日 録

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 台風が房総半島の南東沖をかすめて行った影響で、晴れて、暑くなる。
 きょうは筑波大学は曜日ふりかえのため、筑波でわたしの担当する科目は休講になる。これを利用して、まいとし秋の恒例としている、中央大学でのゲストスピーカーをつとめた。
 多摩センターからモノレールにのると、さながら空中散歩のようで、たいへん爽快だ。
 運転手の真後ろに、鉄っちゃんむけ、あるいはこどもむけに、前向きの席があり、鉄っちゃんで、かつ精神的にこどものわたしは、まよわずそこにすわって景色をながめる。

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 中央大学はひろびろとしていて、筑波大学と雰囲気が似ていると思う。

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 わたしをむかえ入れ、紹介してくれるはずのホルヘさん(コードネーム)が、きょうにかぎって、朝、山手線で起きた人身事故の影響で遅れるというので、したかなく、みなさんに事情を説明して、かってに講義をはじめた。
 不在をおぎなったという意味では、たまたま、きょうわたしが来る日でよかったともいえる。
 ホルヘさんは、はじめてから30分くらいで来た。
 90分間の講義をなんとかつとめ、いくつかの質問にもこたえた。

 「ラテン語の単純未来形、ロマンス諸語の単純未来形、現在のロマンス諸語にみられる迂言的未来形が、いずれも歴史的には分析的(迂言的)形式から出発して綜合的形式へと移行する。そして、やがてはすたれて、それぞれあらたな形式にとって代わられる」
 という Fleischman の周期説を批判して、
 「迂言的未来形のように助動詞前置型の場合は、(メキシコなどの一部のスペイン語方言で綜合化しつつあるとはいえ)、ほんとうに綜合化してしまうと助動詞の人称変化が接合部分に吸収されてしまうので、綜合化しづらく、ロマンス語の単純未来形とは同列には論じられない」
 という趣旨のことを言った部分に対して、
 「たとえばロシア語の再帰動詞は、再帰代名詞が接尾していても、動詞本体の語尾屈折が保たれているではないか」
 という、するどい質問をいただいた。
 「たしかに、再帰代名詞などが接辞化するときは、動詞本体の活用がそこなわれない事例がけっこうあるようだが、迂言的未来形が綜合化している事例には、活用が失われ、その代償に主語代名詞を必須化しているものがある。代名詞と助動詞でちがうのかもしれない」
 というような返答をした。
 
 おわったあと、ホルヘさんとわたしと、学生3人(そのうち2人はまえから知り合い)でいっしょに昼食をとり、ホルヘさんがべつの担当科目をつとめるあいだ、学内で、学生2人とコーヒーをのむ。
 すべておわったあと、おなじメンバーで高幡不動にゆき、ワインをのむ。4人でワイン2本と、プラスアルファ、べつの酒ものんだが、だらだらと時間をかけてのんだせいか、ほとんど酔わなかった。

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 帰宅後、ネットでニュースを読むと、けさ山手線で起きた人身事故は、中学1年生の女子生徒が五反田駅で電車に飛びこんで起きたもので、自殺だったとみられているという。
 そんな年齢で自殺とは、あまりにも悲愴なことで、とても「電車がとまることが迷惑だ」などという気はなくなる。