日 録

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 先月につづいて、今月もプレミアムフライデーをサンドリヨンさまと過ごした。
 今回も夕刻、成城学園前でまちあわせる。駅構内はクリスマスのかざりつけがほどこされていた。

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 三省堂書店にはいってみたら、拙著『叙法の謎を解く』が井元さんの『時制の謎を解く』といっしょに本棚にならんでいた。
 神田や新宿の大型書店にあるのならおどろかないが、成城にもおかれていたのはうれしい。

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 常同症的に、先月とおなじ « こじま » にゆき、ビール、のち焼酎をのんできた。

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 サンドリヨンさま、お忙しいけれどますますお元気になられ、とてもよろこばしい。
 わたしの大学院時代の後輩で、千葉工業大学に就職なさった、コードネーム:パトリシアさん(<ここでコードネームをつかう意味があるのか、といわれそうなほどバレバレだが)が、フランス大使館の若手研究者交流予算でこのほど来日されたパリ第13大学(ヴィルタヌーズ校)のオード・グレズカさんを受け入れておられる。
 きょうはグレズカさんを大学に招き、授業のゲストスピーカーをしていただいたとのこと。その他、副学長への表敬など、彼女らのきょうのしごとがおわったあと、津田沼駅でわたしも合流。千葉工業大学は正門が津田沼駅南口に面しており、とても便利な場所にある。

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 グレズカさんは今回、だんなさんと、3歳のとてもかわいい娘さんといっしょに来ておられ、日中のしごとのときは別行動もしたというご家族もいっしょに、« サッポロビール・千葉ビール園 » にゆく。
 娘さんとは昨年3月に早稲田でグレズカさんの講演会をしたときにも会ったが、1年半しかたっていないことが信じられないほどしっかり歩くようになり、(もちろんフランス語で)よくお話しするようになっていた。

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 ビールにかんする展示のある黒ラベルギャラリーをみて、試飲コーナーでヱビスビールをのむ。これはまだアペリティフ。娘さんがビールのことを eau qui pique といっていたのがかわいかった(笑)。

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 日が暮れるころにレストランに移動し、ジンギスカンをたべながら生ビールをのむ。いろいろな話をして(ビールをのみながらなので他愛もない話も多かったが)、たいへん楽しい思いをした。このように、第1線の言語学者の生のすがたに接することができると、また言語学をがんばろうという気になる。

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 最近さっぱり聞かなくなった « プレミアムフライデー »、今月はきょうだ。

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 2こまの授業をつとめたあと、新宿に移動し、3年ぶりくらいで « ほりうち » のざるらーめんを昼食にたべる。

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 さらに成城学園前に移動。夕方、ここで待ちあわせて、サンドリヨンさまと1か月ぶりに再会する。

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 駅からほどちかい家庭的な酒肆、« こじま » にゆき、ビール、のち焼酎をのみながら話す。
 じつは1か月まえにお目にかかったときは、お悩みをかかえてかなり疲弊しておられたが、10月から講師のお仕事をはじめられ、多忙でたいへんな思いはしておられるものの、心身ともちからづよく回復しておられたので、涙がでるほどうれしかった。

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 そして、わたしも、最近の疲れを一気に忘れることができた。これこそ « プレミアムフライデー » だ。
 サンドリヨンさまは、ご自身がお元気になられたのはわたしのおかげで(も)あるとおっしゃってくださったが、けっして一方的に助けているのではなく、ひとはたがいに助けあえるのだ、とあらためて思った。
 いやむしろ、わたしの方が甘えかかっているようで、「あるべき教員像」からは大きく逸脱していると自覚しているが、わたしはいつも、弱みをさらけ出さないとやっていられないほうなので(笑)。
 大阪に住む老父が元気なうちに墓参りをしたり、親戚と会いたいというので、土曜から日曜にかけて愛媛にとんぼがえりした。

 土曜は6時すぎに自宅を出て、7時すぎに新横浜から « のぞみ » にのって3時間、岡山で « しおかぜ » にのりかえてさらに2時間。
 とちゅう、瀬戸大橋をわたるときは、いつもながら空中散歩のような風情だ。島影が折りかさなって水平線がみえない景観が、いかにも瀬戸内海らしい。

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 豊浜あたりからの景観。

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 正午すぎに母方の郷里、伊予桜井につく。
 桜井は伊予の国分寺があるふるいまちだ。

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 さっそく昼食に郷土料理をたのしむ。

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 たいめしは、わたしにとってはソウルフードともいうべきものだ。

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 桜井の墓地。ポール・ヴァレリーがねむる地中海岸のセット Sète の « 海辺の墓地 » Cimetière marin に似ていると思う。

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 Déférence gardée envers Paul Valéry,
 Moi, l'humble troubadour, sur lui je renchéris,
 Le bon maître me le pardonne,
 Et qu'au moins, si ses vers valent mieux que les miens,
 Mon cimetière soit plus marin que le sien,
 Et n'en déplaise aux autochtones. (Georges Brassens)



 亡き祖父母がたてた家につき、さっそく、なつかしい近くの海岸をみにゆく。
 ここはわたしにとってはプルーストのコンブレーのようなところで、平らな比岐島(ひぎじま)、なかほどがもりあがった平市島(へいちじま)がみえる、この海岸からの景観は、わたしの原風景といってもよい。

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 松が3000本もある、志島が原(志々満ケ原とも書く)。

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 太宰府にながされるとちゅうに、菅公がたちよったという綱敷天満宮。

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 翌日曜は父方の故郷、波方にゆく。
 波方の墓地は丘のうえにあり、ますます « 海辺の墓地 » に似ている(そうそう、ヴァレリーの « 海辺の墓地 » も、名まえに反して、丘のうえにあるのだ)。

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 父は墓前で涙ぐみ、また、郷里で古くからの友だちとも会えて、いきいきとしていた。
 高縄半島の先端に近い森上(もりあげ)にもゆき、父方の親戚のみなさんとひさしぶりに会い、会食をした。
 森上港からみる瀬戸内海はますます清冽で、こころの洗濯になった。

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 最後の写真はこどもたちへのおみやげの一部。

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 きょうはつくばに人文学類の卒業生をおむかえして、就職支援委員会の企画があった。
 わたしは3人の登壇者のうち、フランス語学の卒業生(修士までとった)で、翻訳事務所に就職なさった、ブランシュ・ネージュさまを接遇するしごとを嬉嬉として担当した。
 ざんねんながら来場者は少なかったものの、有意義な機会になったと思う。

 おわったあと、« BiViつくば » のスペイン料理店、« ガウディ » にゆき、赤ワインをのみながら、アヒージョ、パエージャなどを楽しむ。

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 金曜だけ非常勤でつくばに教えにきてくださっているパトリシアさまにも同席いただく目論見だったが、明日が息子さんの運動会ということで辞退なさった。
 それで、ブランシュ・ネージュさまと1対1で飲むという光栄に浴したが、わたしはコミュ障なので、中学生のように緊張した。
 しかし、ブランシュ・ネージュさまは « 神対応アイドル » の異名をとるだけあって、おやさしく接してくださり、「楽しかった」とさえ言ってくださり、めでたしめでたし。
 8月20日から22日まで、2泊3日で軽井沢でのフランス語学研究会合宿に参加してきた。
 わたしはこの合宿には2000年に初参加して以来、2002年に息子が生まれる直前のため欠席した以外は、毎年参加している。
 会場は南軽井沢のレイクニュータウンという別荘地内にある文化軽井沢山荘 (文化学園大学などの施設)。

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 軽井沢といえども近年は温暖化でめざましく涼しくはなくなってきているが、ことしは南洋にある台風のおかげでたいへん涼しく、冷房要らずの快適さだった。

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 いつもながら、山荘の食事はおいしく、ビールものんで、たのしくすごした。

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 たくさん耳学問をして、自分も発表して、夏休みの中途で研究意欲にてこ入れするような意義があった。

 * * * * *

 合宿がおわったあとは、自宅にはもどらないで、実家に用事があったので大阪にむかう。
 別件があり、京都にもたちよった。四条河原町から、ひさしぶりに阪急電車にのった。

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 阪急電車のクロスシート車は快適だ。

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 盆休みに少しこどもたちの予定が空いていたので、妻とこどもたちを連れて、鉄っちゃん活動もかねて信州に行ってきた。

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 松本から、松本電鉄上高地線にはじめてのる。
 松本電鉄はかつて京王井の頭線を走っていた3000系電車をつかっている。この編成は往年のモハ10形のリヴァイヴァル塗色。

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 新島々(しんしましま)に到着。

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 ここからバスにのりかえ、乗鞍高原へ。
 むかしとおなじく車掌さんが乗務しているが、沿線の案内放送は自動化されていた (1980年代後半、親しい友人がふたり、夏休みに泊まりこみのアルバイトで上高地行きや乗鞍行きのバスの車掌をしていた。そのころは沿線案内も車掌が直接していたそうだ)
 つづら折れの山路を、りくらりとのぼっていった先にある山が乗鞍岳だという民間語源があるとかないとか。
 乗鞍岳は山頂の近くの畳平までバスで行けるので、ニホンの3000m超の山ではもっとものぼりやすい山だろう。
 乗鞍高原は標高1300mほどだが、それでも番所でバスをおりるとおどろくほど涼しい。
 バスをおりて宿にむかう道には、とうもろこし畑やそば畑がある。

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 « ロッヂふもと » に投宿。山荘の野趣がある、素朴ながら快適な宿だ。

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 さっそく温泉につかる。白濁系の温泉はほどよく濃厚で、とても快適だった。個人的には、熱すぎないのもよい(笑)。

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 貸しきりの露天風呂もあり、あとではいった。
 宿の夕食。

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 宿の朝食。

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 かえりみち、ほど近い番所大滝をみにゆく。
 駐車場から渓谷にむかって10分くらい斜面を降りると、ちいさな展望台がある。

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 かえりみちの松本電鉄では、萌え系車両「なぎさtrain」にのりあわせる。

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 このキャラクラーは渕東(えんどう)と渚 (なぎさ)というふたつの駅名を連ねた渕東なぎささんという名まえで、自動の車内放送も声優の新田恵海さんが「つぎは♡信濃荒井です♡」のように、かわいらしく録音している。

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 ハートのつり革もあり、これをふたりでにぎると縁結び効果があるとかいうので、なかのよい息子と娘が、嬉嬉としていっしょにつかんでいた(笑)。

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 松本で昼食に « 手前ざる 俊 » の豚つけそばをたべてきた。「つけそば」はトーキョーでいう「せいろ」にあたる。

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 涼しい信州からトーキョーにかえってきたら、暑くてたまらない。「クーラーがないとクーラクラ」ってなもんよ。
 公私とも、心身ともに余裕のない状態がつづいているが、ちょくちょく気ばらしを入れながら生きのびる戦略。しかしそのせいで、この « 日録 » は飲み会日記のようになってしまっている。きょうも例外ではない。

 東から西へというめずらしい進路をとる台風12号がちかづいてきた。台風の外周の雲と本体の雲のあいだをかいくぐって新幹線にのり、にげるようにして西にむかう。新幹線で西にむかうときの定番で、たいめしの駅弁をたべる。

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 1984年、わたしが高校2年生のときに参加した、「大阪府高等学校生徒中国派遣団」の同窓会。年に1度、この時期の恒例だ。難波(なんば)にゆき、« 藩 » という酒肆で飲みかわす。

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 19時から22時ころまで飲んできた。台風の接近にもかかわらず、かえりみちに経験したのはふつうの小雨程度だった。
 快晴。意識がとびそうになるほどの炎暑。
 しごとがおわったあと、錦糸町に移動する。 

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 新年会以来半年ぶりに « 東京穆斯林(ムスリム)飯店 » にゆき、ハラールの中華料理をたべながら、ビール、のちワインをのんできた(酒をのむのは全然ハラールではないけれど、それは置いておいて)。

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 いつもながらおいしい料理で、たのしい思いをした。とくに羊肉麻辣鍋は絶品だ。夏場にこれをたべると、「以熱治熱」とはこのことか、というような気分になる。

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 先月、ブランシュ・ネージュさまが結婚なさったので、総勢6人で、ささややな祝賀会にもなった。ブランシュ・ネージュさま、ますますおしあわせに。
 ドルオタ(=アイドルオタク)のように、推しメンが結婚すると喪失感をおぼえるのではないかという質問をいただいたが、わたしはむしろ、推しメンがマダムになられるとますます敬意を深めるという、中世のロマン・クルトワのような精神をもっているつもりだ(笑)。
 あれやこれや、たいへんなことがおおく、あっぷあっぷしているが、たまには息ぬきも必要ということで、きょうは亀有駅でまちあわせ。

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 わたしをふくめて4人で、亀有駅にほどちかい « Noroc » という店にはじめてゆき、モルドヴァ料理をたべる(ここでいうモルドヴァは、ロシア連邦内のモルドヴァ Mordova ではなく、ルーマニアのとなりの Moldova だ。かつてはモルダヴィア Moldavia といっていた)。
 Wikitionaryによると « noroc » はスラヴ語源(narokŭ)に由来する語で、「幸運」を意味する。「乾杯!」も間投詞 hai をつけて « Hai noroc ! » という。
 https://ro.wiktionary.org/wiki/noroc
 類義語としては第1に soartă(Cf.フランス語 sort)、第2に şansă(Cf.英語・フランス語 chance)というロマンス系の語彙があげられている。
 おとなりのブルガリア語で нарок というと「運命」、そしてロシア語で нароком というと「定まった」という意味で、このあたりが同根のようだ。

 ラーラ・ネアグラ Rara Neagră、メルロー Merlot、シラー Syrah の3種類のぶどうを使ったモルドヴァの濃厚な赤ワイン、Vartely をのむ。
 肉をぶどうの葉で包んで蒸し、サワークリームをかけた料理、サルマーレ(Sarmale)、そして皮も手づくりという包みもの、ペレメニ peremeni をたべる。

