日 録

 きょう、朝から大学説明会のしごとがあるので、確実に朝から大学に居られるように、まえの晩からつくばに泊まった。昨夜は19時ころつくば駅につき、北東側の地上出口にあがるとそこが中央公園だが、3羽のあひるたちが休憩していた。駅前にこんなところがあるのだから、つくばはのどかでよい。あひるたちをおどろかせないよう、フラッシュ禁止で撮影したが、暗いわりには、よくとれたほうだ。

P7290008

P7290009

 ことしから筑波大学人文学類の広報委員長(さらに、その上位組織の人文文化学群の広報委員長も兼任)になってしまったので、必然的にまいとし、大学説明会に出なければならなくなった。大学そのものの印象を左右してしまいかねない重責だ。
 しかし、昨年度までも広報委員ではあったが、言語学主専攻の教員はほかにも多かったため、わたしはこれまであまりこの行事には参加せず、とくに午前中の大学会館講堂での全体説明のしごとはまったく未経験だった。昨年度までの状況をまったく知らないにもかかわらず、いきなり登壇ということで、えらく緊張した。
 きょうの会場のようすも写真にとり、学類ホームページなどに掲載しようとおもっていたが、緊張のあまり、カメラを研究室から大学会館までもってゆくのをわすれてしまった(このため、きのうからきょうにかけてもちあるいていたカメラでは、結局ゆうべ、あひるを撮影しただけだ(笑))。つぎの写真は、先週のリハーサルのときに撮影したものだ。

P7260006

 カメラで失敗を吸収したおかげかどうかはわからないが、説明会そのものは大過なくつとめることができた。
 午後は学生が主体となって、さまざまな企画をしていた。「なんでも相談室」というのもあり、そこの代表がフランス語学の学生だったので、がらにもなく、さし入れをして激励してきた。「模擬講義」というのもあり、講義そのものは教員がするのだが、全体のとりまとめは学生が担当してくれていて、じつにたのもしい。
 また、学生たちとならんで驚歎にあたいするのは、酷暑のなか、遠いところを、わざわざ見学に来てくださる高校生のみなさんだ。もっとも、高校によっては、たとえば高校2年生のときに、大学説明会に参加してくることを夏休みの課題にしているところもあるらしい。時代は変わった(わたしが受験生だったころは、大学説明会そのものが稀少だった)。

 ヴラジーミル・ヴィソーツキー Владимир Высоцкий が42歳の若さで亡くなったのは1980年のきょう、7月25日だった。忌日を紀念して、旧ブログでもしたことがあったように、ヴィソーツキー特集ということにしよう。

 ヴィソーツキーは、じぶんでつくった曲を、みずからつまびく、ロシア独特の7弦ギターをたいてい唯一の伴奏として、迫力のある声でうたっていた。
 わたしは1990年ころ、≪В темноте(暗闇で)≫が服飾会社のサンヨーのコマーシャルで使われた(これ自体奇蹟的だとおもうが)のをきいて知り、好きになった。

★ В темноте(暗闇で)[動画では題名が≪Темнота(暗闇)≫になっている]


 当時オーマガトキからでていたCDを買い、ほかにもききたくて、神田の≪新世界レコード社≫に輸入版を買いにいったりしたものだ。
 いまは、≪新世界レコード社≫は残念ながらなくなってしまったが、Youtube に無数の動画があがっていて、いくらでも視聴できるようになった。いい時代になった、とおもわずにはいられない。
 ヴィソーツキーの作品は、生前、ソヴィエト政府によってほとんど禁止されていたにもかかわらず、ひとづてにコピーされて流布していたという。
 いまも、販路にのっている曲は一部にすぎないので、Youtube は、なんとなくヴィソーツキーの作品らしい流布のされかただとおもう。

★ Я не люблю(わたしは好まない)


★ Я не люблю(わたしは好まない:ヴィソツキーの若かりしころ)


★ Купола российские (ロシアの穹窿)


★ Кони привередливые(悍馬)


★ Кони привередливые(悍馬;別ヴァージョン)


 ≪Кони привередливые≫は、映画≪白夜≫のなかでもつかわれた。
 悍馬とは、ここでは、「もっとゆっくり」としずめようとする者の死にむかって疾走する馬のことだ。

★ Охота на волков (おおかみ狩り)


★ Песня самолета-истребителя(戦闘機の歌)


★ Он не вернулся из боя(かれは戦闘から戻らなかった)


★ Братские могилы(共同墓地 (無名戦士の墓))


★ Спасите наши души (S.O.S.)


