日 録

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 明日(4月末)がしめきりのニューズレター編集作業、5月10日の学会発表の準備、そして5月末がしめきりの論文の執筆など、文事でいそがしく、なかなかこちらを更新できません。
 そのかわり、下記のところではちょくちょく書いておりますので、よろしければご笑覧ください。

 つぶやき≪Avec à la lèvre un doux chant... ≫
 http://piyo.fc2.com/palantien/
Centre

 きょう、大学入試センターから通知がきて、在任中はもちろん、退任後1年間経過するまで義務的にだまっていたわたしの経歴を公表できることになりました。
 わたしは、2011年4月から2013年3月まで、大学入試センター試験の出題委員(正式名称:「教科科目第一委員会委員」)をつとめておりました。
 おしゃべりなわたしが、就任半年前にこのしごとをひきうけてから、2年間の任期、その後1年間の秘匿期間にいたるまで、よく3年半もだまっていられたな、とわれながら感心します(笑)。

 しかし、当時、昼食に梅ヶ丘の≪美登利寿司≫のちらしずしをたべたとか、しごとがおわったあと神泉、渋谷、池尻あたりで酒宴を張ったというような話は書いていたので、見るひとが見ればある程度の推測はついたかもしれません。しかし、わたしから核心的事実を明かしたわけではないので、おゆるし願いたいと思います。
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 新年度の繁忙の塵裡に閑をぬすんで、わたしにとっては新情報の多い長谷川秀樹『コルシカの形成と変容』(三元社)、およびジャニーヌ・レヌッチ『コルシカ島』(クセジュ文庫、長谷川秀樹・渥美史訳)をたのしみに読んだ。
 これらの書物の一般的な有用性はみとめておいたうえでだが、非常に残念に思ったところがあるので、しるしておきたい。それは、すくなくとも『コルシカの形成と変容』の執筆時には、長谷川氏はどうやら、イタリア語(やコルシカ語)の語強勢の位置が、語末からふたつめの音節(paenultima)に(ほとんど)固定していると誤解しておられたふしがあるということだ。
 たとえば、いきなり「はじめに」で出てくるのだが、「父の時代に島を追われて、ナポーリに亡命し、そこで青年期を過ごしたパオリ」(13ページ)というくだりがある。Napoli では語末から3つめの音節(antepaenultima)に語強勢が来ることは、イタリア語の初級の授業で出てくる常識だ。したがって、語強勢音節にカタカナで長音符をつけたければ、どうしても「ナーポリ」としるさなければならない。ナーポリがイタリア屈指の大都市であることを考えると、これはイタリア語にかんする知識であると同時に、イタリアにかんする知識というべきであろう。「ナポーリ」などという表記をみると、直感的には、「ナポーリってどこやねん?」と反応したくなる。
 たかが語強勢の位置と思うかもしれないが、このようなことの重要性は、言語研究に思い入れのあるひとにはわかってもらえると思う。率直にいって、この程度のイタリア(語)の知識のもちぬしが、コルシカ研究をしてよいのだろうかと思ってしまう。

 じつは、それどころではない。もっとおどろいたことに、当の「コルシカ」のコルシカ語による発音さえまちがえているのだ!コルシーガ」という表記が随所にみられる(たとえば同書135ページ、185ページなど)が、これもたいへんなまちがいだ。Corsica の語強勢もまた antepaenultima にくるので、カタカナの長音符で強勢位置を示したければ、ただしくは「コールシガ」としるなさければならない。
 コルシカのひとびとに、「コルシーガ」なんて言ってしまった日には、それこそ、ご本人が危惧なさっているとおり、「眉をひそめられる」(同書214ページ)ことは必定だろう。呵呵。
 快晴。昼間は暑いほどの陽気になるが、湿度がひくく、しのぎやすい。

 テルアヴィヴ大学の Bat-Zeev Syldkrot 先生の講演会があり、「発言動詞 dire の文法化 (grammaticalisation) と熟語的凝結 (figement)」という題目にたいへん興味があったので、11年ぶりに東京外国語大学に行ってきた。