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 つぎの写真の右がわは、つけこんだ焼き肉、トカナ tocană に、とうもろこし粉を焼いたママリーガ mămăligă をそえたもの(見た目はオムレツににている)。左がわはトマトソースをかけた鶏のハンバーグ、テフテリア tefteriă と、そば(穀物のまま)のつけあわせ、グレチカ grecică(ギリシアをさすグレチア Grecia からの派生語か?)。

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 ひさしぶりにお目にかかるかたがたと、たいへん楽しく、幸せな時間を過ごした。
 ワインも料理も最高で、多少遠くても再訪したくなるほどのお店だった。
 おそらくニホンで1か所しかないモルドヴァ料理店で、モルドヴァ大使館からもご用達だという。
 ことしもラヴェンダーの花がさく季節になった。
 拙宅の庭は、ろくに手をいれておらず、よくいえば自然に近い(笑)。
 ラヴェンダーが、種をまいたところ(写真1まいめ)から自然にひろがり、掃きだし窓の下(写真2まいめ。みつばちが蜜を集めにきているのが写っている)にも咲くようになった。窓からラヴェンダーのかおりがただよってきて、ここちよい。

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 栗の木は、春先に幹と太い枝しかのこさないほど大胆に剪定したが、さかんにしげっている。

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 新婚当初(1995年)に住んだ借家が広大な栗畑に面していたことがなつかしくて、2003年、いまの家に引っ越してきたら、まず庭にくりの苗木を植えたものだ。しかし、それからももう、15年がたとうとしている。はやいものだ。

 * * * * *

 きょうは、都内でちょっとしたうちあわせがあったが、そのあと新橋に移動し、コロナビールをのんできた。コロナビールを5本たのむとバケツで供される、というのをやってみたかったので、念願がかなって、うれしい。

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2018年6月、スイス(ヌーシャテル)出張報告
 時制専門の学会、Chronos 第13回で口頭発表するため、スイスのヌーシャテル大学 Université de Neuchâtel に出張してきました。
 以下に日記形式での記録をお目にかけます。

6月1日
 しごとがおわったあと、前泊のため成田へ。

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 学会発表のハンドアウトをコピーするとき、うまくソーターがつかえなかったので、ホテルのベッドのうえで手作業でソートする。

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 なかば縁起をかついで、« かつや » でとんかつの夕食。

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6月2日
 8時ころ成田空港へ。大荷物をあずけ、8万円ほどスイス・フランに両替をしてから出国。
 おなじ学会で発表する同僚の和田くんが、すでに搭乗口近くで待っていた。これ以降7日まで行動をともにする。
 2年まえにのって、とてもよかったポーランド航空に今回ものる。どの航空会社も、ニホンからジュネーヴへの直行便はまったく飛ばしていないので、どうせのりかえるなら好きな航空会社で行こう。
 成田からの飛行機、ポーランド航空80便は定刻10時15分に飛び立ち、ワルシャワにむかう。機材は人気のボーイング787、« ドリームライナー »。
 エコノミークラス最前列の通路がわの7G席という、わたしにとっては理想的な席がとれた。

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 まずはポーランドのおいしいビールをのむ。

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 1度めの機内食。

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 やめておけばいいのに、佐藤健主演の映画「世界から猫が消えたなら」をみて、あんのじょう涙ほろほろ。しかし、機内が暗くなっている時間帯で、よかった。
 2度めの機内食。

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 ワルシャワのショパン空港はうなぎの寝床のような1直線の空港で、かなり歩くが、シェンゲン協定圏入境、乗り換えがとてもスムースだ。

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 ワルシャワからジュネーヴへのポーランド航空415便はブラジル製のジェット機、エンブラエル。30人くらいしか乗っていない。
 ジュネーヴのコワントラン空港に19時30分ころ着陸、すぐに降りることができる。45分ころには託送荷物も出てくる。あとは外に出るだけだ(なぜなら、スイスはEUには入っていないにもかかわらず、シェンゲン協定にはかなり遅れて入ったので、ワルシャワでシェンゲン協定圏内に入ったなら、もう入国審査はないのだ)。
 コワントランで降りると、ジュネーヴ市内のきっぷはこの発券機のボタンをおすだけで無料でもらえるという太っ腹。

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 20時2分の列車にのる。列車はしずかに、すべるように走り、10分足らずでジュネーヴ・コルナヴァン駅につく。

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 駅からほど近い瀟洒なホテル、Hôtel Cornavan にとまる。

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 大荷物を部屋でおろし、まちなかをあるきまわる。ホテルが市内交通無料券をくれる。

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 レマン湖からローヌ川がながれだすあたり。左奥がジュネーヴ名物の大噴水で、右奥が観覧車。夏時間なので、21時ころまであかるい(パリより緯度がひくいので、パリほど夜おそくまではあかるくない)。

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 シャントプーレ街 Rue de Chantepoulet にある « Alfredo » というイタリア料理店で、ペンネ・アッラビアータを夕食にたべる。コート・デュ・ローヌの赤ワインをよこにおく。

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6月3日
 ヌーシャテルへの移動には午後の電車にのることにしたので、午前中はジュネーヴの旧市街(ローヌ川のむこう)をあるきまわる。

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 カルヴァンをはじめとする宗教改革の像を見る。

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 カルヴァンの像の足もとをマガモのつがいがおよいでいて、のどかで、かわいらしい。

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 ジュネーヴ大学の図書館。

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 ジャン=ジャック・ルソーの生家。

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 大聖堂と、となりの宗教改革博物館を見てきた。

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 レマン湖には白鳥が多くいた。

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 Place Longemalle のピザ屋で昼食。

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 Bel-Air から路面電車にのる。

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 ジュネーヴでは少数派のカトリックのノートル・ダム教会もみてきた。

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 ホテルにあずけていた大荷物をうけとり、15時15分の電車(IC5)でジュネーヴ発。

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 ローザンヌの近くまではレマン湖に沿い、イヴェルドンからはヌーシャテル湖に沿う。

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 16時25分ヌーシャテル着。

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 ホテルに大荷物をあずけ、学会会場を下見しにゆく。大学本部 (Avenue du 1er mars) と、文学部 (Espace Louis-Agassiz) で住所がちがうので、きょう下見をしておかなければ迷うことは必定だった。

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 この文学部もヌーシャテル湖畔にあり、paradisiaque なところだと思う。

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 旧市街のテラス席の店、« Prestige Bar » でアントルコートの夕食。ヌーシャテル産ピノ・ノワールの赤ワインをよこにおく。

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6月4日

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 学会初日。9時まえにホテルを出て会場へ。資料や参加者の名札をうけとり、講堂にはいる。
 大会実行委員長ルイ・ド・ソシュール氏と、ヌーシャテル大学文学部長のあいさつをきく。

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 ルイ・ド・ソシュール氏は、近代言語学の開祖、フェルディナン・ド・ソシュールのひ孫にあたる。ふつう、このような出自で、かがやかしい祖先と同業者になると、それなりの屈折があるはずなのだが、ルイ・ド・ソシュール氏は、「まんざらでもない」感じだ。わたしなどは不思議だが、これほどこだわりがないのは、スイスのめぐまれた環境で育ってきた結果なのかもしれない、と思う。
 おなじ場所でひとつめの招待講演をきいたあと、午前の分科会へ。

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 フランスのブザンソンから山越えの経路でわたしの発表をききに来てくださるサンドリヨンさまが、ちょうど学会の昼休みにヌーシャテル駅につく予定だったので、おむかえ申し上げるため、ケーブルカーで駅にのぼって当該列車の到着番線まで行った。

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 ケーブルカーの動画(下の小さなサムネイルをクリックすると別窓で再生される)。

動画:funiculaire.mp4

 しかし、列車が意外なほど長い編成だったせいか、彼女とは会えなかった。
 近所のショッピングセンター « La Maladière » のフードコートでヴェジェタリアンの昼食。

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 午後の分科会に出ようとすると、幸か不幸か、駅からホテルにいって荷物をおろし、学会にかけつけてくださったサンドリヨンさまと再会できた。まさにわたしがむかえに行ったプラットフォームにおりたち、しかもおなじショッピングセンターで昼食をとっておられたらしい。ニアミスはしていたわけだ。わたしに人徳がない結果か。
 午後の分科会、そのあと第2の招待講演。

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 昨夜行った « Prestige Bar » のとなりにある系列店 « Prestige Club » にゆき、スイスのイタリア語圏にあるジウビアスコ Giubiasco の赤ワイン « Senza parole » をのんできた。イタリアワインなみに濃厚で、感動した。

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 ホテルにもどり、明日の自分の発表の準備をする。

6月5日
 朝、ホテルの自室で発表の最後の練習。

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 学会会場にゆき、ほかの発表もきく。
 わたしの出番は11時30分から。この日の午前中は4教室にわかれるパラレルセッションで、かつ裏番組で有名な先生の発表もあったので、聴衆は少なかったが、これでも国際学会で発表したことにはかわりないし、過度に緊張しないですんだ。
 リトラル・コート・ドパール大学のカルル・ヴェッテルス先生、アントウェルペン大学のパトリック・ダンダル先生という、おふたりともTAME研究では有名な先生が質問してくださった。
 おわったあと、お祭り気分で、旧市街の人気店 « Le Jura » にゆき、スイス名物のフォンデュをたべてきた。

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 スイス独特のビール、Le Meule も各種飲む。

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 マガモがヌーシャテル湖からあるいてきて、パンやポテトのきれはしをおねだりする。かわいい。

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 とつぜん、となりの席で談笑していたグループからひとりが抜け出し、おどろきながら Naoaki!!? と和田くんに声をかけるひとがおられた。なんと、和田くんと長年の研究仲間のベルト・カペルさんだ。Chronos のために来たというのならおどろかないが、リール大学のプロジェクトで来たという。そのひとがわれわれとおなじヌーシャテルにいて、おなじ店の、しかもとなりの席で夕食をとっていたとは、とてつもなく大きな偶然ではなかろうか。和田くんも、カペルさんも、そしてかれらの友情も、神に祝福されているのだろう。

6月6日
 学会最終日は午前だけでみじかくおわった。
 閉会式には出ないで、城にゆく。丘のうえの城砦のなかに、プロテスタントのヌーシャテル教区の中心となる教会がある。

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 教会の中庭で、まよえる子ひつじちゃんの像の頭をなでていたら、サンドリヨンさまが写真をとってくださった。

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 丘をおりて、カフェで昼食をとる。

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 コーヒーもたのんだら、ミルク入れがチョコレートでできていて、おどろいた。芸がこまかい。

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 きょうブザンソンまでお帰りになるサンドリヨンさまのお見おくりをかねて、フランス国境よりのまち、ラ・ショー・ド・フォン La Chaux-de-Fonds にむかう。

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 スイッチバックをして急坂をのぼり、ヌーシャテル湖をはるか下にみるようになる。
 そして湖もまったく見えないほど遠ざかったら、ラ・ショー・ド・フォンに到着。所要28分。

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 標高1000メートルということで、平野部とちがって涼しい。
 ラ・ショー・ド・フォンは Tag Heuer、Cartier などの時計生産で知られるまちで、つくりも近代的だ。
 Espacité という、14階からまちを見おろすことができる塔にのぼる。

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 サンドリヨンさまおすすめの、ヘーゼルナッツのソフトクリームをたべる。かおりがよくて、とてもおいしい。
 サンドリヨンさまのご出発まで、時計博物館をいっしょに見る。

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 サンドリヨンさまは17時すぎの列車でブザンソンにむけて出発なさるので、まず彼女をプラットフォームから見おくる。
 われわれは17時30分の列車でヌーシャテルにもどる。
 和田くんといっしょに駅構内のカフェでコーヒーをのんで、列車にのろうとすると、にわか雨がふっていた。

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 ヌーシャテルにもどったあと、ホテルで和田くんにメールチェックしてもらい、カペルさんとの再会の算段をきめたあと、夕食をとりに行く。
 まえから気になっていたトルコ料理店にゆき、ケバブをたべてきた。ヌーシャテル産の白ワインをはじめてのんだ。芳烈でさわやかなワイン。

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 カペルさんと21時30分以降に « Café du Cerf » であうことになっているので、あまった時間を利用して鉄っちゃん活動。
 ヌーシャテル湖にそって走る、その名もリトライユ Littorail という路面電車 (とは言い条で、ほとんど専用軌道) にのって、終点の Boudry まで往復した。

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 Littorail の動画(下の小さなサムネイルをクリックすると別窓で再生される)。加速のするどさがわかるだろう:

動画:Littorail

 Boudry のまちは、いかにもヨーロッパのいなかまちという感じで、とても気にいった。2013年におとずれた、ブルターニュのイリヨン Hillion をおもいだすようなのどかさだった。

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 カペルさんの目的は、かれの故国のベルギーとエジプトのサッカーの親善試合を観ながらビールを飲むことだったが、 « Café du Cerf » にはいなかった。
 しばらくしてかれがわれわれをさがしに来てくれた。« Café du Cerf » では観戦の条件があわず、近くの « Le Brasseur » に場所をかえたという。こうしてすぐ再会できるところも、和田くんとカペルさんの友情の強さのなせるわざだろう。驚歎のこころもちだ。
 ノートパソコンでサッカーを観戦しながらビールをのむ。

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6月7日
 9時すぎにホテルをチェックアウトして、最後の名残りにすこしだけ湖畔をあるき、Place Pury から駅にのぼるバスにのる。
 きっぷを買って、これからベルンにむかう和田くんとコーヒーをのみながら話す。
 10時34分ヌーシャテル発のIntercity(IC5)にのる。はじめは快調だったが、Gland というところで別の列車が人身事故をおこしたため、途中駅の Morges で運転打ち切りになり、全員おろされた。

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 さいわい30分くらいで復旧し、べつの列車 (IR90) にのってジュネーヴにむかう。わたしのようにICからおろされたひとで、IRの車内は大混雑だった。

