日 録

Le hérisson et le renard

Irène TAMBA
Le hérisson et le renard : une piquante alliance
Paris, Klincksieck, 2012.
160 pages
23 euros
ISBN: 978-2-252-03839-0

http://www.klincksieck.com/livre/?GCOI=22520100390230

Présentation de l'éditeur :
La mention la plus ancienne de ce couple aussi énigmatique que paradoxal remonte à un aphorisme du VIIe siècle avant J.-C., consigné dans un vers isolé d'Archiloque, le premier poète lyrique grec : « Il sait bien des tours le renard. Le hérisson n’en connaît qu’un, mais il est fameux ». Et son dernier avatar date de 2002, dans l’ouvrage posthume du biologiste paléontologue, Stephan Jay Gould, Le renard et le hérisson. Union d’un symbolisme fluctuant.
À la Renaissance, Érasme ressuscite le proverbe grec sous un habit latin en opposant les multiples ruses du renard à l’unique mais imparable stratégie du hérisson, qui se roule en boule. Au XXe siècle, le philosophe essayiste oxfordien, Isaiah Berlin, réhabilite l’image d’Archiloque pour distinguer deux catégories antithétiques de penseurs et d’écrivains : les hérissons, monistes, face aux renards, pluralistes. Au début du XXIe siècle Gould veut dépasser la dichotomie de Berlin et rabibocher le renard et le hérisson, en les prenant pour emblèmes de la divergence et de la complémentarité des sciences et des lettres.
Irène Tamba mène une véritable enquête retraçant le parcours sinueux où se croisent des problématiques telles que l’usage de mêmes noms pour certains animaux terrestres et marins ou encore la classification des animaux et leurs dénominations populaires ou scientifiques.

Sommaire :
Préface
Première partie. Le renard et le hérisson : les tribulations d'un couple énigmatique
 I. Le couple métaphorique du renard et du hérisson chez Clifford Geertz
 II. Stephen Jay Gould et le couple humaniste du renard et du hérisson
Deuxième partie. Le renard et le hérisson : noms et représentations lexicales
 III. Le renard et le hérisson : appellations et représentations actuelles
 IV. Les ancêtres grecs du renard et du hérisson
 V. Les ancêtres latins du renard et du hérisson
Troisième partie. Homonymie et noms d'animaux
 VI. Les noms d'animaux
 VII. Homonymie et catégorisation populaire des animaux
Conclusion
Bibliographie

 きょうまで3日間、毎夏恒例の軽井沢での研究会合宿に行ってきた。
 例年、この合宿は8月中旬にもよおされていたが、ことしから開催時期を遅らせることになり、今回は8月20日から22日までの2泊3日だった。

 わたしがはじめて軽井沢をおとずれたのは、この合宿への初参加だった2000年のことだ。
 それ以前は、軽井沢のような俗物趣味のところに行けるか、などと思っていた(バブル期に学生時代を過ごした世代にありがちな屈折かもしれない)。
 しかし、いちど行くと、冷房のストレスのかかった涼しさではなく、よけいな力がぬけるような、自然の涼しさをとてもここちよく感じたものだ。
 当時は軽井沢はたいへん涼しく、年によっては寒いほどだったこともあった。
 しかし年々、軽井沢といえども、おどろくほどは涼しくなくなってきている。
 以前は、駅の改札をでたところにある案内版のうえに、誇らしげに温度計がついていたが、格段に涼しいというほどではなくなってきたせいか、数年前に撤去された。
 もちろん、いまでも東京にくらべればいくらか気温が低いことは確実だが、わたしなどは、どうせ「避暑地」というからには、しっかり涼しくなければありがたくないと思ってしまう。

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 合宿の場所は、南軽井沢の別荘地、≪レイクニュータウン≫のなかにある、≪文化軽井沢山荘≫(文化女子大学などを擁する、文化学園の施設)。
 研究会用に快適な会議室を使わせてもらえることや、食事がとてもおいしいことなど、利点がおおく、毎年ありがたく利用させていただいている。

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 ところで、レイクニュータウンも、この12年でさまがわりした。
 かつては、≪三越エレガンス≫、≪三越ファッションヴィレッジ≫などの商業施設があり、買い物客でにぎわっていたが、軽井沢駅前のプリンスホテルの敷地に広大なアウトレットモールができてからは、そちらに客をとられ、三越は撤退し、城を摸した≪エレガンス≫はとりこわされて更地になった。
 それ以降、来るたびに店舗の数が減り、ニュータウン内で宿泊施設以外に食事のできるところはほぼ皆無になった。以前よく自転車をかりていた店もなくなり、廃墟と化した。
 しかしその変化の波も一巡したようで、ここ数年は落ち着いている。閑散としているのもよいと思う。

 よけいなことだが、レイクニュータウン自体の開発年代はふるく、1961年にさかのぼる。
 そしてじつは、「あさま山荘事件」の現場になった施設が、レイクニュータウンのなかにいまもある。
 事件のことは、とくに別荘地にとっては負の歴史だろうから、あまり語られないが、もはや、この歴史を隠したところで、往年の繁栄がもどってくるとは思えない。

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 合宿ではたくさん勉強もしたが、ながい散歩もして、そして、ひさしぶりに鯨飲馬食した。
 疲れた、といっているが、いちばん疲れたのは胃腸かもしれない(笑)。

 きのうまで≪フォト蔵≫の写真アップロード機能がたいへん不調だったため、この記事を書くのが遅れてしまいました。

 毎夏の恒例により、ことしは7月31日から8月5日までの6日間、こどもたちとともに愛媛の母親の生家に行ってきました。
 ただし、いつも鉄道(のぞみ・しおかぜ)で往復するのとちがって、今回ははじめて飛行機で往復しました。

