日 録

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PB182583

 先週末、みょうに上機嫌になって、多幸感 (euphorie) につつまれているようだったが、1週間、あれこれの雑務にまみれているうちに、通常レヴェルまでさがってきた。
 しかし低空飛行というほどではなく、いまもなお、調子はわるくない。こればかりは統禦できないので、調子がいいことはありがたいことだ。

 1週間の苦労のうち、ここに書いてもさしつかえのない話だけをすると、人文学類の教育課程委員としてのしごとで、来年度の開設授業科目一覧の編集作業をしていた。
 昨秋から導入された、筑波大学教育課程編成支援システム(略称KDB、https://kdb.tsukuba.ac.jp に委員はログインして編集をする。ログインせずに使うと、今年度の科目一覧として一般公開された情報が閲覧できる)というオンラインシステムを使うのだが、これが名まえに反して、「支援」どころか正反対に、障壁になっている。
 昨秋は開発が未熟のまま導入されたので、問題百出だった。ことしはさすがにそれよりましだが、順調というわけではない。
 いちばんの問題は、ある程度編集がすすんだ状態で確認をするため、編集の現段階で来年度の科目一覧がどうなっているかをみようとすると、たいへん動作が重いということだ。
 まず、画面上で見ようとすると、人文学類開設の六百数十科目のうち、最初の50科目しか同時に表示できず、その後は画面推移しないといけないのだが、この推移ボタンがまったく無反応(以下でのべるダウンロードの場合とちがい、ブラウザーがホストからの情報を待機する状態にさえならない)。
 一方、人文学類の科目一覧(の原稿)をひととおりダウンロードするという方法もあるのだが、それを何十回となく試したうち、いつも長時間の待機状態をみせられるばかりで、ダウンロードに成功したことがたったの1回しかない(そのときは、夕食のあいだ40分ほど放置していたら、ようやくCSVファイルがダウンロードできた。ダウンロードの様式として、エクセル形式のファイルも選択できるのだが、CSVより容量が大きいので、そちらをえらんでいたら無理だっただろう)。
 3~4日ほどの試行錯誤のすえ、一昨日ようやく思いついた新たな方法は、自分の担当範囲(教育課程委員として編成を担当する範囲)の科目名だけがヒットするいくつかのキーワードで検索して、2ページ目以降に画面推移することなく見られる科目数にしぼり込んでから、その画面で確認するというものだ。これを思いつかなければ、偶然1度成功したダウンロード以外の確認はできなかったに違いない。
 なにやら、いうことをきかない機械と人間との「化かしあい」のような状況で、だましだまし、かろうじて責めをふさいでいるのだが、こういうときにたまるストレスを「テクノストレス」というのだろう。

 ほんとうは、こんなところに、だれにもとどかない文句を書くといった非生産的なことをせずに、KDBに実装されている≪Redmine≫に質問や報告を書けば、管理者がわにも直接伝わるのだが、そこに書きに行くのも微妙にめんどうで、しかも自分の担当するしごとは(だましだましにせよ)いちおうこなせているので、わざわざ言いたくない。
 わたしより、もっとひろく編成状況を見わたすべきたちばのひとたちは、おなじ症状で困っているかもしれないが、それを横からわたしが言いたてるよりも、ほんとうに困っているひとが相談したほうが切実で、解決にむけての原動力になるだろう。
 こんなことを考えるわたしはつくづく、組織という観点からは無責任なニンゲンだと思う。担当しているしごとはひととおりしているはずだが、全体のしくみがうまくまわるように、という視点はほとんどもっていない。しかも、もしそのようなことをたずねられたら、「わたしは鼻の先の課題をかたづけるだけでせいいっぱいで、とても全体のことを考える余力などない」というもっともらしい言いわけまで用意している(笑)。
 「もし、ほんとに、夜おそくまでやらなきゃ、仕事がたまっていくんなら、ドンドンためておけ。仕事がたまってこまるのは、中尉か、偉いやつだ。おまえがこまる必要はない。たまりすぎて、どうにもならなきゃ、お偉い連中が考える。」(田中小実昌『自動巻き時計の一日』河出文庫、p.125より)

 きのう(土曜)は、卒業生3人(そのうちひとりは、修士をおえて休学中で、フランス大使館領事部の固定的外註先の法人に就職がきまった)とシチーリアの赤ワインをのんできて、たのしい思いをした。それもあって、精神の平衡をたもっているのかもしれない。写真もとったが、店のひとにとってもらった人物写真しかないで、ここには貼りつけられない。

 きょう(日曜)は、ほとんど終日閉居して、12月14日の関西大学での共同での研究発表の準備をしていた。それ以外のこともいくらかしたが、研究関連にはかわりない。雑務でいそがしいときは、いつも研究が、救いをもとめてまぎれこむ場になっている。