日 録

 大学院のわたしの担当授業で、14時から17時30分まで白熱した議論をかわした。
 おわったあと、院生のみなさんと大学近隣の « 灯禾軒 » にくりだし、熱燗のニホン酒で乾杯。

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 偶然、となりの席に、他専攻所属の知りあいの院生、「ざしき~」くんが来られ、ときならぬ交流をたのしんだ。
2017年1月、フランス出張日誌
 ブザンソンにあるフランシュ=コンテ大学での博士論文審査員(じつは予備審査報告 pré-rapport を書く担当でもあった)をひきうけ、公開審査がひらかれる1月17日を中心として、1週間ほどフランスに出張してまいりましたので、以下に時系列にそって報告をお目にかけます。

 2017年1月14日(土)
 成田に前泊のため、16時ころ自宅を出発。息子は合唱の練習で留守 (だが、息子を送り出すときにたがいに声をかけあった)。娘は妻と昼寝をしていたが、出るときはかならず起こしてね、といわれていたので、声をかけてから出る。1週間、こどもたちと会えないかと思うとさみしい。外はとても寒い。
 18時ころ成田につき、京成成田駅ちかくのホテル(といっても、奇矯な女性社長が目立っているホテルではない)にチェックイン。ホテル近隣の « イオン » で飲みものなどの買い物をし、« かつや » でとんかつの夕食。

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 寝るまえにみたニュースで、わたしの聖地、新潟県十日町市が豪雪にみまわれているところがうつる。

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 2017年1月15日(日)
 今回のホテルは送迎つきなので、8時30分にホテルをでて、9時まえには空港(第1ターミナル)につく。AF275便は11時45分から35分に、10分出発を早めたとのこと。

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 あずけ荷物を入れ、両替をして、安全検査まえに飲みほしておくべき飲みものを飲みきったら、9時30分くらいに出国。保安検査、出国カウンターともすいていて、9時40分ころには搭乗口まで達してしまう。ひどく時間があまった。なるべくひとけのないベンチにすわり、公開審査の予習。観光庁の職員が、出国しようとしている観光客とおぼしいひとに詳細にアンケートをしている。ニホンはすでにじゅうぶんすぎるほど(ある意味で消費者を甘やかしてだめにするほど)歓待的な国なので、これ以上「おもてなし」に磨きをかけなくてもいいかな、と個人的には思う。
 AF275便は早めた出発時間に達しても機内に案内されることはなく、けっきょく11時40分ころ搭乗。ほぼ定刻に出発した。効率的に乗り込ませるために出発時間に関してさばをよんだのではないかとうたがいたくなる。機内は文字どおりの満席。これだけ混んでいたら、直行便のメリットをうち消すとさえ思う。
 きのう、オンラインチェックインしたのだが、にが手な窓がわしか空席がなかった。もちろん通路がわに変更することもできない。しかし窓から、利根川や霞ヶ浦、さらには筑波山神社の赤い鳥居がみえたりして、それなりに楽しい。下の写真では、うつっている霞ヶ浦の左端が土浦。

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 新潟の雪景も見えたが、すぐニホン海に出てしまい、写真をとりそこねた。
 窓がわ座席だから、トイレにいくために迷惑になってはいけないと思い、なるべく飲みものをひかえたが、結局、12時間の飛行で2度トイレにいった。わたしとしてはうんと少ないほう。
 ただし食事には赤ワインをつけ、洋なしの食後酒ももらった。

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 16時に着陸、16時20分に駐機場へ。パリはみぞれまじりの雨がふっている。

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 飛行機をおりたら、あずけ荷物もうけとらずに Roissyval という空港内新交通システムにのらないといけない、直観に反する構造だ。入国審査が非常におそく(ずらりとならんでいる窓口のなかで、EUのパスポートと、ほかのパスポート、それぞれ1つずつしかあいていないので、まるで行列をさばけない。半年前に経験したポーランドでのEUへの入境のほうがずっとよかった)、17時15分ころまでかかる。17時20分にあずけ荷物のうけとり場所へ。わたしのスーツケースはすでにテーブルをまわっていた。