 この曲はヴィソーツキーにしてはやや抑制的な演奏をすることが多いが、このときにかぎってはたいへん力がはいっており、最後でギターの調弦が狂って中断したのが残念だ。それがなければ最良の演奏になっていただろう。
 潜水艦で海底にとりのこされ、たすけを呼ぶという内容の歌詞だが、まるで、2000年に起きたロシアの潜水艦≪クールスク≫の事故を予言していたかのようだ、という評をネットで読んだことがある。たしかに、わたしもおなじことをおもいおこしてしまった。

 よけいなことだが、モールス信号の S.O.S. が Save Our Souls のかしら文字だというはなしは、タイタニック号の事故のときにあとづけで作られた都市伝説で、じつは当初は、でたらめな記号列にすぎなかったらしい。しかし、ロシア語での≪Спасите наши души≫も、Save Our Souls の直訳だ。これはどういうことだろう。都市伝説ごと翻訳されたのか。

★ Plus rien ne va(万事休す;フランス語版)


 フランス語でも曲をつくり、うたっていたのを知ったのは、ずいぶんたってからのことだ。
 ヴィソーツキーの奥さんがフランス人だった関係で、パリでレコーディングをすることが多かったらしい。
 かれの歌のちからづよさは、かなりの程度ロシア語の音韻のおかげでもあると思っていたのだが、フランス語での歌もおなじくらい迫力があり、その考えをあらためざるを得なかった。
 梅雨明けは17日火曜に宣言され、木曜には35度をこえる酷暑だったが、金曜からは梅雨にもどったような曇天で、それも、「梅雨冷え」といいたくなる冷涼さがつづいている。きょう土曜のつくばの最高気温は22.1度だった。盛夏の暑さがにが手なわたしは、たいへんありがたい。

 ≪Les villes devraient être bâties à la campagne : l'air y est tellement plus pur. 都市は田園に築かれるべきだろう。田園ならはるかに空気がいいから≫というフランスの冗談がある。じっさいには、どの都市も築かれるまえは多かれ少なかれ田園だったろうし、どこに都市をつくろうが、都市になってしまえば空気はわるくなる、というのがオチだ。
 しかし、つくばは、この矛盾する要求をある程度かなえているまちだとおもう。もともとたいへんな辺境で(「つくば」とは、「尽く端」、つまり地名からして辺境という意味だ)、昿野を開拓して築かれたまちだ。しかも、まちになったら空気がわるくなる、というほど稠密な開発はなされず、道路から街区の単位まで、すべてがたいへんひろびろと、疎放的なまでの余裕をもってつくられたので、その密度の低さのおかげで、まだまだ空気がきれいだと感じる。

 ゆうべ、研究グループの会議があって、きょうは朝から研究会だったので、ひとばんつくばに泊まった。ひとばんつくばに泊まると、つくばの環境のよさをあらためて感じる。これで、福島原発の放射能の問題さえなければよかったのに、とおもわずにはいられない(つくばは、原発事故以降、残念ながら、原発からの距離を逆転させるかのように、水戸よりも線量が高い)。

P7210010

 つくばは東京よりすこし涼しいせいか、あじさいがまだ咲いている。

 * * * * *

 きょうの研究会は、会場のキャパシティーの関係もあって、事前には学内にしか宣伝していなかったが、いまはおわったので、ポスターを以下にかかげる。
 
Séminaire de linguistique contrastive

 夏やすみのあいだ、受託研究員として筑波大学に来てくださっている、Jean Bazantay 先生をかこんで、フランス語とニホン語の対照言語学のセミナーをひらいた。
 少人数ということもあり、また、Bazantay 先生の鷹揚せまらぬおひとがらのおかげもあって、わたしにしてはめずらしく、緊張せずに発言できる、まったりとした研究会になった。
 個人的な意見だが、自由に議論ができるには、まったりとした雰囲気がいちばんだとおもう。わたしの授業など、「正月の茶の間のような雰囲気」と形容されるものだが、わたしはこのことばを、とてもうれしい気もちで受けとっている(笑)。

 おわったあと、懇親会ということで天久保の≪さん吉≫にゆき、みんなでビールをのんで、いい気分になった。かろうじて日がかわらないうちに帰宅し、これを書いている。

 ときどき雨がふり、たえがたい溽暑。
 麻のすずしいシャツを着ていったつもりだが、それでも、汗をかいてべっとりしてしまう。

 きょうも朝から夕方まで、ながい会議のしごとがつづく。
 おわったあと、会議に付帯する懇親会で、渋谷≪銀座アスター・ベルシーヌ (Belle Chine)≫にゆき、はじめだけビール、そのあとは紹興酒をのみながら、料理をたのしむ。

P7120008

P7120006

P7120012

 すこしひかえ目にのんだら、最高にいい気分になった。あと一杯ですっかり酔っぱらうだろう、という境界線の直前がいちばん気もちがいい。
 きょうはたまたまうまくいったが、ここで止める調整はむずかしく、たいていの場合、この境地は、はやばやと通過してしまう。
 名づけて、≪酒飲みの巡航速度≫とでもいおうか。巡航速度で走っていると、急には止まれないというわけだ(笑)。

 今週はまいにち会議がつづいているので、それに付帯して、飲む機会も(あいだに1日おいて)2度つづいてしまった。明日からはまた節制しよう。

 井の頭線の渋谷駅で、西口の階段をおりようとすると、階段を煙突のようにしてプラットフォームまで、うなぎを焼く香りがあがってくる。その香りのみなもとは、改札口にほどちかいところにある、≪元祖 うな鐡≫というキョーレツな店だ。

P7100002

 なにしろ、店内には、≪精力絶倫≫という看板があるのだ!

