日 録

 慶應義塾大学の川口順二先生の退任記念論集を同大学の喜田浩平さんが編集してくださり、このたび電子ジャーナルとして公刊されました。わたしも論文一篇をよせております。下記アドレスから全文が閲覧できます。
 テーマが多彩で、さまざまな関心に応じた論文がふくまれているものと思います。よろしければご覧ください。

 喜田浩平(編)(2012):『川口順二教授退任記念論集』慶應義塾大学
 http://web.keio.jp/~kida/hommage_kawaguchi.pdf

 ≪もくじ≫

  空間移動表現の意味拡張について
  「くる」とvenir の場合
  阿部 宏

  Quand les restaurants restauraient
  France Dhorne

  フランス語におけるオノマトペ効果について
  春木 仁孝

  中間構文と総称的受動文
  井口 容子

  反実仮想条件文に見られる半過去に関する一考察
  井元 秀剛

  対立の接続詞tandis que, alors que, pendant que の意味と用法について
  石野 好一

  一人称のトリック的用法について
  泉 邦寿

  メトニミ・メタファと人物名をめぐって
  「区別の解消」と「抽象度」
  川島 浩一郎

  「発話者」から「トーン」へ
  論証的ポリフォニー理論の可能性
  喜田 浩平

  Émile Benveniste lecteur des penseurs antiques
  sur Noms d’agent et noms d’action, pp. 166-167 et
  Catégories de pensée et catégories de langue
  Kazuya Maejima

  商品名をめぐって
  冠詞の使用と発話者の態度
  中尾 和美

  アイロニーの談話戦略
  フランスの新聞・雑誌におけるアイロニーを例として
  西脇 沙織

  副詞juste とその周辺
  小熊 和郎

  Transmettre があらわす伝達と全体性
  須藤 佳子

  フランス語と日本語における指示と照応
  談話モデルの観点から
  東郷 雄二

  Toujours と「やはり」
  ステレオタイプ再確認型の副詞
  渡邊 淳也
 きょうは冬至。東京の最高気温は9.8度。しかし数字ほど寒くは感じない。
 補講のため、午後から白百合女子大に出講。「なまけものの節句ばたらき」ともいう。
 補講期間ということで、参加者もすくなかったが、まったりと授業をしてきた(意欲のあるひとだけが来てくれているので、かえってやりやすいとも感じる)。
 閑散とした大学はけっこう好きだ。これもなまけものの徴候か。
 白百合の学内では、まいとし恒例のクリスマスツリーがきれいだった。

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 すでに年内の平常授業がおわっているなんて、白百合は余裕があって、うらやましいかぎりだ。
 筑波では、12月25日が卒論の提出しめきり、そして、26日まで平常授業がつづく(もっとも、26日は全学的に曜日ふりかえで月曜扱いなので、わたしは授業をしなくてよいけれど)。
 昨晩までのつめたい雨がやみ、きょうはいくらかあたたかくなった。きょうの東京の最高気温は15.6度。
 しかしこのあたたかさはきょうだけで、明日は晴れても真冬の寒さになるそうだ(あすの東京の予想最高気温は8度)。

 きょうは筑波大学では全学的に授業の曜日ふりかえ(月曜扱い)の日なので、わたしの担当授業はなく、当初は大学には行かないつもりだったが、いくつか用事ができてしまったので、やはり出勤した。

recueil

 用件のうちのひとつは、印刷所からできあがってくる論文集を受けとること。
 9月ころからがんばって編集・校正をしてきたので、できあがってくるとたいへんうれしい。
 6人で書き、126ページあるので、基盤Cカテゴリーの科研費報告書にありがちな「薄さ」(たとえば50~60ページ程度の)ではなく、一定の存在感がある。
 また、わたしが全体のPDFファイルを作成して、それを版下にしてもらったうえ、わがままをいって、刷り上がりの余白の広さなどもこまかに指定したので、ほぼ思いどおりのできあがりだ。表紙の色も、わたしの好きな色ににさせてもらった。
 一括献本先の半分くらいはきょう、あて名書き、封入をして送り出した。事務室で送り出そうとすると、原始的に、何十枚もの封筒に、あて名をいちいち手書きしていることにおどろかれた。
 といっても、「筆蝕」(石川九楊の用語)につよいこだわりがあるわけではない。パソコンで印刷するなら印刷するで、しかるべき形式でデータをとりそろえて、プリンターの規格にあうあて名ラベルをそろえて、といろいろたいへんなので、それなら手書きで、と思ってしまうのだ。
 きょう、時間切れであて名が書けなかった残りは、封筒だけもってかえって、内職よろしく自宅であて名書きをしたので、明日送り出せる見込みだ。