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 RERの駅に移動し、17時45分第2ターミナル発。ダンフェール=ロシュローDenfert-Rochereau でメトロにのりかえ、18時45分ころオルレアン門 Porte d'Orleans へ。19時ころホテルへ。
 ホテルちかくのスーパーが、自社サイトで日曜も21時まで営業していると書いていたので安心していたが、じっさいに行ってみると13時まで(12時45最終入店)だった。あとで Google をみると、正確な情報があった。しかし、自社ホームページ以上に Google のほうがただしいって、どうなのよ。
 しかたなく、ホテル内で軽食と飲みものを買って飲み食いし、シャワーをあびて、ひさしぶりにインターネットに接続し、たまっていたメールに返信して就寝。

 2017年1月16日(月)
 時差ぼけで5時ころに目ざめる。これでも寝たほうだ。テレヴィのニュース局(BFM)をつけると、昨夜左派の大統領選予備選の討論会のとき、オランド大統領が劇場に劇を見にいっていたことが、候補者に対する挑発(provocation)ではないかという憶測が出ていた。かりにそうだとしても、自分の任期がおわったら自分のしごともおわりなのだから、知ったことではないという態度はべつにわるくはない、むしろある意味で健全だと思う。それに、放っておいてくれたほうがあとのひとはやりやすいのではないか。しかしオランドは観劇について釈明し、« Le théâtre, ça détend » (演劇というのは、リラックスさせてくれる)といっていた。ここで、総称文と ça の用法に興味をもつのが言語学徒としてありがちだろう。もうひとつ、言語学徒が興味をもちうるポイントとしては、予備選を primaire とよぶのは、アメリカの大統領選挙の予備選を primary とよぶことに影響された外来語法だと規範主義者が批判していることだろう。

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 それから、おなじテレヴィのニュース局の天気予報で、température ressentie という用語が出てきた(以前は天気予報ではこの用語は出てこなかった)。風を勘案して、実際の気温より低く出る「体感気温」といったところ。いまから数日は、体感気温はいうにおよばず、実測にしてもほとんどずっと氷点下のようだが、「頭寒足熱」といった感じで、中途半端に寒いよりも、わたしにとってはここちよい。
 昨日以来とどいていたメールに返信したあと、明日の公開審査の準備。9時、近所のスーパーの開店にあわせて買い物にゆき、朝・昼食をかねた食事をホテルでとる。11時ころ、ようやくひととおりできあがる。正午チェックアウトという寛大なホテルなので助かった。大荷物をあずかっておいてもらい、11時45分ころ出て、駅でカルネを買って地下鉄でカルティエ・ラタン Quartier Latin にむかう。

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 鉄っちゃん的に遠回りして、とちゅう、La Motte-Picquet という、たいへんなつかしいところ(留学時代、Champs de Mars の近くに住んでいたので)にたちよった。
 ソルボンヌ広場 Place de la Sorbonne の入り口の角に、かつてはフランス大学出版局 Presses universitaires de France の書店があったものだが、いまでは Nike の店になっていた。商業化に浸蝕される左岸。

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 « Gibert Jeune » の言語学書専門の支店で、来年度の専門の授業で講読教材にできそうな本をえらぶ。

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 これまたなつかしい « Royal Luxembourg »(留学時代、よくここで院生どうしで集まっていたものだ。ちなみに、1968年5月革命のときには、このカフェのまんまえにバリケードがきずかれたことでも有名だ)で生ビールをのむ。留学時代よりずっと洗練されており、わかいひとが経営していた。

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 15時30分ころ再出発してホテルにとってかえし、大荷物を受け取ってリヨン駅 Gare de Lyon に向かう。Porte d'Orléans からリヨン駅に行くとき、巨大すぎて不便なシャトレー Châtelet でののりかえをさける方法はないかとしばらく考えたが、1回ののりかえを2~3回にふやさないかぎり、明らかに、ない。しかし、4号線から14号線へののりかえがたいへん近く、しかも4号線はシャトレーを出るとリヨン駅までとまらないので速い。
 リヨン駅は改装されて、とてもきれいになっていた。各所にあたらしく優雅な名まえがつけられていた。たとえば、1990年代にはただ屋台にちかいカウンターがずらりとならんでいるだけだったながい廊下は、いまでは Galerie des Fresques になっていた。しかもカウンターはすべてとりのぞかれて、壁になっていた。