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 ジュネーヴ空港までゆき、ホテルにチェックイン、大荷物を置く。空港から Palexpo(博覧会場)にあるホテルまでの道のりがまちがっているのではないかとはなはだ不安だった(しかし考えてみれば、この不安は、見知らぬ土地でやたらに広く、疎放的な空間に身をおいたときの不安ではなかろうか。つまりは、はじめて筑波に来たひとがいだく不安と似ている)。

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 1日めと同様、ホテルのサーヴィスでいただけるきっぷをつかって、バスにのってジュネーヴ市内にもどる。
 宗教改革の像にほどちかいみやげもの店で、娘のリクエストに対応したおみやげを買う。
 市電とバスをのりついでホテルにとってかえし、近所のスーパーで買いものをして夕食にする。

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 « 醉心 » という広島(三原)のニホン酒がスーパーで売られていた。わたしがフランスに留学していた1990年代後半は、saké と称してヴェトナムあたりの米焼酎が売られていて、ニホン酒に対する誤解(「めちゃくちゃ強いんでしょう?」etc)がひろがっていたものだが、ほんもののニホン酒がふつうのスーパーでも売られるようになったことはよろこばしい。

6月8日
 7時50分ころホテルを出てバス停へ。運よくすぐバスがきて、8時ころ空港着。
 ただちに託送荷物をあずけ入れる。ポーランド航空のチェックイン業務はスイス航空が代行しているので、搭乗券や荷物タグもスイス航空のものをいただける。なんとなく得をした気分(笑)。

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 荷物のあずけ入れも、安全検査もたいへんスムースで、8時20分ころには搭乗口に直接つながるエリアにいたりつく(のりかえのワルシャワでシェンゲン協定圏を出るので、ここでは出国手つづきはない)。わたしののる便については、9時10分ころにならないと搭乗口がわからない。

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 (コワントラン空港を使う場合のおぼえがき: 安全検査がおわって右手に行くと、搭乗券をかざすと無料WIFIのコードが発券される機械がある。パソコンやスマホでWIFIにつないで。ブラウザをひらくとログインページがあらわれる。"By Boading Pass" というところに、もらったコードを入れればつながる。)
 ジュネーヴからのった飛行機、ポーランド航空418便は10時40分ころにうごきだし、45分ころ離陸。シートベルトサインがきえるのがおそく、11時30分ころやっと立ち上がれた。
 通路がわにしか席をとらないので、飛行機の窓からの写真はめったにとれないが、すいていて、めずらしく片側一列の座席を独占できたので、写真をとる。

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 ポーランドは、上空からみても、その名のとおり「平原の国」だ。

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 12時40分ころワルシャワに着陸。50分ころ駐機場着。バスにのってターミナルビルへ。

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 シェンゲン協定圏からの出国手つづきをしたら13時ころ。
 成田への飛行機、ポーランド航空79便は15時10分発なので、ボルドーワインをのむ。

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 そろそろ搭乗口にいこうかとおもったら、45分発に遅らせるという放送がきこえる。ふたたびパソコンをひらき、複数の論文要旨にコメントするしごとをする。
 成田ゆきの飛行機は遅らせた定刻以上には遅れずにうごきだす。
 往路とおなじく、エコノミークラス最前列の通路がわの7G席という、わたしにとっては理想的な席が確保できた。

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 れいによって、まずビールをのむ。

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 1度めの機内食。

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 堺雅人、高畑充希主演「鎌倉ものがたり」をみる。こんどは、ファンタジーの度合いが強く、冒険要素もあるので、泣かずにすんだ(笑)。
 2度めの機内食は稲庭うどんのように細い麺の焼きうどん。

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6月9日
 出発とおなじくらいおくれて、9時10分ころ成田に着陸、
 入国、税関ともたいへんすいていて、9時40分には空港をあとにする。
 正午すぎに帰宅。こどもたちが歓迎してくれた。

 最後の写真は学会のときの名札。よい記念になる。

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 前回、3月のフランス出張では大きな問題にあったが、今回のスイス出張ではなんの問題もなく、いいことばかりだった。ありがたいことだ。とくにごいっしゃくださった和田くん、サンドリヨンさまには感謝。
 きのう(12日)からきょう(13日)にかけて、ロマンス語学会第56回大会があり、京都大学に出張してきた。
 といっても、発表者としてではなく、たんなる参会者としてこの学会にゆくのは3年ぶりなので、気らくなものだ。
 プログラム:
 http://sjsrom.ec-net.jp/sjsr56.html

 12日は晴れて、暑かった。
 午前中、べつの用事をすませてから阪急電車で四条河原町へ。
 四条大橋から鴨川を見おろすのは、何年ぶりだろうか。

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 四条から京阪にのり、出町柳へ。
 京都駅や四条河原町からバスやタクシーにのると、乗る順番待ちや渋滞で時間があてにならないので、わたしはいつも京大に行くときは、出町柳から歩くことにしている。

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 百万遍(ひゃくまんべん)という地名を見たりきいたりすると、いつもこころがおどる。

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 おなじ百万遍の交叉点には、「タテカン撲滅」などという批評的なタテカンがある。

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 しかしこれらのタテカンは、残念ながら13日には撤去されることになる。京都市の景観条例にふれるというのが一応の理由だが、林立するタテカンこそが京大らしい「伝統的景観」ではなかろうか。

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 学会そのものはいつもながらたいへん楽しく、いろいろと耳学問をしてきた。

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 12日の共通テーマのセッションのあとにひらかれた総会は、逝去された原誠先生(スペイン語学)に黙祷をささげることからはじまり、来年度の共通テーマを多数決できめることで終わった。
 雰囲気が親密で、アットホームで、牧歌的で、この学会の好きなところだ。
 12日のすべてのプログラムがおわったあと、学内の吉田生協食堂で懇親会。

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 20時30分ころに大学を出て、御所の裏にあたる、いかにも洛中らしい風情のある旅館にとまる。

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 13日、朝起きると、すでに雨がふっていた。
 賀茂大橋をわたり、ふたたび京大にむかう。賀茂大橋からは、賀茂川と高野川の分岐がみえる。おなじ「かも川」でも、ここより上流は「賀茂」川、ここより下流を「鴨」川と書く。

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 2日めは13時30分ころ大学を出るが、たいへん雨がはげしくなっている。
 なんとか東大路からバスにのり、京都駅へ。
 京都駅周辺で昼食をたべたいが、どの店もたいそう行列していて、入れそうにない。30分くらいもさまよい歩いただろうか、というころに、比較的待ち人数がすくない店を見つけ、ごいっしょくださったかたがたと、わたしをいれて4人で昼食にとんかつをたべる。

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 東京までかえるかたといっしょに新幹線にのったので、お約束のビールをのむ。
 なにしろ新幹線にのっているオッサンたち(この形容はもちろん、わたしにも向けられると自覚している)は、判で捺したようにビールをのんでいるから。

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 ブザンソンのフランシュ=コンテ大学で16時間の集中講義をすることをおもな目的として、3月17日から4月2日まで17日間のフランスに出張してまいりました。
 きのう、いちおう無事帰国しました。「いちおう」というのは切実で、いつもなら、「うれしそうに」写真をはりつけて記録をお目にかけるところなのですが、今回はそれができないことになってしまいました。

 実はわずか2日目の18日、パリの空港から市内にいく途中に盗難にあい、機内持ちこみの重要なほうの荷物を失ってしまいました。
 お金、カード、パスポート、書類、スマホ、カメラなど、全部なくなってしまいました。
 即日警察に被害届を出し、カードはすべて止めました。
 ブザンソンへの移動を1日遅らせることを余儀なくされ、パリ市内の知り合いのかたのご自宅に泊めて(かくまって?)いただき、なんとか生きのびることができました。
 19日月曜、午前に大使館にポスポート盗難時の対応について問い合わせをしたあと、TGVにのってブザンソンに向かいました。集中講義は火曜からでしたが、月曜には打ち合わせをいれていたので、それは時間をずらしてもらいました。

 盗難についてくわしく書くのは苦痛なのですが、空港から市内に移動する電車のなかで、機内持ち込み用だった荷物を、あずけた方の大きなスーツケースの上につないで乗せていたところ、上だけもち去られ、しかも直後に電車のドアが閉まり発車するというタイミングでした(犯人としては、そのタイミングをはかっていたのでしょう)。
 上だけでもかなり重いカバンだったので、そこからなにかを抜きとられることは用心していたものの、まるごと持っていかれるという頭がありませんでした。まったく、いくら用心しても用心しすぎるということはありませんね。
 パソコンだけは、わたしのもっている旧型のがやや重いので、スーツケースに移してあったのが不幸中の幸いでした。Wifiのある環境ならネットにつなぐこともできました。
 学生に安全を訴えないといけない立場であるにもかかわらず、このようなことになり、面目もありません。
 留学時代、そしてその後何度も出張で来ているときも、フランスではこれまで1度も盗難にあったことはなかったので、裏を返すと、それがかえって警戒の不足につながったかもしれません。
 また、たとえばわたしは服装に非常に無頓着で、つまりは貧乏くさいかっこうをしているから、ねらわれにくいだろう、というようなの考えもあったかもしれません。こうした考えもまた要注意ですね。
 フランスはここ数年、テロ事件が続発しているだけでなく、治安全般が悪化しているという話もききました。

 カードを止めたときに、緊急用の代替カードを作ってもらえると知り、それをブザンソンのホテルに急送してもらうことで、ブザンソンについてからはまともな生活ができるようになりました。
 ブザンソンでは、コードネーム:サンドリヨンさまをはじめとして、現在留学中の筑波の院生のみなさまと再会でき、こころがあたたかくなりました。
 しかも、フランシュ=コンテ大学で授業をするのははじめてでしたが、大学院の学生はとくにそうで、学部の学生でさえ、するどい質問やコメントでわたしの下手な授業を補ってくださり、議論もして、たのしい思いをしました。
 はじめの日曜に起きた災難をかなり忘れ、全体的には来た意味があったと思えるようになりました。

 帰途は予定をくりあげて29日にパリに移動し、30日に日本大使館でパスポートにかわる渡航書(いわゆる laissez-passer)を作っていただきました。本来は渡航書は出国前日渡しなのですが、土日は大使館が休みなので金曜ということでした。
 4月1日はパスポートでなく渡航書だから少し手間取るかと思って、出発3時間くらい前にロワシーの空港についたら、結局いつもと変わらず、あずけ荷物を入れ、出国し、安全検査を受けるまで1時間くらいで済みました。
 直行便ですが時差の関係できのう4月2日、どうにか帰国できました。

 盗難にともなう事後処理はまだまだつづきますが、なんとかがんばりたいと思います。
 6月にはまた、スイスのヌーシャテルでひらかれる Chronos の学会に行くことがきまっておりますので、気をひきしめてそなえたいと思います。

 * * * * *

 上で「今回は写真が貼れない」といったものの、サンドリヨンさまが食事などにごいっしょくださったときにかぎり、写真をとってくださり、メールで写真を送ってきてくださったので、やはり貼りつけます。
 アルジェリア料理店 « Chez Achour » にわたしをふくめて4人でくりだし、vin gris をのみながらクスクスをたべてきました。
 ブザンソンにはアルジェリア領事館があるなど、アルジェリアと縁があるようです(そもそもこの規模の都市に在外公館があること自体めずらしい)。
 灰色ワイン Vin gris です。ロゼと似ているのですが、ややくすんだ、褐色寄りの色です。アルコール12%とは思えないほど酔いやすいので、ちびちびのみます。

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 クスクス couscous です。子羊のあばら肉、メルゲーズなどをのせて、絶品でした。

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 最後はミントティーです。だいたい、ミントティーははじめから甘いことが多いのですが、ここのは、「甘いほうがよければ、お砂糖を入れてね」でした。

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 べつの日には、Salon de thé (店名不明) でお菓子をたべてきました。時計形のお菓子がかわいい。

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 またべつの日には、50年くらい続いているという « Le Petit Polonais » にゆき、ワインつきでわずか11フランというムニューをたべてきました。シャンピニョンのかおりがしみて、みかけからは想像できないほどおいしかった。

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 3月にはいってから、後期入試にまつわる業務を担わなければならなかったり、種々の案件(フランス出張の準備のため先方と書類のやりとりをしたり、いわゆる「学位プログラム化」にともなう学類および大学院の課程変更にまつわる案を作成したり、白水社に『叙法の謎を解く』の初校をしあげて返送したり、駿河台出版社に『フランス語学概論』の重版版下PDFを作ったり、フランス語学会のニュースレター担当の引きつぎをするなど)をかたづけるのにおおわらわで、なかなか « 日録 » を書けなかった。
 ひとつまえの記事で事情を書いたように、来週と再来週の2週間、フランス、ブザンソンのフランシュ=コンテ大学で集中講義を担当する。きょうまで、ニホンにいるうちになんとしても済ませておかなければならない、上記のような事務的な用件に追われていたため、集中講義の準備は往路の飛行機、パリのホテル、パリからブザンソンにむかうTGVの車内でも続ける羽目になりそうだ。荷づくりもまだまったくしていない。(´Д⊂ヽ
 まあ、なんとかつとめてきたいと思う。

 * * * * *

 まいとしこのころに咲く拙宅の白水仙が咲いた。素朴で無心な花だ。
 ことしも去年とおなじで春がややおそく、白水仙はまだ満開というほどではない。明日からフランス出張なので、ことしは満開は見られないことになる。

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 八重咲きの黄水仙(花がさくと茎がもちこたえないほど頭が重くなるので、たおれないよう囲いをつくっている)はまだつぼみもかたい。こちらは4月の帰国後に花をみることができるだろう。

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 フランス語を学びはじめた年、フランス語では白水仙を narcisse、黄水仙を jonquille と、ちがう単語を使うことを知っておどろいたものだ。それからはもう30年以上の年月が経ってしまった。
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 きょうは前期入試のしごとがあったので、万一にそなえて昨夜からつくばに泊まった。
 昨夜は松見公園のちかくの « 大成軒 » に25年ぶりくらいでゆき、夕食にもつ煮込みをたべてきた。これが25年まえから変わっておらず、とてもなつかしい。

