ということでヨーロッパ諸語につながっているのだ。いちばん有名な例は、ラテン語の aqua(水)が、ニホンでお盆のときに先祖の霊をむかえるために出す「閼伽棚(あかだな)」の「閼伽」と語源をおなじくする、というあたりの話だろうか。しかしこれも誤った俗説だ。「閼伽」がサンスクリットの argha にさかのぼることはまちがいないが、それが「水」をあらわすのは転義によるものであるうえ、aqua との音対応にも難がある。
 このような関連づけについては、筑波でわたしの同僚(と申すのもおこがましい)の秋山学先生の論文、「呉音から西洋古典語へ・第1部:印欧語文献としての弘法大師請来密教経典」(『文藝言語研究・言語篇』61巻所載、2012年)http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M11/M1105798/2.pdf にみごとに示されている。この論文をみると、亡き祖母や大叔母が仏壇のまえでとなえていた「真言」として記憶にのこっていた「なうまくさんまんだ...」という音の羅列と、サンスクリットの "Namaḥ samanta-buddhā..." がつながり、不思議な気もちになる。

≪追記≫ 上記の赤字部分は2月20日に加筆しました。加筆部分の情報は小川博仁さまのご教示に負うております。しるして感謝申し上げます。
 body / bodhi 同源説については、わたしも内心あやしくおもっていたので、「といわれている」としておりましたが、argha / aqua については学生時代にどこかで読んだことがあり、長年信じこんでおりました。"bodhi" の概念とは正反対の蒙昧ぶりで、おはずかしいかぎりです。

 2月12日(水)
 会議の集中する日なので、つくばに出勤。
 科研費の継続課題の来年度の「支払請求書」の内部チェック用原稿の窓口しめきりが今週中なので、ようやく作成・印刷して事務室に提出した。
 「支払請求書」は、2011年度以降の新規採択から基金化されてあらたに必要になった書類で、繰越しや前倒しができるようになったことから、この時期に次年度のことを書かせるものと思う。
 わたし自身は、昨年度までは別課題で旧制度(補助金制度)の科研費をもらっていたので、今回はじめて提出義務が発生し、大儀に思っていたが、実際にはあっけなくできあがり、たいしたことではなかった。

 正午から人文学類の学生からの相談をうける。
 13時30分から大学院の専攻会議。
 16時30分以降、前期入試と同時に実施される外国人留学生入試と学士再入学の入試の準備にまつわる会合が順ぐりにつづく。おわったあとも裏方のしごとをする。

 かえりみち、北千住で夕食をとってきたので、22時30分すぎに帰宅。かろうじてこどもたちが起きていて、おやすみのあいさつをする。
 熱心な先生から言語学的な議論をするメールがきていたので、こちらも疲れを忘れておそくまで返信をかく。いつもながら、アドミニストレーションでいそがしいときは、研究が救いをもとめてまぎれ込む場になる。