 というわけで、予定献本先のみなさま、いましばらくお待ちください。
 また、一部のかたがたには、お近くの執筆者のかたがたからお渡しいただく相談になっております。

 フランス語と日本語におけるモダリティ
 2008年度~2012年度科学研究費補助金 基盤研究(C) 課題番号20520348
 「フランス語および日本語におけるモダリティの意味論的研究」(研究代表者:渡邊淳也) による論文集

 も く じ
 はしがき 渡邊 淳也
 科学研究費の概要

 論 文(著者名あいうえお順に掲載)
 フランス語の複合過去の主観性―知覚によって特徴づけられた事態― 安西 記世子
 ローラン・ゴスランのモダリティ論―表象の認定としてのモダリティ― 伊藤 達也
 日本語とフランス語のモーダルな不定表現 金子 真
 過去時制と非現実解釈     川島 浩一郎
 矛盾文と自然言語における規範性の源泉 酒井 智宏
 叙想的時制と叙想的アスペクト 渡邊 淳也
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 しばらくいそがしくて書けなかった。いくつかの委員会のしごとにくわえて、修士論文、卒業論文のしめきりがまぢかで、とくに修士論文にとりくんでいる複数の学生が、メールの添付ファイルで、修論全体の原稿を「どさっ」とおくってきて、こちらからコメントを返すということをくりかえしているので、読みつづけていると目がつかれて、パソコンの画面を見るのもつらい。

 明日が総選挙だが、予測では自民党が大勝しそうだということで、唖然とする。まだ東日本大震災の余震が、マグニチュード8の大きさで来るだろうというときに、原発を動かしつづけようとする政党ばかりが支持を拡大しそうなのは、あたかも集団自殺のエートスが蔓延しているかのようだ。そもそも、これほど大問題の原発が、じゅうぶん争点化されているとはいいがたい。
 たしかに、民主党に幻滅して自民党に出もどる有権者が相対的に多いことは多いのだろうが、小選挙区制プラス多党分立で、3割の得票でも議席を独占できる、いわば格差拡大装置のようになっているのが悪いと思う。前回民主党が大勝したときにくらべて、はるかに政党の数が増えたので、この弊害が増幅していることは明らかだ。この弊害があるからこそ、是正のために比例代表並立制とし、復活当選などもさせているのだろうが、衆議院の定数削減となると、ほとんどいつも、ただでさえ比率の小さい比例代表制をさらに減らす。
 20年ほどまえ、細川護熙と密談して小選挙区の割合を300にふやす改悪をしたうえで、現在の選挙制度の道をひらいた元凶ともいうべき河野洋平が、12日水曜の朝日新聞でインタビューされていて、小選挙区制が極端な結果をたたき出すことに関して、恥知らずにも「正直、こうなることは予想していなかった」とこたえていた。なにを言うか、という感じだ。当時から予測され、よく警告されていたことではないか。
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 快晴で、昼間はあたたかい。太平洋がわの冬はこのような日があるから、ありがたい。きょう話した北海道出身のかたが、「関東にきて、冬でもふとんが干せる日があることにおどろいた」とおっしゃっていた。

Saint Nicolas

 きょう、12月6日は聖ニコラウスの祝日だ。そして、たまたま、わたしの生まれた日でもある。聖ニコラウスの日に生まれたというと、「おめでたいやつ」と思われることがある。聖ニコラウスは、サンタクロースの原型になった聖人(Nicolaus の -colaus 部分が、Santa Claus の Claus と同根)だ。じっさい、ヨーロッパ(フランスをふくむ)の一部の地方では、子どもたちはクリスマスにプレゼントをもらうのではなく、聖ニコラウスの日にもらう。聖ニコラウスは、子ども、学生、旅人などの守護聖人なので、この聖人の紀念日に生まれたわたしは、職業的には合っていると思う(笑)。上記の北海道出身のかたから、思いがけずお祝いをいただいた(ありがとうございます)。