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 * * * * *

 昨年度は監督と採点の両方を担当したが、ことしは監督のみ。
 しかし、監督がじつは大のにが手だ。だいたい、あの張りつめた空気がたえがたい。
 きめられたことしか言ってはいけないので、せめて表情だけはおだやかにしていることをこころがけている。

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 朝9時からしごとをはじめたが、最終確認がおわる20時ころまで待機していなければならず、ながく、たいへんな1日だった。
 しかし、わたしのかかわった範囲ではなにごともなかったので、たいそう安堵した。

 * * * * *

 数日まえから、5月に出る予定の拙著『叙法の謎を解く』の初校にとりくんでいる。
 ずいぶん大それた題名の本だと思われそうだが、昨秋出た井元秀剛さんの『時制の謎を解く』にの続編で、シリーズもの全体できまっている題名だ。
 白水社から単著を出すのははじめてだが、校正刷りに編集者のかたがきめ細かく鉛筆で示唆を書いてくださったおり、だいたいそれに沿って考えてゆけばよさそうで、ありがたい限りだ。

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 * * * * *

 3月と6月の2度にわたり、海外出張が入ることになった。

 まず3月は、ブザンソンのフランシュ=コンテ大学に集中講義に行くことになった。
 フランスの今年度から始まった « Erasmus + » による交流事業の一環だ。
 « Erasmus + » はフランス文科省の競争的予算で、EU以外の交流協定校と院生3人を相互に1年交換留学させ、教員2人を相互に2週間往来させて集中講義をさせ、職員も相互に2人1週間往来させて交流させ、これらの費用は全部フランス文科省が出すというもので、たいへん恵まれている。
 院生の交換留学は昨夏からはじまっており、相互に院生を交換留学させている。
 フランシュ=コンテ大学の応募案件は「文学と言語学」という、日本なら絶対に粗雑にハネられるだろう、というテーマだが、きわめて高い評価で採択されたとのことで、日本とは違うなあ、と歎息する。
 
 そして6月は、スイスのヌーシャテル Neuchâtel に行く予定ができた。
 時制専門の学会、Chronos の大会での口頭発表を昨年12月に応募していたのだが、最近採択通知がきた。

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 ヌーシャテルは湖のまわりにひろがる paradisiaque なまちだそうで、行くのがたのしみだ。

 * * * * *

 いや、「行くのたたのしみだ」などというまえに、発表の準備をしなければ。
 さらにそのまえに、3月の集中講義の準備をしなければ。
 もっとも、今年度は上記の交換留学でブザンソンから受け入れている学生にすでに半年フランス語で授業をしたので、それを活用すれば、題材の点で穴をあけるおそれはない。
 ブザンソンからきている交換留学生はあと半年ニホンにいるので、わたしが3月にフランスに行くときの聴講者と重なるおそれはない。
 えっ、手ぬき? (*^b^) シーっ!
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 わたしが編著者をつとめた論文集『諸言語におけるTAMEの発現について』が先月刊行された。
 しかし、納品検収の対象になっていたのは本冊のみで、そのあと、ぬきずりを印刷所からもらったりするのに2週間くらいかかり、ようやく今週になってすべてがととのった。
 きょう、執筆者のかたがたと会い、本冊とぬきずりの執筆者わりあて冊数をおわたししてきた。
 ひととおり話しおわったあと、いっしょに西新宿、24時間営業、しかも激安の、「神をもおそれぬ」と形容したくなる偉大な酒肆、« やまと » にひさしぶりにくり出し、ビール、ワイン、ハイボールなどをのんできた。

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 量はたいしてのまなかったのに、けっこう酔っぱらった。としのせいか、酒によわくなった。
 2015年3月からほとんど3年ちかく使ってきたスマホ(購入時の記事: http://palantien.blog137.fc2.com/blog-entry-288.html )が、アプリの更新ファイルなどが積もって、ついに本体ストレージの残量がほぼゼロになってしまい、メールの読み込みもできなくなってしまった。

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 そこできょう、TONEモバイルで最新機種に機種変更した。わたしがこれまで使っていたのは、TONEモバイルの前身だったフリービットモバイル社の端末 PandA(上の写真の右)で、Android のヴァージンが 4.2.2 という驚異の立ちおくれっぷりだったが、きょうからは TONE m17 という端末(上の写真の左)を使いはじめた。

 TONE m17 の仕様はつぎのようだ:

 https://tone.ne.jp/product/spec_tone_m17.html
 からの引用:
  名称:TONE m17

  寸法:高さ:144mm 幅:71mm 厚さ:8mm

  重さ:約148g

  ディスプレイ:720×1280ピクセル 5インチHD

  カメラ:背面1,310万画素、前面500万画素、1,080p動画撮影対応

  システムOS:Android™ 7.1.1、Google Play™搭載

  CPU:MSM8916(64bit 1.2GHz クアッドコア)

  メモリ:ROM 16GB、RAM 2GB
      外部記憶領域:microSDカード(最大256GB)

  電源とバッテリー:USB充電 バッテリー2580mAh

  SIMカード:Nano SIM

  同梱物:保証書、SIMカード台紙、micro USBケーブル、ACアダプタ、置くだけサポート

  携帯電話/ワイヤレス通信方式:GSM 850/900/1800/1900、W-CDMA(3G) 1/5/6/8/19、LTE 1/3/8/19/26、Wi-Fi(a/b/g/n)、Wi-Fiダイレクト、Wi-Fiディスプレイ、Wi-Fiテザリング、Bluetooth4.1

  位置情報:GPS(A-GPS)およびネットワーク


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 富士通がつくった端末で、TONEモバイルのロゴがはいっている以外は富士通 Arrows M04 とおなじものらしい。
 落下や摩擦への耐性を強め、泡のハンドソープで洗えるという強い筐体、そして日本語入力システムとして Super ATOK ULTIAS がはいっていたり、検索アクセラレーター として使える「なぞってコピー」など、富士通 Arrows に独特の性能に浴することができる。
 しかし、これまでとは微妙に勝手がちがうので、なれるまではたいへんそうだ。
 画面はこれまで使っていたのが5.5インチだったのに対し、こんどは5インチと小さくなったので、老眼にきびしいかとおそれていたが、あまり大きな違いは感じない。

後日追記:

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 あたらしいスマホに手帖型カヴァーをつけた。
 まえのスマホにはプラスティックのケースしかつけていなかったが、わたしはあわて者なので、落として割るリスクのほうが、カヴァーのなかに熱がこもって電池を消耗させるリスクよりも大きいと考え、物理的保護を優先した。
 富士通 Arrows M04 および TONEモバイル m17 用に設計されているので、カメラやフラッシュ、各種端子の位置もよく合っていて、カヴァーをずらすなどしなくても各種操作や接続ができる。
 30日、31日の両日、大学院入試のため前泊もふくめてつくばに泊まりこんだ。
 「あわてず、さわがず」ということばがあるが、わたしはその正反対のあり方をしているので、入試業務を担当するのは、いつも不安だ。

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 29日夜、雪がふって心配したが、さいわい積もることはなく、朝には快晴。
 30日は午前、午後とも筆記試験の日なので、もしなにか起きた場合にそなえて長大な待機時間をすごす。
 さいわい、大きな問題は起きず、この日は終了。

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 1985年、つくば科学博の年に開店した « クレオ » は、« 西武百貨店 » と « ジャスコ »(現 « イオン »)がキーテナントだったが、昨年 « 西武百貨店 » が惜しまれつつ撤退した。
 片肺飛行でどこまでもつかとおもっていたが、やはりむずかしかったようで、1月31日で « イオン » や専門店街も閉店することになってしまった。
 30日の夜、最後の名残りに立ちよってみた。撤退に際会し、メッセージを書きのこすことのできるコーナーがあった。「さみしくなります」というコメントがあった。

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 おもえば、わたしは1987年に筑波大学に入学したとき、当時の « ジャスコ » で必需品の多くを買いそろえたものだ。
 そのときに買った « クロワッサン » のうすみどり色の洗面器と石けん箱は、フランスをふくむ、わたしのたびかさなる引っ越しにずっとついてきてくれて、いまも自宅の浴室で現役だ。
 そんなことを思いながら、のこったもののすくない売り場を見てまわると、なぜか涙がにじんできた。としをとって、なみだもろくなったのだろう。

 あとにはいるテナントはきまっていないときいた。空調が全館一斉にしかできないらしく、一部だけを借りたいというテナント候補はことわっているそうだ。

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 大学からやや遠いのだが、漠然と好きな梅園のホテルにとまった。
 しかし、31日は自然に早く目ざめ、ふだんまったくたべない朝食をたべてしまったので、胃腸が重く、昼食を抜いてちょうどいいくらいだった。なれないことはするものではない。

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 31日夜は帰宅後、皆既月蝕を見る。銅のような色をしていた。

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 アクティヴ・ラーニングと称する魔法を使っている東京外国語大学では、「半期15週。これに期末試験を含めてはならないことは言うまでもない」という文科省の金科玉条をかろやかにふみやぶっており、はやくもきょうが年度内最後の授業。
 れいによって、たのしく授業をしたあと、ひさしぶりで武蔵境へ。

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 武蔵境は武蔵野市に属するせいか、公共施設もなにほどかおしゃれだ。
 下記写真のすてきなビルは市民図書館だが、« 武蔵野プレイス » という複合施設になっている。

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 駅前は公現節がすぎてもイリュミネーションがついていた。

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 駅前の酒肆 « 鍛冶屋文蔵 » に外大の院生、学生のみなさんと集まり、つみれ鍋をたべながら、ビール、のちワインをのんできた。

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 かえりみち、京王の転換クロスシート車にはじめて乗れた。鉄っちゃん的には重要。

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 昼間は春のような陽気だった。

 近畿大学の菱川さんを科研費でお招きして、15時から17時、ブルガリア語の時制・叙法について講演をしていただく。
 ブルガリア語では、未完了過去形の記号素を使って、第2直説法(かつては「伝聞法」といわれていた)を形成するとのことで、フランス語で他者の言説をあらわす条件法が半過去形の記号素をふくんでいることや、さらには半過去形である種の叙想性をあらわすことができるということと似ていると思った。
 参会くださったみなさんとも有意義な討議ができた。
 
 つくばからのかえりみち、きょうお招きした菱川さんとふたりで北千住に寄り、常時行列している « 大はし » をのぞいたところ、さいわいすぐにすわれたので、ビール、のち天童の酒の熱燗をのんでかえってきた。

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 いそいそと、嬉々として « 大はし » に吸いこまれてゆくわたしのうしろ姿を、菱川さんが撮ってくださった (笑)。

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 月 が 酒 が か ら だ い っ ぱ い の よ ろ こ び (種田山頭火)
 きょうは休み明けで、堰を切ったようにしごとが多く、たいへんな1日でした。

 きのう(成人の日の祝日)は、休みの最後ということで、私的な新年会をひらきました。
 場所は錦糸町(半年ぶり2度め)。



 半年まえとおなじく、« 東京穆斯林(ムスリム)飯店 » というハラールの中華料理店に行きました。



 慈愛あまねき、慈愛深きアッラーの名において」と、アラビア語と中国語で書かれています。



 麻辣羊肉鍋が絶品で、これをたべるだけでも来た意味があります。
 ビール、のち赤ワインをあおるように飲み、ひさしぶりに酔っぱらいました。

 あけましておめでとうございます。
 ことしもどうぞよろしくお願いいたします。

 BON' ANNATA 2018 À TUTTI !
 Vi auguru felicità, salute è prosperità !

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 画像は昨年の夏から12月にかけて、パソコンデスクの棚に貼りっぱなしにして、自己鼓舞に用いていたメモ用紙です。
 れいによって、昨年の正月にたてた目標( http://palantien.blog137.fc2.com/blog-entry-393.html )の達成度をふりかえってみます。

 (1)2017年5月のロマンス語学会大会で認知モード関連の発表をし、3年越しの課題を論文化する。⇒ 発表および論文化達成。ただし、学会誌は現在査読中なので、公刊されるかどうかは未確定。
 (2)単著新刊書を2017年9月までに刊行する。 ⇒ 達成。ニホンではじめてのコルシカ語の文法書、『コルシカ語基本文法』を早美出版社から刊行。
 (3)(2)とはべつの単著新刊書(ジェロンディフ、現在分詞関連)を2017年3月までに刊行する。 ⇒ 達成。『ジェロンディフと現在分詞の意味論・語用論』をデザインエッグから刊行。
 (4)(2)、(3)とはべつの単著新刊書(白水社、中級文法新3部作のうちの1作)を2017年秋(詳細しめきり未定)までに脱稿する。 ⇒ 未達成。しめきりを1月に設定していただいた。
 (5)現在初稿進行中の共著書に書いたダニエル・ルボー先生との共著論文を2017年5月に刊行する。 ⇒ 達成。『フランス語学の最前線』第5巻(ひつじ書房)所載。
 (6)2016年12月に原稿を提出したくろしお出版の論文集の単著論文を2017年10月に刊行する。⇒ 達成。「フランス語および西ロマンス諸語における「行く」型移動動詞の文法化」と題した論文を天野みどり・早瀬尚子編『構文の意味と拡がり』に載せていただいた。
 (7)2017年度が最終年度のわたしが代表者の科研費の論文集を2017年12月に刊行する。⇒ 未達成。しかし、版下はもう印刷所に入れ、印刷中なので、1月後半に完成予定。

 というわけで、7件中5件達成(達成率71.4%)。一昨年の目標達成率は66.7%でしたので、やや向上しました(笑)。
 そして、れいによって新年の目標も公開します。

 (1)前年未達成の(4)をうけ、『叙法の謎を解く』(白水社)という大それた題名の単著著書の原稿を1月中に仕上げる。
 (2)2017年秋に草稿を出しておいた論文集『テクストと時間』(ひつじ書房)をへの投稿を改稿し、最終版原稿にする。
 (3)応募済みで査読中の Chronos の次回学会(6月、スイスのヌーシャテルで開催予定)で、みとめられれば口頭発表をする。
 (4)2017年12月の名古屋大学での研究会をもとにした出版企画の論文を書く。
 (5)フランスで出版される予定の、動詞 dire を用いた談話語の解説書の担当範囲の原稿を書く。

