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2006年12月、チュニジア出張報告

 2006年12月2日から11日まで、北アフリカのチュニジア共和国に出張してきました。Tunisia-Japan Symposium on Society, Science and Technology (TJASSST) に参加し、口頭発表をしてきました。
 わたしにとっては、フランス以外のフランス語圏に行くのははじめてで、学生時代から20年間ひたりきってきた「フランス語といえばフランス」という自明性の外がわにはじめて出た、鮮烈な体験でした。

(1) チュニス

 以下、だいたい時系列にそってチュニジア出張の報告をいたします。

 12月2日、成田からパリ (ロワシー) 経由でチュニス・カルタゴ国際空港についたのが同日夜中の12時。
 チュニスのベルヴェデール地区にあるホテル、Hôtel Ariha に直行し、1泊しました。ぜいたくなホテルではありませんでしたが、とてもいい宿でした (個人的にはさいごの日に泊まった5つ星の Mercure El Mechtel より好き)。以下はホテルの窓からのながめです。








 翌3日、昼すぎの出発だったので、午前中、チュニスのまちなかをあるきまわりました。
















 最後の写真はチュニスの軽便メトロ métro léger。「メトロ」というと地下鉄かとおもいますが、métropolitain の謂いなので、べつに地上でもかまわないですね。みじかい車輛を3輛つないだのが1編成ですが、電車はすべて2編成をつないだ6輛で走っていました。

♯ ところで、チュニス・カルタゴ国際空港について、建物の外にでた瞬間から、箱根の小涌谷のように、はっきりと硫黄のにおいがしました。
 スースからチュニスにもどってきたとき、チュニスのまちなかでも、おなじにおいを感じましたので、このあたりに硫黄がただよっているのだろうと思います。
 近くに火山でもあるのか、それとも、乾燥のあまり砿物が析出してきたのか、わかりませんが、チュニスの旅情の一環になりました。

(2) チュニスからスースへ

 12月3日、チュニスからスースへバスで移動しました。



 むこうにみえる山はチュニスとザグアンをへだてる山ですが、名まえをききそびれてしまいました。筑波大学の関係者は、筑波山にかたちが似ている、といっていました。



 車窓にはえんえんとオリーヴ畑がつづきます。チュニジアは、スペイン、イタリア、ギリシアについで世界第4位のオリーヴ生産国で、6000万本のオリーヴの樹があります。ローマ時代は8000万本あったそうですが、沙漠化で減少したとのことです。

(3) El Mouradi Palace

 宿泊先は、スース市のとなりまちのハンマーム・スース Hammam Sousse 市エル・カンタウイ El Kantaoui 地区にある5つ星ホテル、El Mouradi Palace。
 まことにぜいたくなホテルで、窓からはホテルのプールと、紺碧の地中海がみえます。










(4) 学会の開会式

 スースに到着した初日は夜に学会参加登録の手つづきがあっただけで、翌4日に El Mouradi Palace ホテル内で開会式がひらかれました。
 チュニジア共和国文部大臣、スース大学学長、駐チュニジア日本大使、筑波大学北アフリカ研究センター長などの演説がつづきます。
 さらに、筑波大学とスース大学の交流協定への調印が、全参加者のまえでとりかわされました。








(5) 人文社会科学セッション

 開会式がおこなわれた5つ星ホテル El Mouradi Palace が、じつは学会の主会場なのですが、人文社会科学セッションについては、スース大学の文学部 Faculté des lettres et des sciences humaines。ほかのセッションはホテル内なので、ちょっと虐げられている? と思いましたが、大学自体はいいところでした。
 エル・カンタウイから、スースの中心街をへだてて反対がわに大学があります。開会式にでておられたチュニジア人の学会参加者のかたがたの車に、その足で便乗させていただいて、移動しました。
 移動だけは不便でしたが、それでもスース大学はいい雰囲気のところでした。セッションに使用された階段教室は、緑を基調にした内装で、おちつきます。








