日 録

 ここ数日は関東の梅雨らしい涼しい日がつづいていましたが、きょうは陽が照り、暑くなりそうです。
 いくつかいただきものをしましたので、ここでご紹介します。

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 野矢茂樹先生、西村義樹先生から『言語学の教室』(中公新書)の献本をいただきました。
 対談形式でたいへん気らくに、認知言語学の発想を学ぶことのできる書物です。
 3年前、野矢先生、西村先生とともにわたしも登壇させていただいた、早稲田大学でのシンポジウム( http://wjunya.blog39.fc2.com/blog-entry-139.html )がひとつの契機となって、このような斬新な企画につながったとのことで、かげながらよろこばしく思っております。

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 古屋雄一郎さんから『超釈 日本文学の言葉』(学研)の献本をいただきました。
 日本の小説から、名言名句というべき引用を大きく紹介し、作品のあらすじ、作家の簡介を脚註に出し、さらに独自の読みを提示する解説をほどこしたものです。
 日本文学の宝庫にちかづく手がかりとして、そして文学とのつきあい方の手ほどきとして、多くのかたがたに読まれるべき一冊とお見受けしております。

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 わたし自身は偏愛がはげしい人間ですので、好きな作家が多くふれられていることをここちよく感じる一方、かなりあった読まずぎらいの部分についても、すでにいくらか目をひらかされるような思いをしております。

 なお、当初の計画とちがって、小説以外は採録しないなど、とちゅうで編集方針が変わったため、日の目をみなかった原稿もあるとのことです。
 古屋さんのサイトの一角で、それらを読むことができます:
 http://www.theatrum-mundi.net/critics/literatura.shtml

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 隣家のかたから、庭になった枇杷をいただきました。酸味とかおりがさわやかです。

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 あいかわらずいそがしく、しばらく余裕がなかったので、以下には一昨日のことを2日遅れで書く。

 一昨日、こどもたちの児童手当関係の手つづきなど、いくつかの用事があり、しごとに行くまえに町田市役所に行ってきた。
 町田市役所は昨年夏から新庁舎に移転して、以前にくらべると駅から遠くなり、不便になった。
 新庁舎の豪華なことにはあきれかえる。バブル期によくいわれた「タックス・タワー」さながらで、時代錯誤もはなはだしい。市民からとりたてた高い税金で建てているのだから、商業ビルが豪華なのとはわけがちがう。永井荷風なら「贓吏の巣窟ならざるや」などと書きそうだ(実際、現市長が政治資金規正法違反で罰金刑を受けた経歴の持ち主で、つまりは「贓吏」そのものだ)。

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 隣接する相模原市から町田市に引っ越してきてからことしで10年がたつが、相模原市との比較においても、町田市の行政は、はるかに劣悪だ。しかも、不満な部分にかぎって、改善のきざしはほとんどない。率直に言って、とくに子育て世代には町田市に住むことを推奨できない。

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 ところで、先週末「予定よりおくれている」と言及したアンジェでの学会のプログラムは、まだできていないようだ。
 http://transgression.over-blog.com/programme
 もっとも、これについては、早く見たいというわけではなく、上記の別件に関するごとく不満たらたらではない。9月末から10月はじめにかけての学会のことは「まだ先の話だ」という気がわたしもするので、ましてフランスがわでは、もっとゆったりとかまえているにちがいない。6月末にできれば上等だろう。
 梅雨といっても、2度の台風接近(2度めは早々に台風ではなくなったが)のとき以外、まとまった雨はふっていないので、から梅雨のようだ。
 そのかわり、連日の溽暑はたえがたい。

 きのう(土曜)は月例で連続開催される研究会と学会のため、茗荷谷の跡見学園女子大学に行ってきた。

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 研究会と学会の合い間に、飲みものを買うついでに屋上にでると、梅雨どきとはおもえない爽快さだった。

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 しかし、週のとちゅうからたまりつづけていた疲れが夜になったらふきだし、帰宅後はメールの返事も書けずに就床。
 きょう(日曜)は朝寝をして、なんとか回復したつもりだ。

 9月末から10月はじめにフランスのアンジェで開催される学会に応募し、発表が採択されたので申し込んでおいたが、「6月15日から公開」とされていたプログラムが、きょう(23日)になってもまだ公開されていない。採択通知もおくれたので、この程度の遅れはフランス的には「平常運転」とみるべきだろう。

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 きょうはよく雨がふり、ようやく梅雨らしい天気になったとおもったら、この雨は近づきつつある台風の影響だそうですね。

 どこの大学でも、まいとし教員業績評価をしていると思いますが、わたしの勤務する筑波大学では、今年度から、作業の軽減を目的として、これまで紙媒体でおこなっていた作業をすべてオンライン化することになりました。
 そのために構築されたシステムの名前が、「筑波大学教員業績評価支援システム Tsukuba Evaluation Support System for Professors' Achievement」なのですが、英訳名称のかしら文字(の一部)をとってつくった略称 TESSA を通称にするそうです。
 きょう、会議で TESSA という名まえがはじめて発表されたとき、近くにすわっていた同僚教員がくすくす笑っていたので、わたしはおもわず、代弁の意味でも、

 ♪武器をとるか~、それとも鉄鎖 (TESSA) か~?