 これまた、自分だけでは達成できない目標もふくまれていますし、大きな課題もありますが、なんとか、できるかぎり進めたいと思います。この正月も(1)の課題のために閉居執筆のつもりです。
 週末を中心に、名古屋に出張してきた。
 おもな目的は、ワークショップ « Approche contrastive franco-japonaise sur la grammaticalisation, la lexicalisation, le figement »(文法化、語彙化、凝結:日仏対照言語学的アプローチ)で口頭発表をすることだった。
 http://wjunya.blog39.fc2.com/blog-entry-439.html
 フランスのストラスブール大学から、招待講演者として Catherine Schnedecker 先生をおまねきしているので、フランス語で発表を準備しなければならない。
 しかし、単著著書の原稿もあいかわらず引きずっているので、12月にはいってから、(申しわけないけれど)それはいったん横において、名古屋での研究会での発表準備にかかっていた。
 その結果、実施2日前の14日(木)にようやくハンドアウト(配布資料、A4で10ページ)ができあがり、なんとか発表できるのではないか、という状態になった。
 ワークショップの本番は16日(土)に公開形式で実施され、しかも朝からなので、15日(金)のしごとがおわったあと、新幹線にのって名古屋に移動した。

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 前泊の宿で、思い立ってパワーポイントを作成。わたしはパワーポイントが大のにが手なので、とくに図式化して提示したいところだけ、部分的にしか使わない。たとえばつぎのような感じ。

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 それ以外はスライドではなく、ハンドアウトのPDFを映写することにしている。
 時間をはかって予行演習もしたかったが、疲れて就寝。
 そのかわり、16日の朝、1時間くらい余裕をもって自然に目ざめたので、予行演習をした。制限時間30分におさめるのはきついが、ぎりぎりのようだ。

 地下鉄鶴舞線にのったら、たまたま名鉄の車輌がきて、うれしかった。

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 会場は名古屋大学の国際開発研究科棟。

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 はじめは Schnedecker 先生の招待講演 ≪ Les pronoms indéfinis /+hum/ du français et les innovations : le cas de degun(s) ≫。
 はずかしながら、degun というのはなんだか知らなかったが、もともとはプロヴァンス語で、フランス語 aucun、スペイン語 alguno などと語源をおなじくする。
 さきの大統領選でマクロンがマルセイユでの演説で使い(ニホンでいえば、小泉4世が遊説のはじめでその土地の方言を披露して「つかみ」にしているようなものか)、どちらかというとネガティヴな話題になったことでよく知られるようになったらしい。
 否定語としての personne と類義だが、分布を異にしており、degun を導入することは体系の空き間を埋めるような意義があるという。

 自分の発表ハンドアウトで、例文番号がずれていることに気づいたので、昼食を辞退して手書きで30部なおす。もっとも、ほかに気づいていなかったまちがい(タイプミス)はいくつもあった(笑)。
 午後のセッションのなかほどでわたしの出番。いつもながら要領がわるいが、なんとかつとめた。
 出番がおわったあと、Schnedecker 先生や、フランスからの他の参加者からもお褒めのことばをいただいた。わたしは、ことばに詰まっても困らないように、いつもハンドアウトにほとんど文章化しておくのだが、それを読んでくださってのお褒めでもある。
 フランスではある種の教養主義というか、書きことばへの偏重がとくに根づよいので、わたしはそれに乗っかって、不当なほどの評価をいただいていることは自覚している。書くだけなら、立派なお手本は山ほどあるのだから、なんとかなるようだ。
 休憩時間に、パリから参加されている Aude Grezka さまが、わざわざわたしのハンドアウトに誤記の修正を書き込んだものをお渡しくださったので感涙した。
 いちおう Microsoft Word のフランス語スペルチェックはかかっているのだが、スペルチェッカーは言語学用語をまったくといってよいほど知らないので、じつは役にたたない。

 18時すぎに終了。この日の夜は名古屋大学の宿泊施設、≪ グリーンサロン東山 ≫ にとまるので、いったんそちらにゆき、大荷物をおろす。

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 はじめから言っておけばここに2泊することもできたのだが、前泊はあとから決めたので、別のところ(伏見)だった。
 19時30分から、千種(ちくさ)の古民家を改造したとおぼしき酒肆 ≪ 文 ≫ でビール、のちニホン酒をのむ。ひとしごとしたあとのビールはおいしい。

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 22時30分ころ解散。しかし、フランス(パリ)とイタリア(シエナ)からの参加者がカラオケに行きたいとのことだったので、本山(もとやま)のカラオケ店 ≪ ジャンカラ ≫ にゆき、23時から1時まで2時間うたってきた。
 酒類飲み放題をつけ、たくさんのんだ。
 ピアフ、モンタン、エルザなどフランスの曲、ミーナのイタリア語の曲、そしてニホンのなつかしい曲(尾崎紀世彦、山崎ハコなど)をうたい、非常にもりあがった。≪ ファンキー ≫ な夜だった。

 みんなでうたった Elsa の « T'en vas pas »。なんとなつかしい!


 翌17日(日)には非公開で、16日に別の学会がかさなってしまったため発表できなかったひとの発表をうかがうとともに、出版打ち合わせをした。
 このとき、わたしをふくめて3人が前日とおなじ部屋で待っていたのだが、これがまちがいで、25分くらい開始を遅らせてしまった。
 出版については、フランスのある雑誌の特集号を提案することになったが、編者が査読でふるい落とすだけでなく、全体としても外部審査員の匿名査読があるとのことなので、どうなるかわからない。
 しかし、わたしの感覚では、出版してもらえるかどうかは余禄のようなものなので、今回のプロジェクトのおかげで研究がいささかなりとも進んだことで、すでに大きな果実を得たと思っている。
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 ひとつまえの記事で言及した『構文の意味と拡がり』の編著者でもあられた早瀬尚子さんが、こちらでも編著者をご担当なさった『現代言語理論の最前線』をご恵投くださった。
 早瀬さんはご多忙にもかかわらずたいへん生産的で、讃歎の思いだ。なにやら、「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」というような感覚になる。

* * * * *

 わたしのほうは現在、あいかわらずいくつもの宿題に追われており、状況は改善していない。
 なかでも最大の課題である、単著著書の原稿を書くことに難渋している。好き放題に書ける研究書とちがって、解説的色彩の強い本なので、独特のむずかしさがある。

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 とはいえ、ただ毎日呻吟していてもしかたがないので、きのうはしごとがおわったあと、いささか開きなおりのようなこころもちで、ビールをのんできた。
 ふたつまえの記事で言及した、10月20日の菱川さんの歓送会以来、ほぼ1か月半ぶりだ。

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 しかし、好きなだけ飲んできて気分がよくなったおかげか、きのうの帰宅後からきょうにかけては比較的よく書けた。息抜きも必要だ、ということを一応の結論にしておこう。
 最近つくばで撮った写真。木の葉がかなり色づいてきている。

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 わたしども夫婦は、結婚22周年をむかえた。
 博士後期の大学院生のころ結婚して以来、わたしのような変わり者のあいてを続けてくれている妻には感謝あるのみだ。
 折悪しく、いま娘が溶連菌感染症で寝込んでいて、おかゆさえ食べられない状態なので、結婚記念日のお祝いはおあずけ。娘の体調がはやく本復するよう念ずる。

* * * * *

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 天野みどり・早瀬尚子編『構文の意味と拡がり』(くろしお出版、http://www.9640.jp/book_view/?744 )の見本刷りが到着した。とても瀟洒な装幀だ。
 近年、文法化 grammaticalisation より広い概念として提唱されている構文化 constructionalisation を中心とする論文集で、たいへん多様な論文が掲載されている(ただし、拙論はその点には貢献していない(笑))。
 その多様性に乗じて、「フランス語および西ロマンス諸語における「行く」型移動動詞の文法化」と題して、やや異質な、刺し身のよこに添えられている蓼(たで)のような論文を書いたところ、かろうじて巻末にのせてもらえた。
 このブログにも書いたことのある( http://palantien.blog137.fc2.com/blog-entry-358.html )、カタルーニャ語やガリシア語において「行く」型移動動詞を使って未来ではなく過去を標示するというおもしろい現象も扱っている。
 編者のうちのひとりの早瀬尚子さんは、大阪で高校1年のときわたしとおなじクラスにいた元同級生で、いまでは順当に飲み友だちだ。このような形で交流をつづけられることをありがたく思っている。

 天野みどり・早瀬尚子編『構文の意味と拡がり』くろしお出版
 « もくじ »
 第1部 構文研究の流れ
 第1章 総 論―構文論の最近の展開と今後の展望― 早瀬尚子
 第2章 総 論―日本語研究分野における構文研究― 天野みどり

 第2部 記号論の視点からの拡がり
 第3章 逸脱表現とアブダクション―日本語と俳句とハイクとコンクリート・ポエトリー― 有馬道子

 第3部 構文の成立と拡がり
 第4章 分詞表現の談話標識化とその条件―懸垂分詞からの構文化例― 早瀬尚子
 第5章 日本語の発見構文 三宅知宏
 第6章 日本語恩恵構文の意味の拡がりと構文の関係性 益岡隆志
 第7章 受益構文の意味拡張―《恩恵》から《行為要求》へ― 天野みどり
 第8章 構文推意の成立と拡張―日本語の助動詞構文を主な例にして― 加藤重広

 第4部 規範からの逸脱と拡がり
 第9章 逸脱的構文から見る中核的現象と周辺的現象との相関 大澤 舞
 第10章 イ落ち構文における主語の有無 今野弘章
 第11章 構文としての日本語連体修飾構造―縮約節構造を中心に― 本多 啓
 第12章 アメリカ英語における破格構文―節の周辺部に注目して― 柴崎礼士郎
 第13章 フランス語および西ロマンス諸語における「行く」型移動動詞の文法化 渡邊淳也


* * * * *

 なかなか時間がないので、わすれたころに書くが、先週月曜は台風の影響で、水曜は荒川の鉄橋上の火災が原因で、それぞれ小田急と千代田線が直通運転をとりやめたので、2回つづけて千代田線車輌の新宿行きに乗った。小田急線内にいわば取りのこされ、新宿に向かうしかないわけだ。
 Twitterには「#おまえそんな字幕もっていたのか」というようなタグがあるが、ある字幕を「もっている」かどうかがはっきりしている実物をまわす字幕ではなく、デジタル表示の場合、理論上は字幕のレパートリーは無限なので、めずらしさは薄れるかもしれない。しかも、たてつづけにおなじような状況になると、なおさらだ。

 月曜:

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 水曜:

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 水曜は、あとからつくばエクスプレスにのったら、荒川をわたるとき、JR緩行線の橋のうえで、火災のあとかたづけをしているひとたちが見えた。架線から火花が出て、枕木に燃え移ったそうだ。

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* * * * *

 台風や火災での鉄道遅延が多く、つくばに着くのがおそくなった日があったのがきっかけで、こらまで通り過ぎるだけだった « つくばキュート » のフードコートにある中華料理店、« 王記厨房 » で手早く食事をすませることが多くなった。手早いとはいえ、註文してから作ってくれる。
 フードコートとは思えないほどおいしい、回鍋肉:

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 油淋鶏:

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 あいかわらず、山のような宿題に追われているが、、、(以下略)

 21(土)に早稲田での研究会で発表するが、これは開催1週間まえになっても発表者が空席だったため、それを埋めるために世話人であるわたし自身が飛びこんだもの。
 準備がまだ途中なので、(こんなときでなければ、あまりしたくはないことだが) パソコンをたずさえて家を出て、しごとにむかう電車のなかでも準備する。
 武蔵野台でのりかえるとき、時間調整にはいったカフェでもパソコンをひらいて発表準備。
 紅茶がさめないように、ティーボットに服を着せているのをはじめてみた。なんだか、かわいい。

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 東京外国語大学で授業をつとめたあと、武蔵境、秋葉原を経てつくばにむかう。
 BiViつくばの筑波大学のスペースでパソコンをひらき、待ち合わせの時間まで発表準備。
 さいわい、ハンドアウトがひととおりできあがった。
 つくばでは、わたしが代表をつとめるTAME研究会( http://www.lingua.tsukuba.ac.jp/lgfr/tame/ )のメンバーでもある同僚の菱川さん(ブルガリア語学、ロシア語学)が11月から近畿大学に転出なさるので、歓送会と称してビール、のちニホン酒をのむ。
 酒がまわってくると、おたがいに本音トークを大爆発させ、とても楽しかった。

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 順当に午前の帰宅(なので、この日記の日づけも変わったあとのもの)。

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 あいかわらず、山のような宿題に追われているが、書きたいことが出てきたので、すこしだけ書く。

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 拙著『コルシカ語基本文法』の献本をお送りしていた田中克彦先生から、1979年に Jean という最小限の著者名で(というのは、独立はおろか、自治を要求する運動さえ、弾圧されていたからだろうと推測する)ドイツの Trikont Verlag (München) から刊行された Vom Freiheitkampf der Korsen をご恵贈たまわった。
 存在さえ知らなかった書物で、当然いまでは入手不能だ。「えびで鯛を釣る」とはこのことだ。しかも、いまは亡き金子亨先生とごいっしょに Mannheim にいらしたときに購入なさった由。そのような思い出もともなったものを思いがけずいただくことになり、たいへん恐縮している。