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 ちなみに前回東京外大に行ったのは、ともだちの川島浩一郎くん(現在は福岡大学教授)の博士論文公開審査のときだった。
 飛田給から行こうとしたら、当日たまたま東京スタジアム(現在は味の素スタジアム)で浜崎あゆみのコンサートがあって、ごったがえしていて、えらい目にあったのも、いまではよい思い出だ。
 さすがに、外国語に本格的にとりくもうとするひとたちのつどう大学だけあって、雰囲気がよい。

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 講演の内容は、dire をもちいたいくつかの表現(on dirait、disons、c'est-à-dire、on va dire、pour ainsi dire、pour tout dire など)を実例とともに検討する、堅実に記述的な研究で、たのしくきけた。
 とくに、disons が、Retrouvons-nous demain, disons midi au café de la gare. のような例で、結局は aux alentours de midi のような近似表現(approximatif)としてはたらくという指摘は、はずかしながらわたしにとっては新しかった。わたしは、disons については、pour ainsi dire に近い意味(これも近似表現にはちがいないが、どちらかというと表現の適切性を問題にするメタ言語的機能だろう)しか認識していなかった。

 よけいなことだが、西武多摩川線の車両の塗色が黄色から白に変わっていたのにおどろいた。

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4月9日(水)
 会議のため出勤。合い間に、たまっていた雑務を(すべてではないが)かたづける。

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 わたしは大学院在籍の5年間、日本育英会の奨学金を受給していた。受給とはいっても、有り体は借金だ。当時の制度では、教員をはじめとする「免除職」につけば、勤続15年で奨学金の返済が全額免除(15年に満たないときは比例計算で免除)されるということになっていた。
 2000年に大学の専任教員(免除職のうちのひとつ)になって、そのむねをとどけ出てからは、2年に1度、4月に「免除職在職届」という書類がとどいて、職場の在職証明をもらって送り返していたが、ことしはとどかないので、日本学生支援機構に電話で問いあわせてみた。
 わたしは現在、免除職への就職以来14年経過したところだが、来年15年で全額免除なので、その前年にかぎっては、「2年に1度」というペースをくずして、在職届を省くということがわかり、ほっとした。しかし、そのことをあらかじめ知らされているわけではないので、「忘れられたか?」と思ったものだ。
 問い合わせたことで、あらためて来年が「全額返済免除」の年だと意識した。「返済免除」というのはいかにも正式の、生活感覚のない用語だが、率直な感覚をともなって言いなおすと、どうみても、「お礼奉公の年季明け」だ(笑)。

 かつての日本育英会は、上記のように、まがりなりにも就学期の若者を経済的にたすけ、かつ教職について次世代を支援する立場になることを奨励する制度でもあったが、いまでは独立行政法人化され、日本学生支援機構になったことで、ずいぶん性質が変わった。
 まず「免除職」という一般的規定がなくなり、返済免除が、学会での受賞歴があるなど、とくにすぐれた業績をあげたものに対する表彰的な意味合いを帯びることとなった。このことの理由づけは、「学修へのインセンティヴ」ということだが、そのうらで、圧倒的多数の奨学生にとっては、奨学金が「純然たる借金」となり、卒業(修了)後、確実に負担としてのしかかってくると感じられるようになった。
 もちろん、「免除職」時代も、あくまでも「貸与」だったので、「借金」にはちがいなかったが、それをとりまく条件がまったくちがっていた。じっさい、いまでは「純然たる借金」の本質をむきだしにするかのように、ワーキングプアーにあえぐ返済滞納者からの債権も容赦なく回収会社にまわし、個人信用情報のブラックリストに登録する。延滞金は年10%とあって、もはや「官製学生ローン」というほかない。
 そのようなことから、いまでは、大学院生でも、日本学生支援機構の奨学金に危険を感じ、申請を避けるひとが格段に多くなった。それが賢明だと思う。ただでさえ先行き不透明なのに、官製学生ローンを借りてしまったら、不透明性にレヴァレッジをかけるようなものだから。

 しかし、本当の問題は、独立行政法人化して体質がかわったことではない。むかしもいまも、給付型の学生支援が欠如していることが問題だ。
 OECD加盟の30か国で、「給付型の学生支援がなく、かつ大学の学費が無料化されてもいない」というふたつの悪条件をかねそなえるのは、ニホンだけだ。
 このようにして、次代をになうはずの若者を苦しめつづけていると、やがてはニホン全体の衰亡をまねくことは、火をみるより明らかだ。むしろ、もう手おくれかもしれない。