 4日の午前中は基調講演4件、4日の午後から5日終日にかけて個別の研究発表がつづきます。
 わたしは5日の9時から発表しました。チュニジアのかわいた空気のなかで、くちをうごかしつづけていると、ろれつがまわらなくなりそうでしたが、なんとか自分の番をつとめおわりました。あさいちばんの発表だったので聴衆がもっとも少なかったのですが、ろくでもない発表をおおぜいに聴かれなかったという意味ではよかったです (笑)。

 スース大学の学内では、東洋人の存在がめずらしいらしく、すれちがう学生が好奇の目でみていました。フランスあたりではけっして経験しなたったことです。しかしけっしてわるい感じではなく、お茶をのむ休憩時間に話した学生はたいへん友好的でした。
 さらに感激したことは、5日の午後、掲示でテーマをみて興味をもったスース大学文学部の学生がなんにんか飛び入りで発表を聴きにきたことです。
 「同一性と自己の知覚」というテーマに、「とてもおもしろそうだ」と目をかがやかせる学生たちは、知的で、純粋で、すばらしいとおもいました。
 わたしのとなりにすわった女子学生は Sihem さんという名まえで、「矢」という意味のアラビア語だと説明してくれました。彼女としばらく話したのですが、質問にわたしがこたえるという表面的なかたちに反して、わたしのほうが刺激をうけるほど明晰な学生でした。

(6) スースのメディナなど

 12月6日は、午前中に、チュニジアで日本語をまなぶ学生による第1回日本語スピーチコンテストがおこなわれ、優勝者には日本への往復航空券が授与されました。写真1まいめ。




 午刻からスースの中心街に出かけました。スースのメディナ (城壁でかこまれた旧市街、写真2〜3まいめ。ユネスコの世界遺産です) をあるきまわり、昼食をとり (チュニジア料理の写真はあとでまとめて出そうとおもいますので、くわしくはのちほど)、買い物をしました。






 同日16時ころからスース大学文学部を再訪しました。学部長のご案内で、各学科の施設や、図書館などを見せていただきました。






(7) エル・ジェムの円形競技場

 12月7日からはエクスカーションに出発です。
 まず、エル・ジェム El Jem へ。ここにはローマ時代の円形競技場 (コロッセウム) がありますが、乾燥帯の気候と、イタリアにくらべると観光客がすくなかったことから、もっとも保存状態がより円形競技場であるといわれています。ユネスコの世界遺産に指定されています。
 プロヴァンスのまち、アルルと似ています。
























(8) マトマタ

 7日はひきつづき、マトマタ Matmata をたずねます。内陸にはいるにつれて沙漠にちかづくので、オリーヴなどの樹はだんだんとまばらになり、ついには、なくなります。










 マトマタあたりには、ベルベル人の伝統的な穴倉式住居があちらこちらにあります。スター・ウォーズの撮影場所になった穴倉が、いまはホテル兼レストランになっていますので、そこで昼食をとりました。














 穴倉式住居を1か所、見学しました。穴倉式というとどうしても原始的な気がしますが、近代建築より夏はずっと涼しく、冬はあたたかいという点で、すぐれた住居といえます。そのため、このあたりでは、近代建築に住んでいるひとでも、夏だけ穴倉式を別荘がわりにして暑さをしのいでいるひとが多いそうです。








(9) ドゥーズ

 7日夕刻、沙漠の入り口のまち、ドゥーズ Douz にいたります。






 ここではらくだに乗ることができます。
 沙漠は観光資源でもあるわけですが、放っておくととどんどんひろがってしまうので、随所になつめやしの葉でつくった防砂壁があります。
 らくだはそれをたべていました (笑)。






 ちなみに、防砂壁の根元には砂が多くたまっていることが多いですが、ここを掘り起こすと、冬眠しているさそりが出てくるのであぶないそうです。

 この日、泊まったのは El Mouradi Douz. やたら広い部屋でした (さいごの写真)。




(10) ショット・エル・ジェリド

 12月8日。ドゥーズを辞し、ショット・エル・ジェリド Chott El Jérid にむかいます。
 はじめの2まいの写は、乾燥帯に特有の、なつめやしです。






 ショット・エル・ジェリドはほんらい死海のような塩湖でした(したがって、太古には海でした)が、沙漠のなかにあるために乾燥がさらに進み、天然の塩田のようになっています。