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 わたしののるTGVの発車番線がなかなか表示されない。あとから出るリヨンゆきのTGVに順番をぬかされる始末。そうこうするうちに、10分遅れるという放送がきこえる。TGVはブザンソンゆきではなく、ドイツのフライブルク・イム・ブライスガウ Freiburg im Breisgau ゆきの国際列車。2階だてのTGV。

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 切符の指定席標示に fenêtre haute (高い窓) と書かれていて、天窓みたいなものか、と思っていたら、2階席のことだった。となりにドイツ人のおじさんがすわって、みょうに礼儀ただしいひとで、しかも Michel Onfray の最新著書を読んでおられたので、「同志!」と思った(とてもしずかな車内だったので、そこまでは話していない)。
 ブザンソンにTGVの新駅(Besançon Franche-Comté駅)ができたことから、てっきり全区間が新線かと思いきや、ディジョン Dijon 近辺では在来線をはしるので、あまり速くない。ディジョン駅は Dijon Ville といい、中心街近くにある。こうなると、ブザンソンのように新駅をつくった都市だけが、不便をしのんで損をしているような気もする。というのも、Besançon Franche-Comté 駅から旧来の Besançon Viotte 駅へは新設連絡線(未電化単線)にのりかえなければならないのだ。ディジョンからブザンソンのあいだも、ひとたび新線にのりいれれば時速320キロを出すので、速いことは速いが、便利かというと疑問だ。

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 雪のせいか15分くらいおくれたが、Besançon Franche-Comté 駅での接続に余裕があったので吸収でき、定刻20時に Viotte に到着。フランシュ=コンテ大学のルボー先生が迎えにきてくださり、ホテルまで送っていただく。

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 « Best Western Citadelle » というはずかしい名まえだが、2009年にきたときにもとまったことのある、旧名称 « Granvelle » という瀟洒なホテルだ。シャワーをあびて、ほとんどすぐ就寝。

 2017年1月17日(火)Jour J
 朝食込みのホテルだったので、ふだんはめったに食べない朝食をホテルでとる。時差ぼけもあって朝5時に起きるから、食べてもよいだろう。

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 朝9時半に出て、Rue Claude Goudimel にある大学施設にむかう。フランシュコンテ大学国際部のかたととお目にかかるはずだったが、そこにはいないという。べつのところ(Rue de l'Orme de Chamars)にある建物にまわされ、15分おくれでようやく合流し、話しあいに同席する。

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 正午から、審査員どうしでの直前打ち合わせをかねて、レストラン « 1802 » で昼食をとる。牛のほほ肉のブルゴーニュ風煮物がおいしかった。フランス式で、しごとのまえなのにワインものむ。アルボワのピノ・ノワール。

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 14時からいよいよ本番。博士論文の公開審査会に審査員のひとりとして参加。話す順番が2番めなので、フランスでは慣習的にいって批判役か?と思ったが、話しはじめるときにルボー先生に確認すると、かならずしもそうではないというおこたえで、安心して話す。とはいえ、たいへん緊張した。ぎこちないコメントや質問になってしまったが、なんとか、かろうじて自分のつとめを果たした(つもり)。

