日 録

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 きのう(土曜)は息子の小学校の運動会でした。
 息子は、わたしに似ずに運動が得意なのですが、すなおで、戦略性にとぼしいので、運動会本番の成果は、ふだんにくらべてかんばしくありません。
 しかしそれでも、わたしの小学生時代よりはずっと上等の活躍ぶりでした。

 運動会に行っても、親としては、ただ観戦して写真をとるくらいで、たいしてなにをするわけでもないのに、ながい時間、陽ざしと砂ぼこりにさらされるだけでも、ぐったりと疲れてしまいます。
 ことしはあまり陽ざしが強くなくて、例年よりはしのぎやすい陽気だったのに、それでもやはり、疲れます。そしてなかなか疲れがぬけません。

 ちなみに、息子のかよう(公立)小学校は、運動会のとき親に来させて、昼食時はかならず親といっしょに(親の用意した)弁当を食べるよう要求していますし、運動会の運営も PTA の役員のみなさんのただ働きにかなり依存しています。
 このようなありかたは、わたしが小学生だったころの運動会とはかなり違っていて、これでよいのか、と思わないでもありません。わたしが小学生だったころは、運動会はそもそも平日に実施していたので、親が見に来られること自体めずらしかったし、見にくることも奨励はしていなかった記憶があります(そのかわり、紅白戦の運動会とは別に、町内会対抗の運動会というのもあり、そちらは体育の日の祝日に開催して、親が参加していましたが)。
 だいたい、いまの方式では、親がどちらも都合がつかなかったり、もっといえば、親のいない子はどうすればよいのでしょうか。

 しかし、こんなことをいっても、かつて運動会が大のにが手だったわたしの全般的なルサンティマンの表現にしかきこえませんかね。
 わたしはもちろん、親に対しても、運動会など「決して見にきてくれるな」と思っていました。どうせ、はずかしいところしか見せられないのは確実でしたし。
 その点、いまの子どもたちは、すくなくとも小学生段階では、そのような屈託はほとんどないようです。とくにわたしの息子なんて、もう5年生なのに、ただ無邪気なまでに家族が見にくることを歓迎しています。

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 ところで、こどもたちが毎日のように出ては遊んでいる拙宅のささやかな庭では、くりの葉と花はますますさかんにしげり、ラヴェンダーの花はますます青くなっています。
 わたしども夫婦は、新婚のころ住んでいた借家が、広い栗畑に面していて、当時大学院生だったわたしは、窓にむけておいた机から、ありあまる時間をその栗畑をながめてすごしていたので、くりの花のかおりがただよってくると、若かったころをなつかしく思いおこします。
 そのようなこともあり、2003年に一軒家を買った直後の冬の終わりに、栗の苗木を庭に植えました。いまではそれが大きく育っています。
 きょうも庭をながめて、風にふかれていると、少しずつ疲れがひいてゆくのではないかと期待するのですが、なかなか...

 また明日からしごとかと思うと、からだのだるさが増します。まあ、ゆっくり行きたいと思います。

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