日 録

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 多忙というものは、それじたい、とりもなおさず不摂生ということになるようで、今週なかばから、かぜをひきこんでしまった。
 ちょうどきょうは、呼吸器科の定期受診のタイミングだったので、「ぜんそくは調子がよいけれど、かぜをひいてしまった」と告げて、薬を処方してもらった。
 じっさい、呼吸機能検査の結果はよく、「肺年齢34歳」(前回と同じ)と出た。
 調剤薬局にたちより、薬をもらってかえってきたが、薬剤師が薬の説明のなかでくちにした「鎮痛解熱剤」というごつごつとした漢語が、病身にぶつかってくるように感じた。

 きのうは、15時から20時30分という長丁場で、旧冬12月に提出されたフランス語学の卒業論文と修士論文の発表会(審査委員会をかねる)がひらかれた。
 審査対象のひとのなかに、ひとり、この1月から3月までの3か月間の短期派遣でブザンソンのフランシュ=コンテ大学に行っているひとがいて、そのひとの発表と質疑応答は、Skypeで双方の大学をつないで実施した(遠隔会議システムPolycomも双方の大学にそなわっているので、それを使えればなおよかったが、ブザンソンがわで予約ができなかった)。
 時差の関係で、その部分だけ、休憩をはさんで最後の時間帯にまわした。
 このときのためだけに、おたがい付け焼き刃でSkypeアカウントをつくって準備したが、通信そのものは意外とうまくいった。
 いま、フランス語学領域では、1年間の留学で2人、3か月の短期派遣で2人、合計4人がブザンソンに行っていて、そのひとたちも向こうがわであつまってくれて、発表会ついでにひさしぶりに肉声で話しあうことができた。
 くたびれきったからだが、ひさしぶりに、よろこびであたたまるような思いだった。

 ちなみに、いま学生を送り出している短期派遣は、文科省の気まぐれか、あるいは震災以降の国家予算が先行き不透明なせいか、前ぶれらしきものはなく、ふってわいたように突然に来た「うまい話」だった。
 昨年9月27日づけで通知されたのに、応募しめきりがわずか7日後の10月4日という、めちゃくちゃな話だったが、こうした急な募集に敏捷に反応できるかどうかということも、選別の要因になっているのだろう。
 フランス語学領域からは、果敢にも2人がこれに応募し、給費を得ている。
 わたしが院生のころはこんな制度はなかったが、かりにあったとしても、機会をつかまえるだけの「処理能力」(コンピューターに関して語られるような意味での)に欠けていたようだ。いや、いまもあまりない。
 いまのような時代になると、けっきょく、多くの案件をすばやくこなすことのできる、能吏タイプの人間がまっさきにうかびあがり、おっとりとした人間の生息空間はせばまるばかり、という気がしないでもない。