 つぎの写真は「サハラのバラ roses de Sahara 」。塩の結晶が砂をまきこんでこのようなかたちになります。




 つぎの写真の地平線の右半分にご注目ください。すこし浮かびあがったようにみえる、平らな像が蜃気楼です。






(11) タメルザ

 つぎにおとずれたのは、オアシスのまち、タメルザ Tamerza です。
 オアシスのなかには滝もあります。












 まわりは昿涼とした沙漠の山々がつづくばかりで、映画『イングリッシュ・ペイシェント』が撮影されたのもここです。




 つぎの写真は、Tamerza Palace。ここで昼食をとりました。






(12) ミデス

 つぎにアルジェリア国境のまち、ミデス Mides にゆきました。
 国境をまたいでつづく壮大な峡谷があり、ここは『インディ・ジョーンズ』のロケ地でした。

















(13) オング・エル・ジュメル

 12月8日の夕刻、オング・エル・ジュメル Ong El Jemel にむかいます。
 このあたりは沙漠のなかのオフロードを、4WDをチャーターしてゆくのですが、さながらパリ・ダカールラリーのようで、脳みそがシェイクされました。




 オング・エル・ジュメルは『スター・ウォーズ』の撮影場所になったところです。















 ここでみる沙漠の夕陽は、ことばをなくするすばらしさでした。

 この日はトズール Tozeur の≪クサール・ルージュ Ksar Rouge≫なるホテルにとまりました。
 チュニジアの水道水はかなりの硬水ですが、トズールやドゥーズではとくにミネラルが多いようで、入浴のとき、石鹸のあわがまったくたちません。くちにふくむと、かなり塩からく感じました。

(14) スベイトラ

 12月9日。スベイトラ Sbeïtla をおとずれました。
 スベイトラはローマ時代はスフェトゥラ Sufetula とよばれ、紀元後2世紀のローマ遺跡、紀元後7世紀のビザンティンの遺跡がありますが、いずれもアラブ時代に破壊され、となりまちのカイルアン (ケルアン) を建設するための建材として転用されました。
 いまはその廃墟に、神殿、劇場 (一部は再建による) が現存し、あとは破壊されたおびただしい建物の土台だけがのこっています。




















 なお、フランスのアルル Arles、ルーマニアのコンスタンツァ Constanţa などと同様、ローマ遺跡を擁するいくつかの都市で提携しており、つぎの写真の掲示は、その提携を示しています。



(15) カイルアン (ケルアン) の大モスク

 9日はつづいて、 カイルアン (Kairouan、ケルアンとフランス語読みすることもある) をおとずれました。カイルアンは、メッカ、メディナ、イェルサレムに次ぐ、イスラム教第4の聖地で、巡礼者が絶えません。まちの全体が、ユネスコの世界遺産に指定されています。
 大モスク (Mosquée Oqba Ibn Nafaâ) の写真です。建材はスベイトラのローマ遺跡からの流用ですが、レバノン杉の扉など、装飾はさすがに工夫されています。
 ミナレット (アラビア語ではマナール) のあたりは、スペインのセビーリャのカテドラルにあった「ヒラルダの塔」に似ていると感じました。
















 つぎの2まいの写真はべつのところで、カスバ (要塞) をそのままホテルにしたところです。
 ここで昼食をとりました。






(16) スィーディ ・サハブ霊廟

 おなじカイルアンにあるスィーディ・サハブ霊廟 Zaouia Sidi Sahab。
 タイルや石のアラベスクがきれいです。アラベスクは、古代からある唐草文様を基礎としていますが、なんといってもイスラム教の偶像崇拝禁止によっていっそう洗練されたといわれています。
 タイルの模様をよくみていると、だんだん動物かひとの顔にみえてきますが、それもまた、まともな偶像をえがいてはいけない制約のなかであみだされた方法でしょう。
















 12月9日は。このあとチュニスにもどり、メルキュール・エル・メシュテル Mercure El Mechtel に1泊。
翌10日帰途につき、時差の関係でさらに翌11日、日本につきました。