 [後日追記] 2015年5月29日づけで特別免除通知をうけとった。下記記事を参照。
 http://palantien.blog137.fc2.com/blog-entry-304.html

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 しごとがおわったあと、親しい大学院生の「えるたそ~」さん、「ざしきー」くんとの2人と待ち合わせて、≪西安≫でビールをのんできた。「ざしきー」くんはフランス語学以外でわたしがよく知っているかずすくない院生のひとりで、哲学(メルロ=ポンティなど)が専門だ。
 この店の、山椒をきかせた茄子の揚げ物が絶品で、このためだけにでも飲みに来たいくらいだ。
 しかし、カメラをわすれてきたので、前世代スマホでみにくい写真しかとることができない(しかも茄子の料理の写真はとらなかった)。

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 最後はかならず、この店の看板料理である麻辣刀削麺をたべる。これがまた絶品だ。

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 4月10日(木)
 人文学類の新入生オリテンテーション。午前中全体説明、午後はコース別説明と個別相談という日程だが、わたしは学類の教育課程委員なので、いずれの会にも説明要員として出席する。
 フランス語学コースには6人の新入生が個別相談にきてくださり、まだコース選択はだれも決まっていないものの、来てくれた人はほとんど仏語学概論や仏語音声学・音韻論を履修してくれそうな感触だった。
 交流協定校のフランシュ=コンテ大学への6か月の派遣(給費つき)から今春もどってこられた4年生のMさんが手伝ってくださり、質問にこたえるなどしてくださった。そのおかげか、フランシュ=コンテ大学への派遣にも興味をもつひとが多いようだった。
 人文学類(入学定員120人)では、入学後、4主専攻・18コースのあいだで学生にまったく自由にえらんでもらっているので、各主専攻・各コースに何人の学生が来るかは年によってちがう。
 二十数年前、わたしが学生だったころは、言語学主専攻が最大の主専攻だったものだが、いまでは史学主専攻などに人気があり、言語学に当時のいきおいはない。
 しかし、どういうわけか、今年は言語学主専攻全体の人数が復調に転じたようで、各コースとも盛況だった。主専攻全体では30数人、ひょっとすると40人近くかもしれない。
 個別相談に来た新入生のみなさんがいだいておられる清新な情熱に接すると、自分の初心を思い出すようで、このうえなくよろこばしい。
 今週から本格的に始業だ。きのうときょうの記録をのこしておく。

 4月7日(月)

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 午前中、娘の小学校の入学式なので、わたしもついてゆく。
 5年まえ、息子が小学生になったときは、なにやら、幼年時代を足早にかけぬけ、制度に組みこまれるようになったことを惜しむような気もちになったものだが、われわれ親もそのことに慣れたこともあり、また、娘がじつにあっけらかんとした性格で、今後が楽しみでしかたがないといったふうなので、気らくに送りこむことができた。

 午後から筑波に出勤。学群(学部)の入学式は午前中、大学院の入学式は午後だったが、まえの職場とちがって、わたしは列席しなくてよい。大学院の文芸言語専攻とフランス語学領域のガイダンスが夕方16時から順次おこなわれる。
 フランス語学領域のガイダンスがおわったら18時ころで、それから、新入生歓迎会と称して、教員、在学生、新入生うちそろい、天久保3丁目の≪きく乃家≫にゆく。

 はじめだけビールをのみ、とちゅうから薩摩のいも焼酎≪七夕≫をのむ。
 刺身やぼたん鍋をたべて、満足する。
 酒がまわってくると、新入生、在校生など関係なく話したいことを話したが、へんに気どらず、ふだんのすがたをみてもらったほうが早く慣れてもらえるだろう。

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 ぼたん鍋のあとにはうどんを入れ、芹をたっぷり入れてたべる。

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 最後に、さくらの芽のてんぷらをいただいた。はじめて食べたが、とてもかおりがよい。漢方薬としても使われるらしい。

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 4月8日(火)
 会議のためつくばに出勤。
 ついでに、きのうできなかった雑務をいくつかかたづける。