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 ニホンの博士論文審査といちばんちがうところは、学位授与にかんして審査員が全権をあたえられていて、大学は審査結果を事後的に追認するだけなので、その場でなにがしかの時間の審査の結果、「言語学博士の学位を授与します」という遂行文を審査員代表が宣すれば、その場で、その瞬間から候補者は博士になるということだ。ニホンでは、学内での審議承認事項として諸会議にかけないといけないだけでなく、課程博士なら学年末まで必要単位がそろうかわからないこともありうる(もっとも、博士ともなると必要単位は何年もまえにそろっていることが多いが)。
 フランスとニホンのもうひとつ大きな違いは、フランスではごく最近まで、審査結果は合否だけでなく、mention(評語)がついていたということだ。低い順に、« honorable » (名誉な), « très honorable » (たいへん名誉な), « très honorable avec les félicitations du jury » (審査員の祝福つきで、たいへん名誉な), « très honorable avec les félicitations du jury à l'unanimité » (審査員総員一致の祝福つきで、たいへん名誉な) の4つがあった。最低評価でも「名誉」になるのは、もちろん、博士号を得ること自体が名誉だからだろう。この用語は、近代初期の市民社会のにおいがする。これに対し、昨秋から変わったこととして、それらの評語は全廃され、かわりに、« Oui » (合格), « Non » (不合格), « Oui, après corrections » (修正ののち合格) の3つしかなくなった(わたしはこのことをきょうはじめて知った)。現職のオランド大統領が数十年ぶりにおこなった改革だ。
 きょうの審査結果は合格で、れいの遂行文が発せられ、めでたく終わった。フランス語で pot という、その場でのお祝い。Tariquet という、ガスコーニュ Gascogne の白ワインがとてもおいしかった。
 さらに、夕食をかねてレストランでもお祝いをしよう、ということになっていたが、きょうは不思議なことに、ドゥー川 Doubs が輪状にとりまく中心街のレストランはのきなみ休みなので、しかたなく、輪から出たところにあるカジノのなかにはいっているレストランにくりだした。カジノに行くこと自体はじめてだが(べつに自分が品行方正だと主張したいわけではない。かけごとを避ける程度には打算的な人間だというだけだ)、レストラン自体は洗練されていて、非常によかった。ローヌの赤ワインをのむ。

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 筑波大学からブザンソンに留学中の学生・院生のうち、わたしが直接知っている3人(そのうち、ひとりは昨年の春からことしの春まで、ふたりは昨年の夏からことしの夏まで留学)はそろってごいっしょくださり、お元気なようすに接することができた。とりわけ、12月におきた筑波大学からフランシュ=コンテ大学に留学していた女子学生が行方不明になった事件で、衝撃をうけていることにはちがいないが、それでも気丈に、留学自体は予定どおり最後までがんばりたいという意志をもっているようだ。3人それぞれと、今後の学修・研究などの相談を明日午後にすることになった。24時ころに帰還。わすれられない、感動的な日になった。
 フランシュ=コンテ地方の天気予報。

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 フランス全国の天気予報。

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 2017年1月18日(水)
 酔いざめと時差ぼけが同時にきてしまったようで、4時に目ざめてしまう。7時から朝食。10時から昨日朝とおなじ国際部にゆき、今後フランシュ=コンテ大学より応募予定のプロジェクトの書類作成にかかわる具体的な相談。12時30分ころまで熱心に話す。
 « Le Petit Polonais » にゆき昼食。牛のあばら肉。素朴ながらおいしい。ねだんも安い。

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 午後は留学中の学生とホテルのロビーで会い、今後の学修について相談をうける。
 さらに、夕方17時から留学中の大学院生と会い、今後の研究について相談をうける。まず « Brasserie Granville » でコーヒーをのみながら、学会発表の予定、博士論文の構想について話す。18時30分ころ出てまちなかをあるきまわる。ちいさな町のこととて、さきほど会った学生とすれちがう。相談のつづきという口実のもと、夕食もごいっしょしていただく (ニホンではともかく、フランスではひとりではレストランにはいりづらい)。≪ Les Tables d'Antan ≫ で鮭とシャンピニョンがおおくはいったグラタン、Gratin du pêcheur をたべる。とてもおいしい。また、アルボワ Arbois の赤ワインを1本、ふたりで空けた。ここちよい酔いで、終わりよければすべてよし、という気になる。ブザンソン最後の夜にふさわしい夕食になった。

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 2017年1月19日(木)
 やはり時差ぼけで、5時起床。こうなったら時差ぼけをなおさないほうが、帰国後安心かもしれない(笑)。
 来年度大学院科目のシラバスうちこみのしめきりが経過して、一刻も早く入力せよというメールがきていたので、あわてて入力する。
 7時50分、エールフランスのウェブサイトで、明日の飛行機のオンラインチェックインをする。往路とちがって、きっかり出発の30時間前、オンラインチェックインがはじまる瞬間を期していたので、ばっちり通路がわ座席を確保できた。
 8時30分ころから朝食をとる。ここも正午チェックアウトという寛大なホテルなので、チェックアウトはしないで、9時30分から開店する « Galerie Lafayette » にゆき、こどもたちへのおみやげをさがすが、目ぼしいものはなかった。パリについてからにしよう。