 時系列にそった報告はこれでおしまいで、以下は料理などです。

(17) : 料理篇 (1) タジーヌ

 チュニジアはたべるものがおいしく、鯨飲馬食のまいにちでした。
 帰国して体重がふえているのではないかと気になりましたが、消費もそれにみあってはげしかったようで、変化はありませんでした (ほっ)。

 ここからは、チュニジア料理をいくつか紹介してゆきます。




 特徴的なのはタジーヌ tajine です。
 モロッコ料理では同名の料理はスープにつかった煮込み料理ですが、チュニジアではキッシュのような (固形の) 料理です。
 しかし、世界的にはモロッコ料理のほうがひろくゆきわたっているようですので (じっさい、パリのモスクでたべたのもモロッコ式のタジーヌでした)、チュニジア風をはじめてみるとおどろくひともいます。

 ちなみに、つけあわせの青菜は、レストランのかたは「ほうれんそう épinard」とよんでおられましたが、日本で「ほうれんそう」とよばれているものと同じではなく、「くだんそう」といわれているものでした。
 「くだんそう」は日本では雑草あつかいですが、ほうれんそうより葉がおおきくて甘く、雑草にしておくのはもったいない。

(18) :  料理篇 (2) チュニジア風ご飯




 チュニジア風ご飯 Riz à la tunisienne です。
 名産品でもあるサフランでいろづけて炊いたご飯に、鶏肉をトマトソースで煮込んだものをかけます。
 チュニジアでは基礎的な調味料でもあるとうがらしのペースト、ハリッサ harissa をそえて。

(19) : 料理篇 (3) えび




 パーティーの料理で出てきた、えびの塔です。すごすぎて、だれも手をつけません(笑)。

(20) : 料理篇 (4) ブリック




 ブリック brik は前菜のひとつです。
 クレープをまるごと揚げたようなもので、なかにはえびと野菜の具のほか、半熟たまごがはいっています。

(21) : 料理篇 (5) クスクス




 クスクス couscous は有名ですね。
 チュニジアのクスクスの特徴は、スープにもハリッサがはいっていて、はじめから赤くて辛いということです。わたし好みです。

(22) : 料理篇 (6) オジャ




 オジャ ojja は、 まぐろをトマトソースで煮込み、卵を落としたも煮ものです。

(23) : 料理篇 (7) 鶏肉と野菜の煮込み




 鶏肉と野菜の煮込み。ひとり分の深い食器ごとオーヴンに入れて調理してあります。
 じゃがいものほか、トマト、緑ピーマンがはいっているところがチュニジアらしい。

(24) :  料理篇 (番外) ワイン




 チュニジアはイスラム教徒が9割を占める国なのに、なかなかさばけていて、おいしいワインを醸造しています。
 なにしろ、ローマ人がワインをのみはじめる以前から、カルタゴ人がワインをつくっていたくらいですから。
 なかでも≪マゴン Magon≫は、市場シェアのこれまた9割を占めるのではないかと思うほど、いたるところで飲まれています。
 地中海の圧倒的な太陽をあびて育ったぶどうを原料としているだけあって、深く濃厚な味わいです。
 わたしはフランスやイタリアのワインでも、南方系の濃厚な赤が大好きなので、なかなか好きな味です。

♯ Magon という名まえは、古代カルタゴの王(ハンニバルの弟)の名まえに由来しているようです。
 現在のカルタゴ市の一角にある、「マゴン街区 Quartier Magon」も同様。

(25) :  拾遺 (1) 2言語併用

 公的な場面では、アラビア語とフランス語がほぼ対等に併用されています。
 それがあらわれていると思われるものをいくつか撮ってみました。
 まず、フランス系のスーパーマーケット、Champion ですが、レジ袋もフランスと同じだなあ、と思いかけたらさにあらず、ひっくりかえすとアラビア語の表示が。