 午後、まいとし5~6回研究会を共催している同僚の和田くんとふたりで、大学会館にややおそめの昼食をたべにゆき、いろいろと話すことができた。

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 晴れて、あたたかい。夜は雨。

 昼食後、こどもたちをつれて、となりまちの片平というところまで散歩した。
 麻生川というせまい川の両側がさくら並木で、「さくらのトンネル」とよばれる花見の名所になっている。いまが満開だ。
 しかし、残念ながらあたらしい道路を通したり、そのまわりを整備するために、かなり桜が切りたおされ、以前にくらべるとさみしくなった。「保護樹林」という看板が泣いている。「保護樹林」の看板を立てたのも、道路を通すため木をきりたおしたのも、おなじ行政なのだから、あきれかえる。

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 まいとし、花見の季節になると、蕪村の「春風馬堤曲」をおもいだす。

春 風 馬 堤 曲   
                謝 蕪 邨

 余一日問耆老於故園。渡澱水過馬堤。偶逢女歸省郷者。先後行數里。相顧語。容姿嬋娟。癡情可憐。因製歌曲十八首。代女述意。題曰春風馬堤曲。

   春 風 馬 堤 曲  十八首

○やぶ入や浪花を出て長柄川
○春風や堤長うして家遠し
○堤ヨリ摘芳草 荊與蕀塞路
 荊蕀何妬情 裂裙且傷股
○溪流石點々 踏石撮香芹
 多謝水上石 敎儂不沾裙
○一軒の茶見世の柳老にけり
○茶店の老婆子儂を見て慇懃に
 無恙を賀し且儂が春衣を美ム
○店中有二客 能解江南語
 酒錢擲三緡 迎我讓榻去
○古驛三兩家猫兒妻を呼妻來らず
○呼雛籬外鷄 籬外草滿地
 雛飛欲越籬 籬高墮三四
○春艸路三叉中に捷徑あり我を迎ふ
○たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に
 三々は白し記得す去年此路よりす
○憐みとる蒲公莖短して乳を浥
○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
 慈母の懷袍別に春あり
○春あり成長して浪花にあり
 梅は白し浪花橋邊財主の家
 春情まなび得たり浪花風流
○郷を辭し弟に負く身三春
 本をわすれ末を取接木の梅
○故郷春深し行々て又行々
 楊柳長堤道漸くくだれり
○嬌首はじめて見る故園の家黄昏
 戸に倚る白髮の人弟を抱き我を待
 春又春
○君不見古人太祇が句
  藪入の寢るやひとりの親の側

 「馬堤」とは、「毛馬(けま)の堤」の謂いで、いまでいえば旧淀川の毛馬閘門のちかくの堤防のことだ。「澱水」とは(旧)淀川のこと、「江南語」とは大阪方言のことだ。
 大阪でうまれそだったわたしは、なんどか花見の季節に馬堤をおとずれたことがある。
 しかし、東京の隅田川(「濹堤」というようだが)あたりの上品な花見とちがって、欲望に忠実な大阪人は、花見となると七輪をもちだして、馬堤のあちらこちらでホルモン焼きを焼くもので、さぞやさくらも煙たかろう、という光景だ。「花よりだんご」どころではない。蕪村がみたら嘆くだろう。

 自宅の黄水仙も8分咲きといったところだ。

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 きょうから4月。晴れて、昼間はあたたかい。
 拙宅の庭にも、例年白水仙よりおくれて咲く黄水仙が、ようやく咲きはじめ、春たけなわになった。
 黄水仙は花が大きく、頭でっかちなので、風や雨でたおれやすいのだが、今年は、種がよくとぶようにと、青じその枯れ枝を残しておいたら、それがうまいぐあいに黄水仙の花をささえてくれている。これはいい、と思ってそのままにしている。

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 大学にはいって、フランス語を本格的にまなびはじめたころ、フランス語では白水仙(narcisse)と黄水仙(jonquille)でそれぞれ1語のことなる単語をつかうことを知り、感激したのも、いまではふるい思い出だ。

 ひつじ書房『フランス語学の最前線』第2巻によせた拙論の校正に手を焼いている。
 社内での校正(「内校」)で、ゲラに正しく出ていた原稿の「稿」という字を、わざわざ「のぎへんに喬」という、珍妙な誤字に校正しているなど、新たな問題点を作り出しているのだ。わたしがさらにそれを直し、正しい字にもどさなければならない始末だ。
 こんな余計なことをするくらいなら、編集者なんていない方がましだと思う。

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