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 羽田からのった飛行機は松山空港におりるので、ついでに道後温泉までいってきました。伊予鉄道の市内線(路面電車)にのって、終点の道後温泉駅まで。

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 道後温泉は3000年の歴史をもつ日本最古の温泉で、現存の本館は江戸時代にさかのぼります。

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 道後温泉では、≪霊(たま)の湯≫にはいりました。強く薬効を感じるような湯ではなく、まろやかで、やさしい湯です。
 浴槽はおとなでもすわると顔がしずむほど深く、漱石の『坊っちゃん』のように泳ぎたくなる気もちもわかります。
 ふろからあがったら、坊っちゃん団子をたべながら、階上でしばしの休憩。この季節、江戸時代さながらに冷房がついていないのはきついです(笑)。

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 兄妹なかのよい息子と娘です。本館の回廊から、飽かずにいっしょに外をながめていました。

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 温泉からの帰路は、漱石の時代の伊予鉄道を再現した「坊っちゃん列車」に乗りました。
 『坊っちゃん』のなかでは、三津の港につき、勤務する中学校にむかうとき、「マッチ箱のやうな汽車」にのるという描写がありました。
 乗車券・整理券を買ったのはわれわれの家族だけで、貸しきり状態でした。

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 この季節、明治時代さながらに冷房がついていないのはきついです(笑)。

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 JR予讃線に乗って伊予桜井へ。

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 桜井は、伊予の国分寺があることからもわかるように、古代からの歴史をもつ、四国でももっともふるいまちのうちのひとつです。江戸時代は漆器生産でさかえ、幕府直轄でした。しかしいまは、何軒かふるい漆器屋さんがあることをのぞけば、ひなびた漁村です。
 1955年、今治市に合併されましたが、桜井のひとは今治市という単位への帰属意識は稀薄のようで、じぶんのいどころを「桜井」とよぶ傾向があります。イタリア語でいうところの「カンパニリースモ campanilismo」をつよく感じます。(ちなみに今治市は2005年1月、いわゆる「平成の大合併」で、しまなみ街道につらなる島嶼部をふくむ11町村を併合し、巨大な市になりました)。
 わたしは大阪でうまれそだちましたから、ここに住んだことはないのですが、おさないころから、夏やすみになるたびにかえりゆく、「コンブレー」のような地でした。

 満潮時間をしらべて、海水浴場に行きます。家から水着を着たまま歩いておよぎに行けます。瀬戸内海らしいおだやかな砂浜ですが、海水浴客はたいへん少なく、ほとんどプライヴェートビーチ感覚でのんびりおよげます。移動日だった初日と最終日以外はまいにち海に行きました。
 この砂浜からみる景色は、わたしが子どものころからかわらぬ、原風景のようなものです。
 比岐島。

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 平市島(無人島)。

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 いつもおだやかな海なのですが、ことしは例年とちがって、8月1日は、四国の南岸を台風がかすめていったので、めずらしく海が波たっていて、この日だけはおよげませんでした。
 8月1日の海。

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 8月2日の海。

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 8月3日の海。

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 8月4日の海。

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 桜井には漁港と魚市場もあり、毎朝の魚市で、仲買人がせりおとしたばかりの魚をしめて売ってくれます。その日の漁獲しだいなので、ほしいものがいつあるかはわかりませんが、焼き魚に適した大きさの鯛が1尾100円と、都会では考えられない値だんです。もちろん、新鮮なのでとてもおいしいです。

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 8月4日には、祖父母らの墓をたずねてから、来島海峡大橋の四国がわのつけねにある、≪サンライズ来島≫に行ってきました。橋をわたって島をめぐってゆく、サイクリングの拠点でもあります。

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 この海峡は潮流がはげしく、船にとっては難所です。かつて、ながれの方向をさし示していた腕木式の信号が保存されています。
 
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 今治市のゆるキャラ「バリィさん」。2011年、ゆるキャラコンテストで全国2位になったそうです。

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 8月4日の夜は宮島祭でした。わたし自身は子どものころ見たことがあったのですが、例年は日づけでいうともっとおそいので、見られません。ことしは暦のまわりかたの加減(満月の日か?)で早くなったらしく、たいへんひさしぶりに見ました。
 おさない子どものいる家では、わらと紙で船をつくり、ちょうちんの明かりをつけて、綱敷天満宮で祈祷をうけ、夜の海に、父親がその船を砂浜から沖に押し流し、象徴的には瀬戸内海対岸の厳島神社を目ざして行ってもらうというお祭りです(海のごみになるので、じっさいには沖に漁船をだして、回収しているそうです)。
 わらの船によって隠喩されていることは、もちろん、子どもたちを世のなかに送り出してゆくことですので、ほとんど本能的な感情として、涙腺がゆるみます。
 子どもたちの生きてゆく世界が、瀬戸内海のようにおだやかならいいのですが、ひどく困難な、率直に言ってろくでもない時代に子どもたちを残すことになってしまったとおもうと、よけいに心配はつのります。

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 綱敷天満宮は、菅原道真が太宰府にながされるとちゅうにたちよったという故事にちなんだふるい天神で、海に面した広大な松原を擁しています。

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 8月5日、帰途につきました。予讃線で松山へ。

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 松山空港で、愛媛のなごりに、たいめし、じゃこ天と、うどんを昼食にたべてから飛行機にのりました。

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 飛行機からみる東京湾は、瀬戸内海のように青くはないので、東京にもどってくると、夢がさめたような気分になりました。

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