 とくちずさんでしまいました。最近、こわれぎみです(笑)。

 翌日追記: ふぐの刺身の「てっさ」を連想したひともいるのではないか、とあとから思いいたりました。
 「鉄鎖」と「てっさ」では断然後者のほうが幸福な連想、と思いましたが、「てっさ」の「てつ」は、「てっちり」の「てつ」とおなじく、「鉄砲」からきているそうです。ふぐも鉄砲も「当たると死ぬ」ので。
 それをふまえると、どちらにしても、あまりいい連想は出てこなさそうですね。
 きょうは18時から、旧知のかたがた6人(わたしをいれると7人)で、半蔵門≪Elio Antica Forneria≫にあつまり、イターリア料理をたべながら、いまからちょうど20年まえのなつかしい話に興じた。たのしい夜だった。

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 料理もワインもおいしかった。水牛のチーズは、当日できたものをナーポリから空輸しているという。新鮮なだけあり、まったくくせがなく、すがすがしいおいしさだった。また、さいごにのんだ、≪Vecchio Amaro del Capo≫が、からだにしみるような味と香りだった。薬効があるといわれれば信じるだろう。
 ちなみにこのお店は、原発事故以降の食の安全に配慮してできた飲食セイフティーネット( http://fbsnetwork.com/shoplist.html )の加盟店だ。自宅で購入する食品については産地などを気にしているひとでも、外食のときはなかなか徹底できないものだ。そんななか、おいしさと安全を両立させることのできる、とてもいい店だった。

 折しも、江戸川で採取されたうなぎから100グラムあたり140ベクレルの放射性セシウムが検出されたと、きのう報じられたところだ。放射性物質は泥とともに河川から徐徐に流れ込んでくるので、東京湾の汚染のピークはまだこれからだそうだ。
 11月、紅葉がすすむたびに写真をとるのとおなじように、いまは庭のラヴェンダーの青色が濃くなるたびに写真をとってしまいます。

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 わたしどもが植えたのは上の2枚の写真にあるものですが、自然に種が飛んで、意図しないところにもどんどん生えてきました。
 なぜか、勝手に生えてきた場所のほうが、花の色が濃いような気がします。
 なんの世話もしないのに、きれいに咲いて、いいかおりがします。

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 発表が採択されたアンジェでの学会に登録の意思表示をして、登録票を送りかえしたのだが、参加費を国際送金すると、送金手数料が参加費の半分くらいかかってしまうらしく、ばかばかしい。
 事務局からの通知によると、参加費は学会当日、アンジェに到着してから支払ってもよいが、学会参加が確定的とみなせるよう、航空券のコピーを送ってほしいということだった。
 そこでさっそくきのう、航空券の空席照会をかけて、きょう、予約してもらった。
 エールフランスで、9月27日に出国、10月6日帰国というスケジュールだ(本当は、科研費が「初年度ひかえめプラン」なので、ことしは資金に余裕がなく、経由便もさがしたが、いろいろ調べていると、一見安い経由便でも、空港税や燃油加算など、諸費用部分が高く、けっきょく直行便と大差はなかった)。
 今週中には発券してもらえる予定なので、発券されしだい E チケットの PDF を学会事務局にも見せるつもりだ。
 アンジェ滞在中の宿泊は、混雑するのでさきにおさえていたが、往復の日程もきまったところで、ほかの宿泊も、きょうひととおり予約した。
 パリで前回とまった、パンテオンの裏手のサンシエに近いホテルがなくなっていたようなので、はじめてのこころみで、モンパルナスの南がわの14区のホテルを予約した。
 モンパルナス付近がよいと思ったのは、アンジェへの TGV がモンパルナス駅発着なのと、空港からも RER の B 線でダンフェール・ロシュローまで1本で来られるので。
 (ちなみに、フランスの地方都市に出張するとき、空港からいきなり地方都市にむかう TGV に乗ったり、帰りもおなじような行程をくむひとがいるが、往路の飛行機や、とくに復路の TGV が遅れたりするといっぺんに旅程が崩壊するので、わたしはそのようなことはしないときめている。えっ、行きも帰りもパリで遊びたいからだろうって?)
 SNCF のホームページにゆき、TGV を予約しようと思ったら、きょうのところはまだ早すぎて無理だった。乗車の3か月まえから予約できるとのこと。