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 筑波大学に出勤すると、フランス語学会の編集委員会や、『フランス語学小事典』の著者としてごいっしょしている酒井智宏さんがご恵投くださった新刊書、『トートロジーの意味を構築する』がとどいていた。モディリアーニの絵をあしらった表紙、そして、フランス語学の世界でも、くろしお出版でもめずらしい、縦書きの書物だ(くろしお出版で縦書きといえば、わたしは土屋俊コレクションくらいしか思いうかばない)。
 さっそく読みたい衝動にかられたが、きょうは授業を3こまつとめないといけないので、行ったり来たりして、なんとか責めをふさいだ。しかし、(変則的3期制の)3学期初回ということもあり、まだ調子が出ていなくて、とくに5時限めでは、最後にぜひくばらなければならない次回までの課題をコピーさえしておらず、おわったあと学生のみなさんに待ってもらってあわててコピーしてきて、もどって行ってくばるという失態を演じた。
 いつもは眠りこけているかえりみちの電車のなかで、きょうはめずらしくずっと起きていて、酒井さんの『トートロジーの意味を構築する』を部分的に読んだが、期待どおり、トートロジーの問題のみならず、斯界での研究のありかた全般に対して、意義深い書物になりそうだ。きょうは個人的関心から、とくに読みたいところをさきに重点的に拾い読みしただけだが、ほかのところも、楽しみに読ませていただきたいと思う。
 書誌的情報、もくじを貼りつけておく。
 酒井智宏(2012):『トートロジーの意味を構築する:「意味」のない日常言語の意味論』くろしお出版。
 ISBN:9784874245651 四六判 434ページ 定価:2940円

 ==言語学と哲学を架橋する画期的意味論==
 あなたのまわりにいる日本語が通じない困った人たち。彼らにはなぜ「意味」が通じないのか。明晰な論述により著者が描き出すコミュニケーションの実像は,言語と人間に関心をもつ人すべてを瞠目させずにはおかない。(西村義樹(東京大学教授))

 ひとことで述べるならば、本書は、言語学が哲学に変容していく過程を描き出した本であり、(プロの言語学者にかぎらず)言語について考える人はみな哲学者にならざるをえないということを示した本である。(本書「まえがき」)

 第1章 トートロジーからの問いかけ
 1・1 トートロジーをめぐる三つの問い
 1・2 固有名を用いたトートロジーと一般名を用いたトートロジー
 1・3 第一の問いへの部分的回答と第四の問い
 1・4 二種類の「当たり前」と第五の問い
 1・5 第二の問いへの記述主義的回答
 1・6 第2章以降への旅立ちに向けて

 第2章 ラディカル語用論 vs ラディカル意味論
 2・1 ラディカル語用論
 2・2 ラディカル意味論
 2・3 ラディカル意味論への破産宣告
 2・4 ラディカル語用論ふたたび

 第3章 トートロジー論における認知革命
 3・1 等質化に基づくトートロジー論の登場
 3・2 藤田(一九八八、一九九〇、一九九三)の意義
 3・3 等質化に基づくトートロジー論への破産宣告

 第4章 トートロジーの意味を解体する
 4・1 トートロジーは恒真命題を表さない
 4・2 トートロジーはいかなる命題も表さない
 4・3 Xの意味は未定である
 4・4 言語内論証理論によるアプローチ