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 11時ころチェックアウト。シャルル・ノディエが住んでいた家のまえをとおって、ゆるやかに、シャマール Chamars の電停まであるき、2年ほどまえにできた路面電車にのってヴィオット駅へ(前回2009年にきたときは、まだ工事さえはじまっていなかった)。

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 待合室で、一昨日博士を取得なさった K さんといっしょになる。それぞれに予約したものの、たまたま、パリまで同じ便で行くことになっていた。しかしTGVの車輌はちがうので、いったんブザンソン・フランシュ=コンテ駅でわかれる。また2階席。12時48分発。フランスらしいひろい野原をかけぬけ、15時パリ・リヨン駅着。

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 K さんと再合流し、駅からほどちかいブラッスリーにゆき、白ビールの生をのむ。

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 16時ころリヨン駅を辞し、先週日曜とおなじ Porte d'Orléans のホテルへ。フロントのひとが、「ニホンに行ったことがある」と言っておられ、すこしばかり気にいられたのか、いつもよりひとまわり広い、快適な部屋をあてがわれた。
 18時ころホテルを出て、ガリエニ Galliéni へ。ガリエニは、パリ市のとなりのバニョレ市 Bagnolet にあり、大規模店舗が規制されているパリからほんの1歩出たばかりのところに、巨大なショッピングセンターがある。パリのなかをへたにあちらこちら回るより、ここだけでいろいろなものがそろう。とはいえ、今回はあまり気にいったものがなく、チーズ、お菓子などのおみやげを買う。ハイパーマーケット « Auchan » で、売り場の分類が天井から看板で吊り下がっているのだが、ヌガー nougat の上位語(分類用語)である confiserie をど忘れしてしまって、広大な売り場で苦労した。一方、にんじんしりしり carottes râpées、レバノン風ひきわり小麦 taboulé など、ホテルで夕食がわりにたべるものと、Ottweiler Pils というドイツのビールを買ってくる。Ottweiler Pils は1本1ユーロ未満と激安なのに、かおりがとてもよく、おいしい。さすがドイツ、さすがカールスベルク Karlsberg だ(デンマークのカールスベルクとはちがう)。20時30分ころホテルに帰着。シャワーをあびてから夕食。

 2017年1月20日(金)
 あいかわらず時差ぼけで、5時起床。パソコンをいじったり、左派の大統領予備選のニュースをみたりして、時間をすごす。昨夜の残りもののにんじんしりしりを朝食がわりにたべて、荷づくりをして、10時すぎにホテルをでる。うまいぐあいに、ダンフェール=ロシュローからのったRERが、北駅を出たら空港まで停まらない最速の便だったので、10時50分ころには空港駅着。搭乗券、あずけ荷物のタグの印刷を端末で自分でするようになっていて、それをすませたら、あずけ荷物の計量、あずけ入れも自分でするようになっていた。なれるまではめんどうだが、結局はこのほうが速い。すべてすませると11時35分くらい。出国はロワシーの空港にしては比較的すいていて、11時45分ころ出国、Roissyval にのってから、保安検査をうけ、正午ころ、搭乗口につながり、免税店のならぶ、通称「物欲ゾーン」に到達。すこしだけ、おみやげを買い足す。

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 ロワシーでは、成田とちがって、かなり早くから搭乗することになっている(あれはどうしてだろう?)。13時50分発予定だが、13時10分ころには搭乗。給油などに手間どったようで、すこしおくれて14時10分ころにうごきだし、14時30分に離陸。
 高畑充希主演「植物図鑑」をみる。半年まえの出張では、土屋太鳳主演の「オレンジ」をみて泣いてしまい、はずかしかったので、もう飛行機のなかで映画はみるまいと思っていたが、「植物図鑑」は少しは内容を知っていて、これなら安心だろうと思って見た。それでも泣いてしまった。どれだけ涙もろいのか。としをとったということか。
 機中泊。とはいえ、となりに子どもづれがいて、ゲームに興じていたので、ほとんどねむれなかった。