 パンの袋の表示も2言語併用。




 そして、出入国カードは、2言語が対等にしるされ、第3の言語の地位で英語もはいっています。





(26) :  拾遺 (2) おみやげ

 こどもがよろこんだおみやげ。
 写真1まいめ、らくだのぬいぐるみ。すわるときの脚のかっこうを再現し、なかないい顔つきをしています。




 2まいめ、なつめやし (dattes)。これは天然の果実なのにやさしい甘みが凝縮されていて、おとなもはまります。ちなみに、果実1つぶ1つぶにわけないで、こんなふうに枝ごと箱にはいっているのは「高級品」だそうですが、それでもスーパーでは500グラムで3ディナール (270円) くらいでした。




 ほかに、さそりの標本、組み木細工の宝石箱、座布団のような敷き物、木製の、蛇行がじょうずなへびのおもちゃなどをおみやげに買ってかえりました。

(27) :  拾遺 (3) 貨幣

 チュニジアの貨幣ディナールはチュニジア以外には持ち出し禁止なので、ホテルの部屋で撮影しておきました。



 この写真の上部にうつっているのが、一般的な10ディナール札。1ディナールは約90円。
 そして硬貨が右から順に5ディナール、1ディナール、100ミレーム (1000ミレームが1ディナール)。



 こちらの写真は、10ディナールの新札。色といい、デザインといい、ややユーロを意識しているかも。
 銀行で両替をしてもらったばかりだと、このような新札が出てくる確率がたかくなります。

(28) :  拾遺 (4) 新聞




 アラビア語は読めないので、わたしはもっぱらフランス語の新聞をよんでいました。
 La Presse をいちばんよくみかけました。そのつぎには Le Temps。La Presse のほうがややかたい印象ですが、別刷りもついていて、全体のページ数は多いです。Le Temps はスポーツらんなども充実しています。

(29) :  拾遺 (5) テレヴィ番組表




 新聞 La Presse のテレヴィらんです。
 1~6チャンネルがTF1, France2, France3, Canal+, TV5monde (あるいは 5e / ARTE), M6 というように、すべてフランスのテレヴィ局、そして7が Tunis7 というチュニジアの放送局で、それ以上の数字をチュニジアのテレヴィ局にわりあてていました。チュニジア固有の全国規模のテレヴィ局は3つあるようです。しかし、この番号の配列では、なにやら植民地的ですねえ。
 チュニジアのテレヴィ局はいずれもアラビア語で放送しているので、フランス語のテレヴィをみようとおもうと、ほぼフランスのテレヴィ局をみるしか選択がないのが少し残念です。

 報道番組などはどこをみても大同小異ですが、チュニジアのテレヴィ局はどちらかというと脱力系で、えんえんカラオケでうたっている番組もあるなど、時間のつかいかたがおおらかで、たのしいです。

(30) :  拾遺 (6) 機内食のただし書き




 エール・フランスのパリ=チュニス間でくばられる機内食のただし書きです。
 「エール・フランスは、この食事に豚肉がふくまれていないことを保証します」

(31) おわりに

 今回のチュニジア出張については、こまかなことをいいだすといろいろなことがありましたが、しかし全体的にはたいへんここちよい滞在になりました。
 参加した学会はまいとしひらかれていることですし、来年とはかぎりませんが、都合さえつけばまた、2度、3度と行きたいと思っております。

 地中海岸からサハラ沙漠まで、多様な自然がありますが、冬でもあたたかく、たべものがおいしい、物価が安い (地方都市では60ディナール未満 (5000円) から5つ星ホテルにとまれる!)、などなど、旅行者にとっては天国のようなところです。

 ふしぎなもので、慣れというものがすぐにできるらしく、イスラーム圏から日本にかえってくると、まちなかがクリスマスのかざりつけでにぎやかになっているのがふしぎな光景におもえてきました。
 また、パリから東京へのかえりの飛行機のなかで、「和食に郷愁をいだくであろう日本人」に配慮して、機内食に日本食の選択があったのですが、それが豚肉のしょうが焼きであることを知り、おもわず避けてしまいました。ほんらい豚肉は好きだったはずなのに、チュニジアでわずか10日食べないでいると、当然のように避けるようになってしまいました。