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 そういえば、春先に買った『田中克彦自伝』にも、故・金子亨先生の話が出ていた。
 金子先生が千葉大学に「ユーラシア言語文化論講座」をつくり、極北・シベリア言語研究の拠点としたことを「不朽の事業」であり、「千葉大学が絶対に失ってはならない財産である」と書いておられる(同書p.153)。
 「9月末危機」は乗りきったものの、なお課題山積のいま、「そんなことをしている場合か?」といわれそうだが、日本イスパニヤ学会の語学分科会の発表4件が、いずれもたいへん興味深いものだったので、外様ながら聴きに行ってきた。
 会場は神奈川大学で、もより駅は東急東横線の白楽または東白楽。
 東横線は渋谷から横浜に向かっていて、渋谷のほうが横浜よりはるかに東にあるので、「東」のつく東白楽のほうが白楽より渋谷寄りだろうと推測したのだが、大まちがいだった。白楽をすぎると曲線をえがいて東にもどり、東白楽のほうが横浜寄りなのだ。
 というわけで、白楽でおりて、六角橋商店街を通りぬけ、神奈川大学にむかう。あるいて15分くらい。

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 なかでもとくにおもしろく感じた発表についてしるす。

 福嶌教隆先生の発表、「de ahí que 節の叙法選択について」。
 まったくの事実としてみとめられる結論をみちびく表現なのに que 以下には基本的に接続法がくるというのは、例文に即してみると que 以下が旧情報であるという理由からである。
 とはいえ、実際の使用状況としては直説法も多い。これは直説法が強い主張をあらわす形式であり、そのような例においては que 以下が新情報をなしているという観察もできる。
 これはわたしも研究したいと思っているフランス語の接続法の議論にもいかせそうだ。
 わたしがかねてより支持している Hanne Korzen の説、すなわち従属節では接続法のほうが無標の叙法であり、直説法はいわゆる「主節現象」ととらえられる有標の事例であり、従属節という抑圧された環境をうちやぶるほど強い主張をあらわす、という考えかたとも相通じるように思う。

 まえの職場で同僚だった木村琢也さん(スペイン語界のキムタク)の発表「有声閉鎖音音素 /y/、/w/」。
 一般に有声閉鎖音とされる /b/、/d/、/g/ について、閉鎖音、破擦音、摩擦音、接近音の変異体を発した音声を母語話者にきかせて主観評価をしてもらう実験と、/y/、/w/についても同様の変異体を評価してもらう実験を比較することで、前者も後者も同様に4つの変異体が許容されることから、従来半母音とされた /y/、/w/ を体系的には /b/、/d/、/g/ となら有声閉鎖音音素とみなすことができる、という趣旨。
 これは Martinet も1950年代なかばにとなえていた説だという。Martinet は体系の経済性を重視したひとなので、むべなるかな、という気がする。

 余談ながら、母音間で閉鎖音が「ゆるむ」現象はコルシカ語にもあり、教科書的には /p/ の弱形が /b/、/b/ の弱形が /w/、/t/ の弱形が /d/、/d/ の弱形が /無音/ または /j/、/k/ の弱形が /g/、/g/ の弱形が /無音/ または /w/ のようになっている。
 しかし実際には方言差や、もっというとおなじ都市でも複数の異音がおこなわれているなど、とくに有声閉鎖音から摩擦音や接近音への移行には幅がある。方言によっては /d/ と /j/ の中途のような /δ/ があったり、/b/ と /w/ の中途のような /β/ があったり、/g/ と /w/ の中途のような /γ/ があったりする。
 M.-J. Dalbera-Stefanaggi (2002) La langue corse, P.U.F. (Que sais-je ? 文庫版 no.3641), p.32には、pedeの発音の例として、[p'edε]、[p'eδε]、[p'eδε]、[p'eε]、[p'ejε]、[p'eε] の6つをあげている。方言的差異も含まれているが、おなじ都市でもある程度の幅がある。
 このことは、木村さんが発表で紹介くださっていた、スペイン語で有声閉鎖音から破擦音、摩擦音、接近音への移行のなかで変異を許容する幅があるということと同様の現象だろう。
 コルシカ語の子音交替(mutazione cunsunantica)について、井上孝夫氏がブログ記事 ( http://polyglotreader.blog109.fc2.com/blog-entry-9.html ) で、「イタリア標準語からみると、「だらしない田舎の言葉」という感じかもしれないが、コルシカ人から見れば、この緩さがふるさとの言葉の温かさなのかも知れない」と書いておられた。「だらしない」かどうかはともかく、子音変化の結果の「緩んだ」感じのことを言っておられるのだろう。
 コルシカ北部ほど子音変化がはげしく、たとえば弱形位置のつづり字 -d- の発音がほとんど聞こえない。
 とくに前置詞 di で子音を落とされるとたいへん聞きづらく、しかも定冠詞の i と(ほとんど)変わらなくなってしまうので、率直にいって、よくこんな方式で話ができるものだと感心する。
 そういえば思い出したが、アルゼンチンあたりのスペイン語でも、過去分詞の -ado が -ao になったりするようだ。話をあちらこちらに飛ばしすぎなので、これで打ち止め。
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 ヒガンバナは大学の休暇明けを告げる花(なみだほろほろ)。
 きょうは博士論文審査のため、筑波に出勤。実質的な休暇明けとなった。
 ながねん、臥薪嘗胆の日々を送られたかたが、このようなかたちで果実をみのらせることになり、たいへんよろこばしい。
 おわったあと、大学近隣の « きく乃家 » で乾杯。

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 以下は到来品の紹介。

 同僚の Хшкв さんからいただいたカザフスタンのチョコレート。ありがとうございます。こんどの TAME 研究会でいっしょにいただきましょう。
 あ、下のははっきりカザフスタンスキーと書いてありますが、上にうつっているのもカザフのもので正解でしょうか? (後刻追記: 上のはノヴォシビルスクのものだそうです)

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 つぎに、献本でいただいた『理論言語学史』。
 認知言語学の部では、レイコフを木っ端微塵に粉砕していることを「期待」というか「予想」して読んだが、どの学説に対してもそれぞれの理論的選択としての意義をみとめ、互いの立場の継承関係や対立関係を俯瞰する記述がなされていたので、わたしとしては新たな発見があった。

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 サルディーニャ語学の画期的な概説書、Eduardo Blasco Ferrer et alii (Eds.)(2017) Manuale di linguistica sarda, Mouton de Gruyter.
 600ページにおよぶ各方面の解説を集めており、わたしにとっては新知識がいっぱい。
 というか、とうとうサルディーニャ語学にも手を染めるのか??

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 最後に、ついに刷り上がりが来た拙著『コルシカ語基本文法』(早美出版社)。
 ここで明かすのははじめてだが、ニホンではじめてのコルシカ語の文法書を書き、公刊した。
 院生のころ、フランスとカナダでレコード大賞を獲得したペトル・グェルフッチの歌唱をきいて衝撃を受けて以来、25年越しのコルシカ語愛をみのらせ、感無量だ。

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 (関係者のみなさまへの献本は来週以降順次送り出す予定ですので、いましばらくお待ちください。)
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 きょうは笹本恒子さんとむのたけじさんの映画『笑う101歳×2』を見に、横浜黄金町の映画館に行ってきた。
 笹本さんは2006年にパリで展覧会・講演会を開かれ、そのときわたしが資料や展示題名の翻訳を手伝ったという経緯もある。

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 映画は日常的なシーンが多いドキュメンタリーのため、若干散漫だったが、民主的な考えを100年つらぬいてきたひとたちの雰囲気にふれるだけでも、いまのろくでもない情況を逆に照らしだすような意味があると思った。


 映画を見おわったあと、中村川にそってながく歩き、二十数年ぶりで中華街をおとずれ、天長門にほどちかい中華料理店でおそい昼食をとった。
 わたしが若いころは、中華街の中華料理店は異常に値が高かったが、いまはデフレ時代のせいか、一般的な中華料理店とおなじような値だんで、とてもおいしい食事がいただけた。

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 現在受給中の科研費の共同研究の打ち合わせのため、上智大学へ。
 四ツ谷駅からそとにでるとすぐに見える上智大学は、(景観が)おおきく変わった。

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 日曜なので、聖イグナティウス教会でのミサを終えたひとたちがおおぜい出てくるところだった。

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 上智大学での打ち合わせは15時半ころおわり、帰途についたが、新宿駅からいったん小田急にのったら、沿線火災で運転見合わせとの報に接した。

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 やむなく中央線で立川、南武線で登戸にゆき、そしてふたたび区間運転している小田急にのって帰宅。

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 いつもなら1時間足らずの行程に2時間半くらいかかった。

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 帰宅後にみた19時のNHKニュ―スの冒頭で、この火災が報じられていた。
 警察官が非常ボタンをおし、自動停車させたため、その後さかんに火災現場から炎が出て、電車に燃えうつってしまったそうだ。
 電車が現場を通りかかったときにはまだ外まで炎は出ていなかったので、もし現場を走りぬけていたら、燃えうつることはなかっただろう。
 これでどうしても思いおこさずにいられないのは、1972年、北陸トンネルで急行 « きたぐに » が火災を起こしたときも、停車したせいで被害が甚大になったという事故だ。
 まいとし恒例のフランス語学研究会合宿のため、月曜からきょうまで2泊3日で軽井沢に行ってきた。
 この研究会合宿はことしで第37回(つまり37年め)という伝統のある行事だ。わたしは2000年(第20回)から参加している。

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 研究会の会場は文化女子大学などの施設、文化軽井沢山荘。
 スイスの湖から名を借りた、レマン湖(!)という人造湖のまわりに開発された別荘地、レイクニュータウンのなかにある。

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 ことしも多くの耳学問をして、たんに興味深いだけでなく、自分の研究の助けになることも多くあった。
 もちろん自分の発表の準備もしたので、勉強になった。
 なにより、気力が失速しやすいわたしにとっては、またがんばろうという気になるのがよい。

 山荘は食事がとてもおいしく、ことしも鯨飲馬食してしまった(東京にもどってきてからは節制にもどっている)。
 初日の夕食。

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 2日めの朝食。

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 軽井沢では毎日最高気温が26度くらいで、朝方は17度くらいと、涼しかった。
 ところが、きのうまでは比較的涼しかったという東京でも、きょうは35度の炎暑になった。
 東京にもどってきて外に出たとき、「この暑さは現実なのか?」と思うほどだった。
 お盆休み、妻とこどもたちとともに、箱根にとまりがけで出かけてきた。
 普通ならお盆の時期に、しかも混雑する箱根になど行かないのだが、今年は息子が中学3年で、勉強もさることながら、部活もまだまだ佳境で、お盆くらいしか休めないということなので、比較的近場のお出かけにとどめた。
 仙石原温泉に行ったが、信州の野沢温泉や上州の草津温泉に匹敵する白濁系の濃厚な泉質で、たいへん満足した。大涌谷の火山活動以来湧出量が減っているとのことだったが、それでもなお立派な温泉だった。
 チェックイン直後に、夜になると順番待ちで混むという貸し切り風呂にはいる。

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 豪華な夕食。あゆの塩焼きがおいしかった。

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 夕食後、ふたたび温泉につかる。他の宿泊客はみな、われわれがさきにはいっておいた貸し切り風呂に行ったらしく、大きな露天風呂も結局は貸し切り状態。

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 もういちど、露天風呂で朝風呂をあびたあとにいただいた朝食も豪華だった。いんげん豆の油いためがとくにおいしかった。

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 おなじ仙石原の « 星の王子さまミュージアム » と « ラリック美術館 » にも行ってきた。どちらも娘の希望。

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  « 星の王子さまミュージアム » は展示、映写、そして屋外に再現されたまちなみが楽しく、気分が出た。『星の王子さま』を読みかえしたくなった(そもそも、子どもむけの話とは言いきれない)。
 室内の展示物は撮影禁止なので、外観の写真をはりつけておく。庭には、まだあじさいがよく咲いていた。おそらくことし最後にみるあじさいだろう。

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 つぎに行った « ラリック美術館 » は、娘の愛読書『アンティークFUGA』シリーズに出てくるので見に行ったのだが、新たな発見として、列車の装飾なども手がけていたようで、パリからニースゆきの急行列車や、オリエント・エクスプレスもラリックの手になるガラス細工が壁の随所にそなえられていた。

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 地図にえがかれた、リヨン経由とクレールモン=フェラン経由の南仏ゆきの経路は、わたしにとってはたいへんなつかしい。リヨンはTGVの経路になったので、20年まえ、南仏に行く若者むけ夜行列車はクレールモン=フェラン経由のニームゆきだったものだ(それとて、いまでは昔がたりになってしまった)。
 オリエント・エクスプレスは実車が1輌展示されており、中もみることができて、息子もわたしも(鉄っちゃんなので)大興奮だった。

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 このオリエント・エクスプレスは、ニホンまで運行されたことがある。そのときのサボも挿されていた。

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 きょうは、大阪からきた三十数年来のふるいともだちとともに、北千住の沖縄料理店 « うるま島2 » でオリオンビール、のち泡盛をのんできた。
 海ぶどう、にんじんしりしり、スパムの素揚げ、ミミガーのごまあえ、グルクンの天ぷらなどをたべた。
 毎日飲みあるいているようだが、お盆休みなので特例ということで(笑)。

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 なお、 « うるま島2 » の数詞 2 は「ターチ」とよむ。沖縄方言では、やまとことばの「ひとつ、ふたつ、みっつ」を「ティーチ、ターチ、ミーチ」という(語源はおなじ)。
 「山の日」というあたらしい祝日。
 午後、« コレド室町 » にある « Brugse Zot » (オランダ語で、「ブルージュの痴れ者」という意味だろう) というベルギービール店にゆき、ムール貝をたべながら、各種ベルギービールを飲んできた。
 5月のロマンス語学会のかえりには新橋にあるベルギービール店 « Antwerp Six » で飲んできたので、それにつづく、「ベルギービール第2弾」といったところ。
 来週から1年間の予定でフランスに旅立つサンドリヨンさまの歓送を目的とし、そして、サンドリヨンさまとのしばしのお別れを理由にして、7月下旬にもお目にかかったばかりにもかからわず、ブランシュ・ネージュさまもおさそい申しあげ、たのしい酒宴になった。

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 先週末、この時期の恒例で大阪にかえっていたが、東京とはくらべものにならない炎暑で、ぐったりしてしまった。
 週明けも少々不調を引きずっているが、まあ、なんとか生存している。
 おくればせながら、先週末の記録を下記にのこす。