 第5章 トートロジーの意味を構築する
 5・1 失われたものと残されたもの
 5・2 二度目の命名行為としてのトートロジー
 5・3 使用が意味を規定していく
 5・4 意味の定義は終わらない 意味排除主義
 5・5 意味の習得に必要なもの
 5・6 トートロジーによる意味の規定
 5・7 類似性の源泉
 5・8 言語記号の恣意性
 5・9 トートロジーの話題を封じる機能
 5・10 トートロジーの規範性
 5・11 「対象なき固有名」論
 5・12 「対象なき固有名」のパラドックスとトートロジーの主観性の源泉
 5・13 実物とイメージ
 5・14 不毛なトートロジー
 5・15 信念不変の制約
 5・16 順行トートロジーと逆行トートロジー
 5・17 主題の二重性
 5・18 ディープ・トートロジー
 5・19 pをめぐるパラドックスの解消
 5・20 内的差異に関する全面的無関心を表すトートロジー
 5・21 説明拒否トートロジー
 5・22 並列型トートロジー

 終章 語りえぬものは語りえぬものか

 酒井さんといえば、日本フランス語学会、日本フランス語フランス文学会、日本英語学会、日本言語学会などで名まえは知られているだろう。とくにフランス語学会、フランス語フランス文学会では、論争的発表、論文を多く発表なさったことで知られている。今回刊行された書物も、その延長での、論争の書といえる。

 残念ながら、せまい世界のことでもあるので、学会はなかば交誼の場と化し、渾身の批判を異物のようにとりのぞこうとする傾向もある(たとえば、フランス語フランス文学会の書評誌『カイエ』が2008年に創刊されたとき、書評について、「批判をもっぱらとすることのないように」という規定がつくられた)。しかし、それは学会にとっては、自殺行為であろう。批判がタブーになってしまっては、既存の説を追認することしか残らないではないか。そのどこに進歩があるのか。
 また、とりわけ尊敬がはらわれるべき傾向(たとえば、中平解、朝倉季雄のような≪地道な語法研究≫)がさだまっていて、それとの偏差が大きければ大きいほど、研究の評価がさがったり、ときには「フランス語学ではない」「言語学ではない」とさえいわれることがある。そうしたコメントにいちいち反応することは、この場合、けっしてメタ理論的な脱線ではなく、格別の意味があると思う。というのも、「フランス語学ではない」「言語学ではない」といった発話文は、まさしく酒井さんの研究課題でもある矛盾文のひとつの変種であるからだ。
 かぎられた傾向の研究のみを尊び、研究の領野を局限してゆくならば、それはもう衰微の徴候であり、縮小再生産しかありえない。四十数年前、フランス語学会(当時の名称は「研究会」)が創設されたころのほうが、形態論、文体論など、いまよりも多様な傾向の研究が学会誌に掲載されたり、口頭発表されたりしていた。「いかにもフランス語学」という研究傾向に収斂してきたのは、そう古いことではない。そしてその収斂には、心理学でいうところの、集団における「同調圧力」が作用していなかったか。

 我田引水だが、どうしても思いだしてしまうのは、思想家ジョルジュ・パラント Georges Palante が1911年にソルボンヌに提出したにもかかわらず、指導教授のセアイユとブーグレによって審査の開始そのものを拒否された、まぼろしの博士論文 Les antinomies entre l'individu et la société (『個人と社会の対立関係』) の第11章でのべている、つぎのようなことだ。
 多くの社会的慣習、多くの規約的慣例が、暗黙の虚偽をふくんでいるのであり、その虚偽には、集団からの制裁のおそれから従わなければならないのである。ヴィニーは、かれがアカデミー・フランセーズにむかえいれられるとき、新会員が国王への讃辞を呈しなければならないという慣例をこばんだことで、アカデミーの同僚たちからの反感を買った。あらゆる集団には、あたえられる標語があり、ひとびとやものごとにたいする既成の判断がある。なんらかの集団的不誠実は、あらゆる団体精神の基本である。この精神にうごかされているひとびとは、当の集団の成員がもっていたり、もっているとみなされるいくつかのもの、いくつかの性質にたいする偏愛をもっている。また、かれらは、暗黙の協約によって、自分たちを大きくみせようとしており、世間で自分たちの性質や、その性質をもっているひとを過大評価する必要によって共謀しているのである。その集団のなかで、その連帯をうけいれないひとびと、集団が共有している資質や性質を重視しないひとびとは、うらぎりものとみなされ、ほかのすべての成員の敵意にさらされる。たしかに、ここでもまた、誠実な幻影を考慮にいれなければならない。しかしまた、集団の虚偽の部分もあることはあきらかである。それはつぎのような格率にあらわれている。「仲間の誤りは決して曝いてはならない」(OEuvres philosophiques, p.643, 拙訳)

