日 録

まえの記事 つぎの記事
 朝までみぞれが降っていたが、家をでるころにはやんでいて、くもり空。
 筑波はきょうは曜日振りかえのため、いつも担当している科目は休講だが、会議があって出勤。
 いつも授業をしている時間帯に、大学会館でゆっくり昼食をとり、ついでに大学会館別館の≪伊勢甚≫で茶菓を買って、研究室にむかう。



 桐葉橋をわたりきり、第一学群棟にむかってくだってゆくながい坂道の上にたつと、24年まえ、19歳のときに、筑波大学を受験のためはじめておとずれたときのことを思いだす。
 いや、思い出すというより、24年を一挙にちぢめて、あのときに立ちもどるような気になる。
 19歳のとき、見晴らしのよいこの場所(晴れた日は筑波山もみえる)に立って、みょうな希望をいだき、身ぶるいしたものだった。
 いまどきのことばでいうと、この場所はわたしにとっては「パワースポット」(笑)なのかもしれない。
 最近、大学院進学のひともふくめて、学生の卒業後の予定の話をよくきくせいか、自分も若いころのことを、甘い感傷をともなって思いおこすことが多い。
 それは当然ながら、雑務にまみれて、いったい自分がなんの仕事をしているかわからなくなりかねない現状に対する強いよびかけになる。

 なにを青くさいことを書いているか、とつっこまれそうだが、研究をつづけるには、やはり若者のこころをもちつづけていないとだめな気がする。
 さいわい、若い人たちに接することを職業としているので、そういうことを思い出すチャンスはある。

 大村はま『教えるということ』(ちくま文庫)、p.27 からの引用:

 「「研究」ということから離れてしまった人というのは、年が二十いくつであったとしても、もう年寄りだと思います。つまり、前進しようという気持ちがないわけですから。それに、研究ということは苦しいことです。ほんの少し喜びがあって、あとは全部苦しみです。その喜びは、かけがえのない貴重なものですが。研究ということは、「伸びたい」という気持ちがたくさんあって、それに燃えないとできないことです。少しでも忙しければ、すぐおるすになってしまいます。」

 なんという耳の痛い指摘!

 きょうは、おあつらえむきに、会議のあと、学生時代から同級生で、いまは同僚の和田くんと合同開催の研究会だった(昼食後に買った茶菓はこのときのためのもの)。
 大学院生もまじえて、けんめいに研究の話をしていると、なにやら生き返ったような気がする。