 7月29日(土)
 高校2年のとき(1984年)参加した大阪府高校生中国派遣団の同窓会。

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 難波で電車をおり、戎橋筋へ。
 ここのアーケードに満ちる熱気は、むかしもいまもかわらないが、近年とみに外国人観光客がふえた。

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 ことしは « なんばマルイ » にほどちかい四国料理店 « 四国三郎 » にあつまり、ビールをのんだ。
 ちなみに、四国三郎とは吉野川のことだ。坂東太郎とよばれる利根川、筑紫次郎とよばれる筑後川とならんで、「ニホン三大あばれ川」といわれている。
 はまちの刺し身や、たいめしがおいしかった。わたしは四国にルーツがあるので、なおさらだ。

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 20年ぶりくらいで会うひともいて、なつかしく、楽しかった。

 席上、派遣団の団長をつとめておられたK先生がことしの6月に逝去なさったことをうかがう。89歳。
 去年までお元気でこの同窓会にいらして、おいしそうにビールをのんでおられたので、ショックだったが、今後も同窓会は続けていくことになった。

 7月30日(日)
 高校卒業30周年(昨年)を機に交流が再開した、高校1年のときのクラスの同窓会。
 わたしがこの週末大阪にかえることを知らせたところ、6人ほどのひとたちが集まってくださった。
 まず、« 別館牡丹園 » にゆき、点心をたべながら、のみやすい(そして、名まえがおもしろい)宮崎の麦焼酎 « となりのおくさん » をのむ(写真では左上、水にしかみえない)。

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 梅田のまちなかを歩いてくるだけで、暑くてのぼせたような状態になったが、焼酎をのんでかえって気分がよくなった(そういえば焼酎は夏の季語で、暑気払いにのんだらしい)。

 しばらく話しているうち、高校1年のころのことが少しずつ思い出され、ただただなつかしく、だいじなことを再発見したような気になった。
 しかし、当時のことで、昨日はじめて知ったことも多くあった。それとも、当時は経験したつもりでも、黒歴史が多かったので、脳が記憶からはじいているのかもしれない(笑)。
 ひざの手術をうけ、片方だけ用心のため松葉杖をついているひとがいたが、かえりぎわにそれを置き忘れそうになるほどの回復ぶりで、よろこばしい限りだ。
 昼食後、茶屋町の « Butter » に移動し、パンケーキをたべながら話す。

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 時間のつごうで、こちらにだけ来てくださったひともいて、そのひとは中学でも同級生だった。
 三十数年もたつと、記憶の底流にとどまっていたものが呼びおこされ、無条件でなつかしくなる。あ、いや、何十年たってもいやなものもあるけれど(笑)。
 最近、ニホンでは、「プレミアムフライデー」という概念が売りだされているが、月末限定というのはあきらかに中途半端で、腰が引けている。
 毎週プレミアムフライデーにしようぜ、などと思っているうち、George Strait のなつかしい « Friday Night Fever » を思い出した。


 一方、Bee Gees が « Saturday Night Fever » という曲をつくっており、そちらのほうが有名なので、あるひとから、« Friday Night Fever » というのはまちがいではないかといわれたことさえある。ほんとうは両方あるのよ。


 いっそのこと、« Everyday Night Fever » でよいのではないか。

 * * * * *

 ともあれ、今夜は « Friday Night Fever » ということで、しごとがおわったあと、錦糸町にくりだした。
 錦糸町は通りすぎることはあっても、まともに来たのははじめてで、予想以上に都会的でおどろいた(笑)。

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 行き先は、« 東京穆斯林飯店 »。「穆斯林」は「ムスリム」とよむ。ハラール(中国語では「清真」)の中華料理だ。

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 店内の壁に、バスマラが額装されてかざられていた。

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 添え書きされた「奉普慈特慈的真主之名」というのが、「慈愛あまねき、慈愛深きアッラーの名において」の中国語訳だ。
 左下の署名もあわせて、中国の書の形式にとりいれられていることがわかる。
 中国におけるアラビア書道について、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所編『アジア文字入門』(河出書房新社、2005年)57ページに、「まずアラビア書道では常識であるカラム(葦や竹の先を削ったペン)ではなく毛筆です。そのため、アラビア書道では嫌われ漢字書道では重んじられる『画雲』とよばれる墨のかすれがあらわれています」と書かれていた。
 « 東京穆斯林飯店 » にかざられている作品にも、筆に特有の「画雲」がみられるように思う。

 * * * * *

 修士を取得なさり、今春から翻訳事務所に就職なさった元院生のブランシュ・ネージュさまを中心に、総勢5人でテーブルをかこみ、こうむるように飲んできた(酒をのむのはハラールなのか、というツッコミは置いておいて)。
 ブランシュ・ネージュさまとは学位記授与式以来4か月ぶりの再会だったが、あいかわらずお元気で、あいかわらず活溌で、そしてあいかわらず、かがやくようにお美しかった。
 連日の炎暑のせいか、わたしは少々元気がなかったが、おかげさまでいくらか回復したような気がする。
 料理もとてもおいしかった。とくに麻辣羊肉鍋が最高だった。その名のとおり、そして見た目のとおり、とても辛いが、ただ辛いだけでなく、辛さをささえるコク、うま味がある、などというと、「料理評論か!」といわれそうだが。

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 昨年、Abe Books から古書で購入していた参考文献、Melillo, Armistizio Matteo (1977) : Profilo dei dialetti italiani, vol. 21 : Corsica, Pacini. の附録音声資料が33回転のレコードだったので、ターンテーブルがないと再生できないという問題を、まる1年かかってようやく解決した。
 エバーグリーン社製、上海問屋販売のレコードプレーヤーDN-84537を購入。箱をあけてびっくり。同梱品は本体とケーブルと、パソコンにインストールするべきソフトウェアーのCDだけ。説明書らしきものは紙切れ1枚もない。

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 しかし、元来アナログ世代のわたしは、なんとか問題のレコードを再生するところまではできた。音がきけるだけでも長足の進歩で、たいへんうれしい。

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 USBケーブルでパソコンに接続し、デジタルファイル化するところまですすめるつもりで、専用ソフトウェアーをインストールはしたが、ソフトの扱いがあまりにも難解で(インストールしたはよいが、いわゆる Read me ファイルさえなく)、きょうはギヴ・アップ。
 まるっきり使い方のわからないソフトを模索するよりも、USB接続をあきらめ、音声出力プラグからパソコンにつないで、Media Player の外部入力録音を使ったほうが早いかもしれない。いずれにしてもまた後日。

[翌日追記] 南山大学の泉水先生よりご教示をたまわり、昨日わたしが製品付属 CD からインストールした問題のソフト、Audacity は、「窓の社」にも掲載されており、関連記事に解説も多くあるとのことでした。
 いままで孤立無援のようなこころもちでしたが、これならできるかも、と思いつつあります。しばらく情報収集したうえで再挑戦してみます。
 東京外国語大学で、春学期最後の授業をつとめる。
 なぜこんなにはやく終わるかというと、春夏秋冬の4期制に移行して、夏学期、冬学期を集中講義のみにした結果、春学期、秋学期はそれぞれ13週ということになっているからだ。
 それでいて、春学期も秋学期もひとこま2単位をあたえることになっているので、13週では本当は足りない。
 そこで2週間分、「アクティヴ・ラーニング」と称する課題をあたえて、2週相当分の学修をしたということにしている。
 このことをはじめて知ったときはおどろいた。文科省の金科玉条である半期15週ルールを、かろやかに踏みやぶっていると(ま、文科省なんて、加計学園のでたらめを認めている時点で、めちゃくちゃですけどね、アヒャヒャヒャヒャヒャ)。
 そして、率直にいってうらやましい(笑)。
 ともかく、対面授業は今週で最後なので、レポート課題を回収するとともに、いちおうきちんとひとこま分の授業もした。
 おわったあと、大学院生のかたがたと、近隣の « かかし » という店にゆき、ビールを1杯だけのんで、ピザをたべた。ここのピザはとてもおいしく、テイクアウトの客もたえない。

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 先週につづいて武蔵境経由で荻窪へ。
 荻窪で丸の内線にのりかえ。始発駅なので、つぎの列車はどちらの線から出るかの表示しかない。

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 丸の内線にほとんど全部のって(このような経路をとるところが、鉄っちゃんたるあかしか)、茗荷谷へ。

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 茗荷谷には約束より1時間以上はやくついた。ぐうぜん、元同僚のK先生にあって、きゃー。カフェで時間調整。

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 18時35分ころから、ひつじ書房の本社にはじめてゆき、今後の出版の相談をする。
 30分くらいで終わり、近隣の酒肆(酔って、店の名まえをわすれたのが痛恨のミス)で、ビール、そのあとニホン酒をのむ。
 刺し身や、鮎の焼き魚はいうにおよばず、最後にたべたたいめしが、わたしの親しんでいる瀬戸内ふうで、おいしかった。

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 自宅もより駅着はぎりぎり午後、しかし自宅まであるいたら午前さま。なんだか、飲んでばかりの日だった(笑)。

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 東京外国語大学で(今年度だけ、役職につかれた先生の代講をしているので、)ひとこま授業をつとめたあと、つくばに直行する。
 ふだんは京王線経由で東京外大に往還しているので、武蔵境をとおりかかるのは、じつに2002年、フランス文学会の春季大会が東京外大でひらかれたとき以来だ。
 以前、武蔵境駅は地上駅で、西武多摩川線のプラットフォームは、たとえていえば下館駅の関東鉄道常総線のプラットフォームのようだったが(このたとえのほうがわかりづらいか)、いまは高架化されており、あまりにものさまがわりにおどろいた。
 
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 ここからJR中央線でお茶の水へ、総武緩行線で秋葉原へ。つくばエクスプレスでつくばへ。
 筑波大学には17時まえについた。
 18時から、ボルドー大学からの留学生だったバティスト・プヨくん(大学院を満期退学し、いまは学籍はない)の博士論文の公開発表会兼審査会に副査として参加。
 発表をうかがったあと、あれこれコメントや質疑応答をして、20時30分ころまでかかった。たいへん興味深い内容だった。
 最終版論文を書いて出してもらうのはこれからだが、いまのところ順調といえるだろう。

 おわったあと大学近隣の « びすとろ椿椿 Bistro Cin-Cin » に行ってワインをのみ、22時ころ中座して帰途につく。

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 ひさしぶりに午前の帰宅(なので、この記事の日時は事後設定)。

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 きのう、ロマンス語学会事務局からはがきを受けとり、来年度のロマンス語学会大会は2018年5月12日から13日、京都大学でひらかれるむねのお知らせでした。
 わたしは今年度大会のときの総会に出たので、そのことを知っていましたが、次年度の大会の日程や会場を事務局から全会員に知らせるというのは、例年にない念の入れようです。
 その理由は、京都の宿泊事情がきびしいので、いまから予約に動いたほうがよいからです。
 わたしは大阪の実家に泊まるか、それとも、日曜の朝が早いから土曜の夜だけ京大付近に泊まるか、思案中ですが、そうこうしているうちに京都の宿は予約でいっぱいになってしまうかもしれません。
 もしそうなると、なんのために早めに知らせているのか、といわれそうです(笑)。
 京都に泊まるといっても、京大から遠ければバスもタクシーも渋滞するので、時間が読めなくなり、京大の近くに泊まらないと意味がないと思っております。
 初日に行くときも、バスやタクシーは使わず、京阪出町柳駅から歩くつもりです。

ロマンス語学会からのはがき

 * * * * *

四ッ谷

 そのロマンス語学会関連の案件ですが、きょうは日曜返上で、午後から上智大学で現在受給中の科研費の共同研究の打ちあわせに行ってきました。
 この共同研究では、フランス語・イタリア語・スペイン語・ポルトガル語・ブラジルポルトガル語・ルーマニア語の6言語パラレルコーパスをすでに構築し、かつ、データを検索・対照可能な形にしているので、今後はどんどん対照研究ができそうです。
 わたし自身も半過去形、大過去形、単純未来形、迂言的未来形などの対照研究を遂行するつもりです。
 とくに大過去形については、つぎの画像にみるように、回顧をのべるとき、フランス語は大過去形をとてもよく使うのに対し、イタリア語は少し、他では皆無という、ドラスティックな対比になっており、共同研究もおもしろいことになりそうです。

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 [後刻追記] 大過去形部分だけを赤字にするつもりでしたが、イタリア語の [5]、[6] は遠過去形 passato remoto なので、赤字にするべきではありませんでした(きょうの打ちあわせで判明)。
 しかし、この点を修正すると、フランス語からはますます遠ざかるので、対照として言ったことは保持できます。
 ただただ、多忙にしているうちに季節はすすみ、梅雨にはいりました。
 先先週までは学会シーズンで週末も留守にしていることが多かったのですが、一昨日、昨日の週末はひさしぶりに自宅にいられましたので、庭で写真をとったりしました。
 ただ、ことしは5月ころから雨がすくなく、庭の花花も咲くのが遅めでした。
 玄関のわきにあり、そこからいくらか自然にひろがったムラサキカタバミ。

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 乾燥をむしろ好むラヴェンダーだけは、雨がすくなくても、例年のようにあざやかに色づいています。

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 2種類植えているのですが、細長い穂の種類が、野生に近いのか、繁殖力が強く、種が自然に飛んで、掃き出し窓のすぐ下の、自転車をおいているところにも咲いています。
 外から風がふいてくるときは、ここから屋内にまでラヴェンダーの香りがとどきます。

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 そういえば、『時をかける少女』は、ラヴェンダーの香りをかぐとタイムスリップするのでしたね(わたしの世代に固有の記憶)。
 栗の木は、去年あまりにも大きくなりすぎたので、幹と大きな枝だけ残して大胆に剪定したのですが、ふたたびさかんに茂っています。

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 拙宅の庭の花や草木はみな素朴ですが、わたしと同世代のある閉じたコミュニティーで最近、「あじさい日記」と称して、あじさいの写真を紹介しあっていた(いいとしをして、みんな星菫派じゃのう(笑))ので、こちらにもその余滴を紹介します。
 しかし、あじさいこそ、雨が必要なので、ことしは関東では花が咲くのがおそいと思います。

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 ところで、細菌が原因となり、あじさいが緑色になる病気が流行しているそうですね。
 http://blog.fujitv.co.jp/goody/E20160629002.html
 わたしが見かけたのも、花びらが一部緑色だった(広く撮っているほうの写真)の、少し気がかりです。単にまだ咲きはじめだからだと思いたいところです。

 がくあじさいは、あじさいの異端のように言われることがありますが、わたしはほかのあじさい以上に好きです。なので、以下はがくあじあしの写真。
 こんな種類もあるのか、と思うような、めずらしい形のものもありますね。

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 きょうはいつもどおり授業を3コマつとめたあと、ロマンス語学会以来3週間ぶりに、博士後期の院生の、コードネーム「えるたそ~」さんと会って、研究相談に応じました。
 そのあと、なぜか昭和時代的な酒肆が大好きな「えるたそ~」さんと、北千住の伝説的な(ピークの時間帯には店外にも行列ができる!) « 大はし » にゆき、ビールをのんできました。
 あさりの酒蒸しが絶品でした。
 こうして酒をのんだこと自体ひさしぶりで、たいへん満足しました。

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 わたしも著者としてくわわった『フランス語学の最前線』第5巻(ひつじ書房)が刊行されました。
 このシリーズは、第5巻でいちおう完結ということになりました。わたしは第2巻、第3巻、第5巻に登場しました。えっ、わたしばかり出すぎ?

