日 録

まえの記事 つぎの記事
PC050718

 快晴で、昼間はあたたかい。太平洋がわの冬はこのような日があるから、ありがたい。きょう話した北海道出身のかたが、「関東にきて、冬でもふとんが干せる日があることにおどろいた」とおっしゃっていた。

Saint Nicolas

 きょう、12月6日は聖ニコラウスの祝日だ。そして、たまたま、わたしの生まれた日でもある。聖ニコラウスの日に生まれたというと、「おめでたいやつ」と思われることがある。聖ニコラウスは、サンタクロースの原型になった聖人(Nicolaus の -colaus 部分が、Santa Claus の Claus と同根)だ。じっさい、ヨーロッパ(フランスをふくむ)の一部の地方では、子どもたちはクリスマスにプレゼントをもらうのではなく、聖ニコラウスの日にもらう。聖ニコラウスは、子ども、学生、旅人などの守護聖人なので、この聖人の紀念日に生まれたわたしは、職業的には合っていると思う(笑)。上記の北海道出身のかたから、思いがけずお祝いをいただいた(ありがとうございます)。

PC060719

 筑波大学に出勤すると、フランス語学会の編集委員会や、『フランス語学小事典』の著者としてごいっしょしている酒井智宏さんがご恵投くださった新刊書、『トートロジーの意味を構築する』がとどいていた。モディリアーニの絵をあしらった表紙、そして、フランス語学の世界でも、くろしお出版でもめずらしい、縦書きの書物だ(くろしお出版で縦書きといえば、わたしは土屋俊コレクションくらいしか思いうかばない)。
 さっそく読みたい衝動にかられたが、きょうは授業を3こまつとめないといけないので、行ったり来たりして、なんとか責めをふさいだ。しかし、(変則的3期制の)3学期初回ということもあり、まだ調子が出ていなくて、とくに5時限めでは、最後にぜひくばらなければならない次回までの課題をコピーさえしておらず、おわったあと学生のみなさんに待ってもらってあわててコピーしてきて、もどって行ってくばるという失態を演じた。
 いつもは眠りこけているかえりみちの電車のなかで、きょうはめずらしくずっと起きていて、酒井さんの『トートロジーの意味を構築する』を部分的に読んだが、期待どおり、トートロジーの問題のみならず、斯界での研究のありかた全般に対して、意義深い書物になりそうだ。きょうは個人的関心から、とくに読みたいところをさきに重点的に拾い読みしただけだが、ほかのところも、楽しみに読ませていただきたいと思う。
 書誌的情報、もくじを貼りつけておく。
 酒井智宏(2012):『トートロジーの意味を構築する:「意味」のない日常言語の意味論』くろしお出版。
 ISBN:9784874245651 四六判 434ページ 定価:2940円

 ==言語学と哲学を架橋する画期的意味論==
 あなたのまわりにいる日本語が通じない困った人たち。彼らにはなぜ「意味」が通じないのか。明晰な論述により著者が描き出すコミュニケーションの実像は,言語と人間に関心をもつ人すべてを瞠目させずにはおかない。(西村義樹(東京大学教授))

 ひとことで述べるならば、本書は、言語学が哲学に変容していく過程を描き出した本であり、(プロの言語学者にかぎらず)言語について考える人はみな哲学者にならざるをえないということを示した本である。(本書「まえがき」)

 第1章 トートロジーからの問いかけ
 1・1 トートロジーをめぐる三つの問い
 1・2 固有名を用いたトートロジーと一般名を用いたトートロジー
 1・3 第一の問いへの部分的回答と第四の問い
 1・4 二種類の「当たり前」と第五の問い
 1・5 第二の問いへの記述主義的回答
 1・6 第2章以降への旅立ちに向けて

 第2章 ラディカル語用論 vs ラディカル意味論
 2・1 ラディカル語用論
 2・2 ラディカル意味論
 2・3 ラディカル意味論への破産宣告
 2・4 ラディカル語用論ふたたび

 第3章 トートロジー論における認知革命
 3・1 等質化に基づくトートロジー論の登場
 3・2 藤田(一九八八、一九九〇、一九九三)の意義
 3・3 等質化に基づくトートロジー論への破産宣告

 第4章 トートロジーの意味を解体する
 4・1 トートロジーは恒真命題を表さない
 4・2 トートロジーはいかなる命題も表さない
 4・3 Xの意味は未定である
 4・4 言語内論証理論によるアプローチ

