日 録

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 れいによって、最近のことをまとめてしるす。

 1月28日(火)
 初不動の日。となりまちの不動尊でだるま市がひらかれる。娘の幼稚園はだるま市でごったがえす街区にちかいので、恒例によりお休み。
 娘は午前中、妻につれられて嬉嬉としてだるま市を見に行った。わたしは疲れていてお留守番。

 午後からつくばに出勤。明日の会議の準備などをする。

 交流協定校のフランシュ=コンテ大学から来てくださっているダニエル・ルボー先生をかこんで、夕刻から、つくばセンターの≪一成≫で麦焼酎をのみ、鴨せいろそば、湯豆腐、ぶり大根などをたべる。
 この店にくることは、ルボー先生の希望をいれたそうだ。つくづく、ニホンびいきの先生だ。

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 大学院生のOさんが、ルボー先生の無神論に、彼女自身のキリスト教の信仰を堂々と対置して熱っぽく議論をいどんでおられたので、たいへんおどろいた。
 ぜひ言いたいことがあるときには、ことばは(外国語といえども)自然にちからづよくながれ出るのかもしれない。

 1月29日(水)
 きょうからつくばに2泊するので、朝、冬の休眠期のおわりにさしかかった庭木の剪定をしようと、のこぎりをもちだして庭に出る。
 作業の半分以上は順調だったが、不覚にものこぎりで左手の親指を切ってしまった。
 のこぎりの行くほうへ手をもっていかないのは鉄則のはずだったが、木が大きくしなるうえに、生木のうえでのこぎりがはね上がり、たいへん不規則な動きをしてしまったのだ。
 しかも剪定用ののこぎりで、刃が二列ついているものだったので、傷口がひらき、なかなか血がとまらない。
 指のつけ根をしばり、手を高くあげて、なんとか止血した。

 気をとりなおして、午後から筑波に出勤。
 学内にはすでに、明日からの大学院入試にそなえて案内標識がでていた。

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 しかし、きょうのわたしのしごとは、大学院ではなく学類の入試にそなえた会議だった。
 避らぬお役目がおわったあと、図書館にゆき、旧東京教育大学の蔵書をみにゆく。
 わたしはかつて古本で入手した、下の写真のような Littré の辞書を私蔵している。1956年版。

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 じつは1943年、第2次世界大戦のまっただなかに、ニホンで Littré の簡約版が出版されていた(戦時中、フランス語が「敵性言語」とされていたことを思うと、そのこと自体意外だ。もちろん、本来は「敵を知り、己を知らば百戦あやうからず」であって、「敵性」であるからそれにまつわることは学ばない、というのはただの自殺行為だ)が、それはどういうものか、という質問をいただいていたので、それについてしらべにきたのだ。
 背表紙は下の写真のようなもので、ラベルにかくれて、かつ擦り切れて見づらいが、Hakusuisha の文字がみえる。上部はフランスで出たものとかわらないようだ。

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 ひらくといきなり A からはじまっており、中表紙などはなかった。
 つぎの写真は、なかほどのところ。翻訳ではなく、フランスで出版されたままを印刷したことがわかる。

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 かろうじて、痕跡らしきものがあるのは、おくづけの直前のページと

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 おくづけのページだ。

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 おくづけには、白水社が「翻刻権」をもっていると書かれている。翻刻は、輸入がむずかしかった時代におこなわれていたことだろう。
 それにしても、どのような辞書か、という疑問にじゅうぶんこたえる体裁にはなっていない。かろうじて、背表紙に Littré et Beaujean と書かれていることから、Beaujean の協力によりフランスで刊行された簡約版であることがわかる。Littré-Beaujeanの第何版を底本としたか、といったことも示されていない。
 もっとも、戦後もこれに類する事例はある。わたしが学生時代に購入して以来使用している DFC (Dictionnaire du français contemporain) は、駿河台出版社による翻刻だ。

 Littré の辞書の簡約版にはなしをもどすと、当時のねだんで、定価15円にくわえて、特別行為税相当額1円73銭ということになっている。
 これはまさか、当時の「敵性言語」であったことにかかわるのだろうか、と思ったが、どうやら印刷製本をふくむいくつかの業種に課税されていたようだ。
 いずれにしても、そのようなきびしい時代に、逆風にあらがうように辞書を出版した先人たちの労苦のうえに、こんにちの研究が存続していることを思わないではいられない。

 印刷にかかる特別行為税で思いだしたが、以前、『武田元敏集』(朝日新聞社)で読んだ話では、当時は大政翼賛会のもと日本出版会という組織がつくられ、分野ごとに専門家が出版を査定し、出版の意義があるとみとめるもののみ用紙の割りあてをしていたとのことだ。そうして用紙がまわってこなければ、書物の印刷はできなかったそうだ。
 武田氏は工学書の出版査定にあたっていたとのことだが、審査は結局、名の知られた書物に用紙を割りあてることにならざるを得なかったと書かれている。

 夜、天久保3丁目のとんかつ屋(「線香花火」に似せたあて字の、へんな名まえの店なので、名まえは書きたくない。しかし、とんかつはおいしい)でバラカツをたべる。

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 1月30日(水)
 大学院入試1日め。
 午前中はローテーションで筆記試験(語学科目)の監督。
 だいたい、試験場のはりつめた空気がにが手だが、大学院入試ならまだまだ牧歌的な雰囲気だ。
 3年次編入わくで受験している知り合いの院生にあい、休み時間に「あれ? もともと文芸言語専攻ではなかったのですか?」ときいてしまった。前期だけ地域研究だったそうだ。