 パラントの論文をめぐるソルボンヌでの事件から100年が経ったいまでも、じつは似たようなことが起きてはいないだろうか。ちなみに、パラントの論文が門前払いされたのは、その論文のなかに、当時ソルボンヌで支配的潮流だったデュルケム派の社会学に対する批判が多くふくまれていたことが原因だと推定されている。
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 はやくも12月になった。

 変則的3学期制の筑波大学では、11月23日の祝日から月末まで、つかのまの秋休みだった(ただし、なんども書いているように、開学以来40年つづいた3学期制は今年度いっぱいで廃止されるので、秋休みがあるのはことしが最後だ)。
 秋休み中には推薦入試の業務があり、つくばに泊まらないといけないはずだったが、今回は免除された。これは個人的にはうれしい知らせだが、組織としては残念なお知らせだった(受験生が予想より少なかったことが理由なので)。

 この1週間は、2学期試験の採点(といっても、まだ全部は終わっていないが)をしたり、10月末に提出したふたつの論文のうち一方は校正、もう一方は、査読コメントを受けての改稿をしたり、昨年12月以来つづけてきた主語不一致ジェロンディフの例文検索作業をしていた。
 主語不一致ジェロンディフの検索作業は、この12月3日で開始からまる1年を閲することとなるが、ちょうど70%の進捗状況だ。したがって、単純な比例計算では、全体で17か月少々、いまからはあと5か月少々かかることになる。
 この作業は、あたかも大きな編み物のように、あるいは雨だれが岩をうがつように、気がとおくなるほど少しづつしか進まない。ことしの夏ころまでは、obstination をやしなうのにたいそう苦労したものだが、いまでは、この作業はすっかり習慣化した(じつは、しばらくほかの用件にかかりきりになったあと、またこの作業にもどってくると、快楽さえ感じるようになった!)ので、今後は苦労と思わないで最後までいけそうな気がする。
 一度全体を調査しておけば、主語不一致ジェロンディフ全般にかかわる研究のみならず、動詞のタイプによってことなる個別事例の研究など、いろいろな研究に生かせるので、ぜひ終わらせたい、、、とここに書くのは、もちろん自己鼓舞だ。

 ことしは12月1日から2日が週末なので、秋休みが2日のびるはずだったが、ここ2日、土曜と日曜はそれぞれべつの用事があった。なまけものの節句ばたらきというか、社会復帰のためのリハビリテーションというか(じっさい、わたしは、根がなまけもののせいか、ほんの数日休みがつづいただけで、休み明けはえっちらおっちら≪社会復帰≫するという情態になる)。
 きのう、12月1日は日本フランス語学会の編集委員会と例会のため茗荷谷へ。編集委員会では議事録作成と、議題のひとつの担当。例会は2件の発表がともにおもしろかった。
 そしてきょう、12月2日は娘の幼稚園の発表会があり、こどもたちのかわいらしい演劇をみてきた。かえりみち、山の斜面にできたひろい幼稚園の敷地をあるきまわり、紅葉をながめた。

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 幼稚園からの帰宅途上も、色づいた木々がここちよい。きょうの東京の最高気温は8.6度と寒かったが、しばらく歩いていると寒さはやわらいでくるように感じる。

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 わたしの母親が、大阪から、きのうからとまりがけで孫娘の発表会を見にきていた。接遇に気をつかうというほどではないが、それなりに非日常だった。
 娘など、幼稚園の発表会と自宅への来客という、ふたつの要因の相乗効果で、たいそう興奮して、はしゃぎつづけている。きょうは、日課の昼寝もスキップしてしまった。やれやれ、今夜はよく寝てくれよ、という感じだ。

 あすの月曜からは、また、いつもどおりの忙しさになる。ネットにあふれている「月曜日アスキーアート」の気分が理解できる。

  <201211| 201212 |201301>