 第5章 トートロジーの意味を構築する
 5・1 失われたものと残されたもの
 5・2 二度目の命名行為としてのトートロジー
 5・3 使用が意味を規定していく
 5・4 意味の定義は終わらない 意味排除主義
 5・5 意味の習得に必要なもの
 5・6 トートロジーによる意味の規定
 5・7 類似性の源泉
 5・8 言語記号の恣意性
 5・9 トートロジーの話題を封じる機能
 5・10 トートロジーの規範性
 5・11 「対象なき固有名」論
 5・12 「対象なき固有名」のパラドックスとトートロジーの主観性の源泉
 5・13 実物とイメージ
 5・14 不毛なトートロジー
 5・15 信念不変の制約
 5・16 順行トートロジーと逆行トートロジー
 5・17 主題の二重性
 5・18 ディープ・トートロジー
 5・19 pをめぐるパラドックスの解消
 5・20 内的差異に関する全面的無関心を表すトートロジー
 5・21 説明拒否トートロジー
 5・22 並列型トートロジー

 終章 語りえぬものは語りえぬものか

 酒井さんといえば、日本フランス語学会、日本フランス語フランス文学会、日本英語学会、日本言語学会などで名まえは知られているだろう。とくにフランス語学会、フランス語フランス文学会では、論争的発表、論文を多く発表なさったことで知られている。今回刊行された書物も、その延長での、論争の書といえる。

 残念ながら、せまい世界のことでもあるので、学会はなかば交誼の場と化し、渾身の批判を異物のようにとりのぞこうとする傾向もある(たとえば、フランス語フランス文学会の書評誌『カイエ』が2008年に創刊されたとき、書評について、「批判をもっぱらとすることのないように」という規定がつくられた)。しかし、それは学会にとっては、自殺行為であろう。批判がタブーになってしまっては、既存の説を追認することしか残らないではないか。そのどこに進歩があるのか。
 また、とりわけ尊敬がはらわれるべき傾向(たとえば、中平解、朝倉季雄のような≪地道な語法研究≫)がさだまっていて、それとの偏差が大きければ大きいほど、研究の評価がさがったり、ときには「フランス語学ではない」「言語学ではない」とさえいわれることがある。そうしたコメントにいちいち反応することは、この場合、けっしてメタ理論的な脱線ではなく、格別の意味があると思う。というのも、「フランス語学ではない」「言語学ではない」といった発話文は、まさしく酒井さんの研究課題でもある矛盾文のひとつの変種であるからだ。
 かぎられた傾向の研究のみを尊び、研究の領野を局限してゆくならば、それはもう衰微の徴候であり、縮小再生産しかありえない。四十数年前、フランス語学会(当時の名称は「研究会」)が創設されたころのほうが、形態論、文体論など、いまよりも多様な傾向の研究が学会誌に掲載されたり、口頭発表されたりしていた。「いかにもフランス語学」という研究傾向に収斂してきたのは、そう古いことではない。そしてその収斂には、心理学でいうところの、集団における「同調圧力」が作用していなかったか。

 我田引水だが、どうしても思いだしてしまうのは、思想家ジョルジュ・パラント Georges Palante が1911年にソルボンヌに提出したにもかかわらず、指導教授のセアイユとブーグレによって審査の開始そのものを拒否された、まぼろしの博士論文 Les antinomies entre l'individu et la société (『個人と社会の対立関係』) の第11章でのべている、つぎのようなことだ。
 多くの社会的慣習、多くの規約的慣例が、暗黙の虚偽をふくんでいるのであり、その虚偽には、集団からの制裁のおそれから従わなければならないのである。ヴィニーは、かれがアカデミー・フランセーズにむかえいれられるとき、新会員が国王への讃辞を呈しなければならないという慣例をこばんだことで、アカデミーの同僚たちからの反感を買った。あらゆる集団には、あたえられる標語があり、ひとびとやものごとにたいする既成の判断がある。なんらかの集団的不誠実は、あらゆる団体精神の基本である。この精神にうごかされているひとびとは、当の集団の成員がもっていたり、もっているとみなされるいくつかのもの、いくつかの性質にたいする偏愛をもっている。また、かれらは、暗黙の協約によって、自分たちを大きくみせようとしており、世間で自分たちの性質や、その性質をもっているひとを過大評価する必要によって共謀しているのである。その集団のなかで、その連帯をうけいれないひとびと、集団が共有している資質や性質を重視しないひとびとは、うらぎりものとみなされ、ほかのすべての成員の敵意にさらされる。たしかに、ここでもまた、誠実な幻影を考慮にいれなければならない。しかしまた、集団の虚偽の部分もあることはあきらかである。それはつぎのような格率にあらわれている。「仲間の誤りは決して曝いてはならない」(OEuvres philosophiques, p.643, 拙訳)

 パラントの論文をめぐるソルボンヌでの事件から100年が経ったいまでも、じつは似たようなことが起きてはいないだろうか。ちなみに、パラントの論文が門前払いされたのは、その論文のなかに、当時ソルボンヌで支配的潮流だったデュルケム派の社会学に対する批判が多くふくまれていたことが原因だと推定されている。