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 青木三郎編『フランス語学の最前線』第5巻(ひつじ書房) もくじ
 ・フランス語のsujetおよび対応する日本語の研究  渡邊淳也、ダニエル・ルボー
 ・「捉え方」の意味論—ダイクシスに関する日仏対照研究  守田貴弘
 ・何を「言う」のか—〈Nヲイウ〉と〈dire N〉の日仏語比較研究  須藤佳子
 ・名詞の複数表現をめぐる日仏語対照研究  バティスト・プヨ
 ・言語の形式的特性と感情表出とのインターフェースに関する研究—フランス語と日本語の指示詞の用法を中心に  稲葉梨恵
 ・フランス語と日本語における必然性の意味を伴う名詞修飾表現—-able型形容詞、à+不定詞、動詞+「べき」をめぐって 奥田智樹
 ・話し言葉における理由節の非節化の現象について—parce que, puisque、から、ので  秋廣尚恵
 ・「それどころか」とloin de làの比較研究  田代雅幸
 ・確信度の表現に関する日仏語対照研究  石野好一
 ・femme médecinの語順の不思議—複合語〈Femme+N〉の構造に関する日仏語対照  藤村逸子
 ・ヨクとbienと評価モダリティについて  フランス・ドルヌ、青木三郎
 きのうからきょうにかけて、日本ロマンス語学会第55回大会に参加し、発表するため千葉方面にとまりがけで出張してきた。

 東京駅で京葉線にのりかえる長さをきらって、東京メトロ東西線の快速で西船橋まで行ったのはよかったが、西船橋・南船橋・市川塩浜を頂点とする「船橋トライアングル」を見誤り、市川塩浜でのりかえることに。

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 なんとか海浜幕張に到着。そして学会にも間に合いそう。

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 学会会場の神田外語大学へは、海浜幕張から徒歩15分というたてまえだが、これはやはり、迷わずに行った場合で、しかも校門までの所要時間のようだ。
 校門にはいったあと、さらに10分くらいは歩く。広域埋め立て地なので、学内も学外も、平らでだだっぴろい。

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 会場に到着するのは、結局開会式がはじまる直前になってしまった。

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 下記プログラムをみればわかるように、わたしの出番は初日の最初なので、心配してくださっているかたがたがおられた。申し訳ない。
 http://sjsrom.ec-net.jp/sjsr55.html
 なんとか出番をつとめ、質疑応答、コメントの時間も有意義だった。
 早々に自分の出番がおわり、あとは気らくだ。

 今年はロマンス語学会創立50周年(ぐうぜん、わたしとおないどしだ)ということで、これを紀念して、Elisabetta Carpitelli 先生による言語地図に関する特別講演。
 各国の研究者が共同して、ALiR = Atlas Linguistique Roman と称する、ヨーロッパのロマンス語圏全体で、共通のフォーマットで連続的な言語地図が編まれており、さらに、ヨーロッパ全体での ALE = Atlas Linguarum Europae とも連携しているという。わたしにとっては新知見が多かった。

 特別講演のあとは総会。来年度の共通テーマを総会で多数決できめるのは、この学会の美しい伝統だ。

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 来年の統一テーマは「限定詞・関係詞」ということになった。
 わたしは昨年、今年といずれも統一テーマ(昨年は「時制」、今年は「語彙論」)で発表した。統一テーマのセッションは初日にひらかれるので、2年連続で早く「解放」されたことを笑いながら指摘するかたがおられたので、「さすがに来年はそれは無理です」とこたえた。

 学内の « バルコーネ » に場所をうつし、懇親会。
 ビール、ニホン酒、赤ワインをのみ、いい気分になる。

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 20時30分ころ会場を辞し、共同研究の打ち合わせ。
 話しおわったあと、大学を出て、海浜幕張ではなく幕張まで行こうとするが、ながい水路に沿った暗い道がつづくばかりで、たいへんこころぼそい。

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 しかし、どうやら間違っていなかったようで、突如ポケットからとりだしたように(プルーストの比喩)、幕張に到着。

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 泊まったホテルは幕張から千葉方面に数駅行ったところだったが、さいわいたいへん快適で、よくねむれた。

 今朝もおなじ道のりをたどり、学会会場へ。
 きょうだけくるひとも多く、応接にいとまがない。
 きょうは自由テーマの発表だが、ふたつの分科会にわかれている。時制関係の発表が多い分科会に出て、いずれもたいへん参考になった。

 かえりみち、きょう発表した院生の慰労会と称し、新橋の « Antwerp Six » にゆき、ムール貝をたべながら、ベルギービールをのんできた。
 « Hoegaarden » の500mlのグラスははじめてみたが、数字以上に巨大にみえる。

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 きのうは午後、2時間ほどたいへんな雷雨に見まわれたが、きょうは新緑がまぶしい晴れで、しかも暑いほどではなく、さわやかな気候だ。

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 きょうは半年に一度の恒例で、つくばの名店、« シェ・レノン » で昼食にクスクスをたべてきた。
 いつもながら、チュニスの名店 « Dar Es-Saraya » を思いおこすほどの絶品だった。
 きょうはここに連れて行ってくださった先生が、最近お店に協力なさったことがあり、そのお礼ということで、特別に子羊のあばら肉もつけてくださった。わたしもご相伴にあずかった。

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 はなしは前後するが、きのうのかえり道、« 西武百貨店 » 筑波店撤退後のようすをはじめてよく見てきた。
 « 西武 » のなかにあった書店 « LIBRO » だけは « CREO » の2階の回廊がわにうつって営業していたが、規模はかなりの縮小だ。

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 « 西武 » のななめ向かいにあった、« サロン・ド・テ・なかやま » も撤退してしまったようで、こちらもさみしい限りだ。
 名まえは « サロン・ド・テ » だったが、わたしはここで、1註文ごとに1本の小さなエスプレッソポットでつくられ、供されるイタリアンコーヒーが好きだった(もっとも、« なかやま » のべつの店は存続しているので、どうしても飲みたければそちらに行けばよいのだが)。

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 午後、大学院のオリエンテーションのしごとがあり、つくばに出勤。
 つくばでは、さくらはまだまだ見ごろだ(例年、東京よりいくらか遅い)。

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 科研費研究成果公開促進費(学術図書)の結果が来た。残念ながら不採択だった。
 以前は不採択のときは剥離紙のはがきが送られてきたものだが、いまは封書だ。内封の通知の情報量はけっしてふえていないので、無駄にカネをつかっている気がする。
 予算がもらえなかった身からすると、ついつい、「肥大化する官僚組織にはふんだんにカネをつかわせ、わたしのような人文科学の研究者にはつかわせないようになっているのだな」などと、ひがみっぽいことを思ってしまう。

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 しかし、同僚の和田くんが代表者になって申請した科研費(基盤研究(C))は、このきびしい時代にもかかわらず今春新規採択されたので、もって瞑ずるべきであろう。
 その情報もふくめて、TAME研究会の情報を更新した:
 http://www.lingua.tsukuba.ac.jp/lgfr/tame/
 さくらはうつくしい。ことしは寒かったせいか、さくらが咲くのがおそかった(東京の開花がいちばんはやかったのが「ほんとうか?」と思うくらい)ので、さくらの写真をほとんど撮っていなかったが、きょう、ようやく撮ってきた。
 ちいさな川の岸に、さくら並木がある(ほんとうは、もうすこし上流まで足をのばせば、「さくらのトンネル」とよばれる、両岸からさくらが張りだしているところがあるが、そこまで行くだけの元気がない)。撮った写真を貼りつけておく。

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 きょうは筑波大学では入学式だった。入学なさったみなさん、おめでとうございます。
 前任校のような入学式への参列義務がないので、きょうはのんびりしていた。
 筑波大学でも以前は入学式の日の夕方に大学院オリエンテーションをしていたものだが、大学会館が改修工事のため、全体での式典を学外でするようになったことと、オリエンテーションの内容が増大した(研究倫理、情報倫理、ティーチングアシスタントをするための講習、などなど)ことから、ガイダンスのわたしの担当範囲は週明けからということになった。
 そのようなわけで、きょうは「嵐の前の静けさ」という感じだ。
 今年度だけ、役職につく先生の代講で、東京外国語大学で非常勤講師をつとめることになった。
 西武多摩川線(anciennement : 是政線)にのって多磨へ。ちょっとした遠足気分。

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 学会や研究会ではなんども来たことがあったが、関係者としてくるのははじめてだ。
 しかし、この大学ではきのうから平常授業がはじまっている。国立大学では例外的なほど早いのではなかろうか。
 これにはからくりがあって、春夏秋冬の4期制にして、夏、冬の学期は集中講義や海外研修に利用するとともに、春学期を七夕ころに、秋学期を1月なかばに終わらせるようにしている。そのかわりに、新年度の始業を早めているのだ。
 しかしそれでも、春学期、秋学期の平常授業が13週しかできないので、のこりの2週分を「アクティヴ・ラーニング」と称し、課題を出してみずから学ばせるようにしている。
 半期15週というルールは、文科省からの通達で、「試験週間を含めてはならないことは言うまでもない」などと念押しをされ、これをなんとしてでも守るため各大学が日程的に苦慮しているわけだが、これをかろやかに踏みこえている!(註: これは賞讃です)



 大学の構内ではさくらが8分咲きくらいで、みんなそれをとりかこむように写真をとっていた。



 わたしが担当するのはフランス語学の専攻選択科目で、学部の3、4年生が対象。
 昨年度、いまの3年生世代の必修科目を教えていた先生(わたしを外大に呼んでくださったかたとは別のかた)がわたしの知り合いで、「とてもいい雰囲気」とうかがっていたので、はじめからけっこう気らくに授業ができた。
 また、後刻のお申し越しで、熱心な大学院生のかたがたも履修してくださることになった。
 まだ履修は確定していないが、16人ほどになりそう。 まずまずのすべり出しではないか。

 * * * * *

 拙宅の庭で、まいとし白水仙よりおくれて咲く、八重咲きの黄水仙。
 頭がおおきく、花がたれ下がって土についてしまうのが残念なので、ことしも麻ひもで囲いを作ってやった。

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 大学1年でフランス語を学びはじめたとき、白水仙 narcisse と黄水仙 jonquille が基本単語で違っていることにおどろいたものだ。
 わたしが大学に入学したのは1987年だったので、それからはもう30年経ったことになる。少年老いやすく、学成りがたし。
 きょうから新年度だが、とりあえず週末なので猶予期間(そういえば、まえの職場では、4月1日が土曜だろうが日曜だろうが始業(会議集中日)で、2日が土曜だろうが日曜だろうが入学式ときまっていたなあ(遠い目))
 アラビア語学の榮谷さんを中心とする「いつメン」で、« お茶の水ビアホール » にゆき、ひるざけをのむ。

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 ビールとワインをほしいだけのんで、新年度にそなえて英気をやしなった(つもり)。

 榮谷さんは3月にエジプトにいっておられたので、おみやげをいただいた。
 スフィンクスの « ペプシ・コーラ »。

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 オリーヴのはいったチーズ。

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 きのうは上智大学に、現在共同で受給中の科研費(ロマンス諸語の時制・アスペクトの対照研究)のうちあわせに行ってきた。
 おなじ用件で、ふだんは週末にしか来ないのだが、学期中の週末より、春休み中の平日のほうが大学はにぎわっていた。
 
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 12月、わたしの日程管理の不手際で、おなじ科研費のうちあわせに参加できなかったので、みなさまとお目にかかってお話しするのはひさしぶりだ。
 ロマンス諸語にはいずれも興味があり、今後共同ですすめてゆくデータベースのタグづけなどのうちあわせをしていると、雑事にまぎれて最近消磨ぎみだった研究意欲がもりかえしてきたような気がする。
 年度もまもなくあらたまることだし、またがんばろう、とめずらしく前むきなこころもちになっている。

 * * * * *

 拙宅の白水仙が見ごろだ。無心に咲く、素朴な花が好きだ。
 東京では、桜だけははやく咲いたそうだが、全般的には、ことしは春がややおそいように感じる。

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 去年のいまごろ( http://palantien.blog137.fc2.com/blog-entry-354.html )、拙宅の庭ですでに咲いていた八重咲きの黄水仙は、ことしはまだつぼみだ。

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 ▲昨年3月29日

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 ▲今年3月30日(きょう)
まえの記事