 2017年1月21日(土)
 8時半ころに朝食が供される。9時55分成田に着陸。10時10分降機、ただちに入国。10時30分にあずけ荷物をうけとり、税関を通過。47分には京成特急で空港発。30分くらいで空港を脱出できる迅速さがニホン的。しかし、とちゅう、のりかえついでに昼食を食べたことと、あまりにも眠気で地元の電車を乗り過ごしてしまい、帰宅は14時ころ。8歳の娘が抱きついて歓迎してくれた。息子は中学校の合唱団から音楽之友社にCD収録に行っていたが、もどってきたらやはり歓迎してくれた。
 としあけ初めての平常授業。といってもきょうは、大学院をふくむ、まったり系の授業ばかり。
 大学院の授業がおわったあと、北千住に移動し、沖縄料理店 « うるま島2 (ターチ) » で新年会。
 12月に修士論文を提出なさった、コードネーム「ブランシュ・ネージュ」さまへの慰労会を兼ねて、総勢7人が集まり、オリオンビールで乾杯。たいへん楽しく、ひさしぶりにはじけてしまった(笑)。

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 ブランシュ・ネージュさまはアイドル状態で、みんな最前列でヲタ芸をおどっているファンのようになり、楽しい酒宴になった。
 あけましておめでとうございます。
 ことしもどうぞよろしくお願いいたします。

 まずは、昨年の正月にたて、公表した( http://palantien.blog137.fc2.com/blog-entry-342.html )目標がどの程度達成されたかをふりかえってみます。

 (1)冬休み前に初校を返し、としあけ始業後に再校がくる予定の科研費論集を、1月中に刊行する。⇒達成!
 (2)11月末にしめきられ、現在査読中、3月から編集されて6月刊行予定のフランス語学会研究促進プログラム『パロールの言語学』論集の刊行を編者としてめざすとともに、そこに投稿したわたし自身の論文も公刊できるようつとめる。⇒達成!
 (3)ロマンス語学会で、科研費でごいっしょしているかたがたとともに、統一テーマでの発表や論文執筆をめざす。⇒達成!
 (4)応募済みで、1月末に要旨査読結果が判明する予定の、時制専門のシリーズ Cahiers Chronos 主催の学会(6月にフランスのカーン Caen で開催予定)で、もし採択されれば発表する。⇒達成!
 (5)2年越しの目標である、認知モードとアフォーダンスに関する論文を執筆し、公刊をめざす。⇒未達成。この問題は非常にむずかしい。2017年5月のロマンス語学会大会に応募し、強制的に研究を進展させるつもり。
 (6)11月に大学書林にあずけた原稿がもしみとめられれば、著書刊行をめざす。⇒未達成。大学書林にまる1年原稿を放置され、「編集の開始をお願いしているのではなく、見通しだけ知らせてほしい」と再三要請しても明確な返答が得られなかったので、こちらから同社での出版を願い下げとするむねを伝え、11月、科研費研究成果公開促進費に応募した。結果は2017年4月に判明予定。

 というわけで、6件中4件達成、達成率66.7%といったところです。
 これにこりずに、以下に2017年の目標をたて、公表します。

 (1)前年未達成の(5)をうけ、2017年5月のロマンス語学会大会で認知モード関連の発表をし、3年越しの課題を論文化する。
 (2)前年未達成の(6)をうけ、単著新刊書を2017年9月までに刊行する。
 (3)(2)とはべつの単著新刊書(ジェロンディフ、現在分詞関連)を2017年3月までに刊行する。
 (4)(2)、(3)とはべつの単著新刊書(白水社、中級文法新3部作のうちの1作)を2017年秋(詳細しめきり未定)までに脱稿する。
 (5)現在初稿進行中の共著書に書いたダニエル・ルボー先生との共著論文を2017年5月に刊行する。
 (6)2016年12月に原稿を提出したくろしお出版の論文集の単著論文を2017年10月に刊行する。
 (7)2017年度が最終年度のわたしが代表者の科研費の論文集を2017年12月に刊行する。

 もののみごとに刊行課題ばかりで、しかも、わたしひとりがいくらがんばってもどうにもならない案件もありますが、研究者たるもの、論文や著書を江湖に問うてなんぼのものだと思いますので、これらの目標をかかげて奮闘いたしたいと思います。

[後刻追記] ちょっと途中をはぶきすぎでした。ことしの目標の(2)は、もちろん、科研費の研究成果公開促進費が採択されることが前提なので、その前提がくずれると、この案件は再出発を強いられます。
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