 実はわたしは前回は去年ウズベキスタンに、そのまえはチュニジアに出張したが、フランスにゆくのはしばらくぶりだ。
 はずかしながら、いまから(紋切り型でいうように)「期待に胸をふくらませて」いる。もっといまふうにいうと、「うはwww夢がひろがりんぐwwwwww」(この表現があみだされたのは最近のことだろうと本気でおもっていたが、じつはこの元ねたは2004年にさかのぼるらしい)。
 そのようなわけで、せっせと準備をしていると、やや躁状態になってくる。いまもけっこうハイだが、ここであまり調子にのるとかならず反動がくるので、日常的には慎重をこころがけよう、と自分にいいきかせる。

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 きょうから6月。拙宅の庭のラヴェンダーの花は、ますます青くなってきている。青むらさきにもういちど青をまぜたような、この色あいが好きだ。

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 きょうはフランス文学会春季大会と同時開催のフランス語学会シンポジウムに出席のため、国際基督教大学にはじめて行ってきた。
 正門からはもう巨木になったさくら並木がつづいていて、春に通りかかると壮観だろう。
 (巨木ということは老木ということでもあり、このままでは倒れるおそれがあるとして切りたおされた株もあった。しかし、もとの木からとった枝を苗木にして、また植えるそうだ)

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 学内はうつくしく、本館のまえの芝生がなだらかな丘になっているところも、ここがニホンであることをわすれるような、よいながめだ。

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 「認知言語学の功罪」と題されたフランス語学会のシンポジウムは、学会ホームページ( http://www.sjlf.org/2013/04/ )にもかかげられている趣意文をよむと、いまにも認知言語学を葬り去ろうとするいきおいだが、実際にはじまってみると、東大の西村義樹先生をはじめとし、パネリストのかたがたはそろって、「どんなレヴェルの言語形式にも認知プロセスが反映している」といった「極論」はとらない、ということで、いわば身をかわすような反応だった。
 しかしそれなら、どこまでなら言語形式に認知プロセスが反映し、どこからは反映しないか、という境界画定が必要になるだろう、それはどこか、という反問は当然出てくるだろう。そして、その反問はまったく正当だと思うのだが、一方で、そうして「程度問題」の議論に乗ること自体、ほんらい尖鋭であるはずの思想的な問題点を鈍らせることにはならないか、という危惧もある。

 ラネカーやテイラーによって書かれた「原典」(この語は、宗教思想において集中的な訓詁の対象になる、ひとにぎりのテクストを想起させる)をしっかり精確に読んでいれば、そのような誤解は生じない、という発言を耳にしたとき、わたしは、田中克彦が『チョムスキー』を出版したあと、田中克彦と原口庄輔とのあいだで『月刊言語』の1983年8月号、10月号でくりひろげられた論争を思い出した(もちろん、わたしは1983年にそれを読んだわけではないが)。
 というのも、当時、原口庄輔が書評で、田中克彦の『チョムスキー』にたいして、まさしく、チョムスキー(の原典を)しっかり精確に読んでいれば、そのような誤解は生じない、といった種類の反論を書いていたからだ。
 それにたいする田中克彦の再反論(『言語』1983年10月号)は、全篇にわたってたいへんおもしろい文なのだが、いま問題にしている点だけ引用しよう。

 たしかにチョムスキー自身も、自分は一度も深層構造が諸言語を通じて共通だなどと言ったおぼえはないと言っている。しかし、共通でない [「ない」に圏点。引用者註] といってしまうと、こんどは深層構造などというものを設ける意味はほとんどなくなってしまい、それは生成文法の存在理由そのものをあやうくしてしまうことにさえなりかねないではないか。言ったとか言わぬではなくて、理論の骨組みの中には、あえて言われないことでありながら、ぬきさしならない背景をなしているものがひそんでいる。

 たんに野次馬的に、波瀾をたのしみにしているだけではないか、といわれるかもしれない。べつに、そのように解釈してもらってもかまわないのだが、多少の不便をしのんでも、あえて当該の潮流のなかでもっとも急進的な「最大限綱領」を貫徹してみることで、その帰結をより鮮明に見さだめるというこころみもあってよいと思っている。
 学的な「最大限綱領」は、政治的なそれとちがい、ひとを不幸におとしいれることはない。本当のゆきづまりだとわかれば、それはそれでよい。ためしてみようという、こころの余裕があるかどうかという問題だろう。

 きょうのシンポジウムは、会場校、ならびにフランス文学会との関係で、時間の制約があったのが残念だったが、わたしもふくめて、聴衆に考えさせるところの多い、したがって好ましい企画だった。
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