 午後は専門の試験なので、わたしは試験監督からは解放され、出題者のひとりとして待機。
 待機時間を利用して、研究室にあるもっとも古いパソコン(2006年、筑波に転任したときに使用開始した Windows XP機)に、Linux のOSをインストールしようとこころみる。
 そもそもわたしが Linux に興味をもったのは、筑波大学図書館にそなえつけの一部のコンピューターで、Windows のなにかと錯誤して、ほとんど違和感なくつかっていた OS がじつは Linux (たぶん Fedora) だったことに気づいて衝撃をうけたからでもある。
 自宅にねむっていたノートパソコンには、すでに Lubuntu をインストールしている(マシンの力量的には Ubuntu も可能だったが、マッキントッシュ的な「ランチャー」のならぶデスクトップがなじめず、わざわざ Lubuntu にしたのだ)。

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 軽快にうごき、使い勝手がよい。
 これに味をしめ、研究室でおなじくねむっていたデスクトップのうちの1台(わたしがかってにつけた愛称では「爆音パソコン」。ファンの音がとくにうるさいので)にも Universal USB Installer でインストールしようとしたが、いかんせん古いので、自宅のものほどうまくいかない。
 しかたがないので、Lubuntu の iso ファイルを CDR に焼いてインストールしようとしたが、これもうまくいかない。いまおもうと、Lubuntu の ヴァージョンの不整合だったかもしれない。
 「こまったときには "ggrks"」というネットの原則にしたがい、自分でいろいろ調べたところ、USB メモリーからのブートを知らない古いパソコンでも Universal USB Installer でつくった USB メモリーからインストールする方法を発見した。Plop boot manager というのを使って、USB をブート手段に人工的に挿入するというものだ。

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 USBを選択するところまではいくが、そこでフリーズをくりかえしてしまう。
 boot.ini の書きかえがきちんとできていないのかとも思ったが、ひらいてみたところ、自動で正しく書きかえられている(いや、boot.ini が正しく書きかえられていなかれば、そもそも Plop boot manager がはじまらないか)。
 原因がわからないままくりかえしていると、奇跡的にうまくいき、Lubuntu のインストールがはじまった。

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 しかし、ここで痛恨のミス。モニターの解像度をまちがえてしまい、真っ暗に。
 その後、この「爆音パソコン」はPAE未対応なので、Lubuntu 13.10 ではなく、Lubuntu 12.04をインストールしたほうがよいことを知り、Universal USB Installer からやりなおし。
 ダウンロードと、USB メモリーへの書きこみがされているあいだに、≪百香亭≫にゆき、夕食に回鍋肉をたべる。

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 食事からもどると、わたしの研究室に貼り紙がしてあって、いま、研究会論集の刷りあがりの納品をうけたあとに必要な事務作業を院生が集まってしているという(そうとわかっていたら、ひとりで夕食をたべなければよかった)。
 あわてて院生研究室にかけつけ、わたしも協力する。夜、このような作業をしていると、わたし自身も院生だったころを思い出し、甘い感傷にひたってしまう。

 その後もPlop boot managerは不調で、Lubuntu はとうとうインストールできなかった。
 うんと軽い Puppy Linux はさすがにインストールできた。
 壁紙を好きなペンギンくん(Tux くん)にかえて本日は終了。
 
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 1月31日(水)
 朝、Puppy Linux のネット接続の設定をする。
 固定IP、サブネットマスク、優先DNS、代替DNSなどを打ち込めばよいはずだが、これまで知っている接続設定とずいぶん勝手がちがって、苦戦する。しかしなんとかつながった。

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 午前は大学院入試の面接をつとめる。
 おわったあと、A先生に車でつくば市金田のそば屋≪いちい≫につれていってもらう。この店は、以前は花室方面の山がちなところにあり、2001年ころ、当時の店の離れで会食をしたことがあるが、いまは引っ越して、広い田圃のなかにある。

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 まいたけせいろをたべる。

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 食後は、≪蔵日和≫という、文化財指定されている旧家を生かした店にゆき、コーヒーをのむ。

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 大学にもどったあと、先週からみていた、3月刊行予定の著書の再校の仕上げをする。

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 校正刷りのことを「ゲラ刷り」ともいうが、「まちがいが多すぎてゲラゲラわらう」というのは民間語源で(えっ? だれもそんなことは思っていない?)、ほんとうは「ゲラ」は「ガレー船」とおなじ語源だ。
 それでおもいだすのは、イヴ・モンタン Yves Montand のシャンソン、≪漕役囚 Le galérien≫。



 母親の慈愛とガレー船の苦役を対置する、かなしいうただ。このようなことは、自分も親になってから、ようやくすこしわかるようになってきた。とくに、としのわりにおさない息子のことを思わないではいられない。

 J'ai pas tué, j'ai pas volé
 Mais j'ai pas cru ma mère
  ぼくは殺していない、ぼくは盗んでいない
  でもぼくは母のいうことを信じなかった
 Et je me souviens qu'elle m'aimait
 Pendant que je rame aux galères.
  母がぼくを愛してくれたことを思い出す
  ガレー船でくるしみながら


 それでは、なぜ、ゲラ刷りがガレー船とおなじ語源なのか。
 「校正をすることは、あたかも、漕役囚のようにくるしいからだ」というのは、さすがに被害妄想で、じっさいは、植字用の箱が、あたかもガレー船のように木で組まれていたところにつながりがあるようだ。

 16時からと、16時30分からの2件、会議に出席して、ようやく今週のしごとはおわった。