P7100003

 きょう、学外での会議のしごとがおわったあと、7人でこの店に行った。
 
 > http://www.unatetsu.com/inquire.html
 > [席等の予約について]
 > お席のご予約 及び とりおき等、
 > 一切お断りさせて頂いております。


 という強気の店なので、とにかく先手必勝とばかりに、17時30分ころには店にたどりつき、うまく席におちついた。
 (そのくせ、「御予約席」という表示が一部のテーブルのうえにおかれていたのは、大いなる矛盾ではなかろうか。)
 しかし、いちどすわってしまえばあとは極楽で、うなぎのいろいろな串焼きをつまみながら、最初だけビール、とちゅうからは秋田の≪高清水≫など、冷やのニホン酒をのんだ。これほどおいしいうなぎはめずらしい。

P7100008

P7100009

P7100010

P7100013

 串焼きをひととおり堪能したあとは、白焼き、そしてうな丼をたべた。安定のおいしさだ。じつは比較的最近まで、よく食べ(させられ)ていた某≪M川≫のうなぎがあまりおいしくなかったので、対照的になおさらおいしく感じる。

P7100014

P7100015

 ≪元祖 うな鐡≫を辞したあとは、2次会と称して、おなじく井の頭線西口にほどちかい≪Vin≫にゆき、シャンパーニュとボルドーワインをのみながら、ラタトゥイユなど、野菜のおつまみをたべる(たらふくうなぎをたべたあとなので、たべるものはさすがに節制)。これまた、とてもおいしい。

P7100016

P7100017

P7100018

 ゆうべ、中学時代に同級生だったともだち、Kくんとおぼしきひとが作っているホームページを偶然みつけて、メールフォームからメッセージを送っておいたら、返事がきて、やはりKくん本人だった。
 Kくんといちばんなかよくしていたのは15~16歳のころだが、それからまもなく30年も経とうとしている。これほどの時間が経つと、もう無条件でなつかしい。

 10年ほどまえ、個人ホームページが隆盛なりしころは、このような突如たる再会や、意外な出会いもおおかったが、流行はやがてブログに、そしてSNSに移行し、閉じたシステムのなかでの交流が主流になったので、偶然ということは格段に少なくなった。
 そんななか、10年まえのしかたで、およそ30年まえのともだちと再会するということは、2重に回顧的なことだ。オッサンになると、なつかしいものには弱い。

 さて、Kくんの作っているページのなかでも白眉といえるのは、なんといっても、「丹後鉄景」( http://www.orangeplanet.jp/ktr/ )だ。わたしのホームページからもリンクさせていただいた。
 「丹後鉄景」は、日本一の赤字第三セクター「北近畿タンゴ鉄道(KTR)」を写真を通じて広報、応援するファンページだ。地元の高齢者の通院など、貴重な交通手段をなくさないための応援を大きな目標としているという。Kくんの文から引用:
 きっかけは1人のおばあさんとの出会い。
 1~2度撮影して鉄道撮影は終わろうと思ってた日、KTRに乗ってたらある駅からおばあさんが乗車。
 足腰がとても不自由なおばあさんはバリアフリー対応してない車内に乗り込むのもひと苦労。
 席を譲って話を聞いたら病院に通うのにKTRを利用するとの事。
 家族はいなく、独り暮らしの中で、KTRがなくなると通院出来ないと言ってました。
 後日、廃線を提案する話がニュースになり、何とか非力ながらも出来る事はないか?と始めたのが丹後鉄景。
 身体がまだ動く人には高齢弱者の生活がわからないのです。残念ですが。

 これを読んで、意義ある活動とおもったことはいうまでもないが、個人的に29年まえによく知っていたKくんの少年らしい純粋さが、そのまま残っているような気がして、うれしかった。

 * * * * *

P6290002

P6290003

 きょうは昼前から晴れて、日ざしがつよくなった。
 7月になり、筑波は夏休みだが、きょうは非常勤出講先の白百合女子大で授業、今週はさらに筑波で、会議や、大学院入試にまつわるしごとがつづく。来週は学外会議がつづく週なので、なかなかほんとうに「休み」というわけにはいかない。

 きょうはちょっとした買い物をしたかったので、いつもとちがう経路をとり、下北沢にたちよってから仙川にむかう。
 下北沢まできたついでに、昼食に≪キッチン南海≫でしょうが焼きをたべた。この店のしょうが焼きは、わたしの味覚ではいちばんおいしく感じるしょうが焼きだ。

P7020004

  <201206| 201207 |201208>