日 録

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 ヒガンバナは大学の休暇明けを告げる花(なみだほろほろ)。
 きょうは博士論文審査のため、筑波に出勤。実質的な休暇明けとなった。
 ながねん、臥薪嘗胆の日々を送られたかたが、このようなかたちで果実をみのらせることになり、たいへんよろこばしい。
 おわったあと、大学近隣の « きく乃家 » で乾杯。

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 以下は到来品の紹介。

 同僚の Хшкв さんからいただいたカザフスタンのチョコレート。ありがとうございます。こんどの TAME 研究会でいっしょにいただきましょう。
 あ、下のははっきりカザフスタンスキーと書いてありますが、上にうつっているのもカザフのもので正解でしょうか? (後刻追記: 上のはノヴォシビルスクのものだそうです)

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 つぎに、献本でいただいた『理論言語学史』。
 認知言語学の部では、レイコフを木っ端微塵に粉砕していることを「期待」というか「予想」して読んだが、どの学説に対してもそれぞれの理論的選択としての意義をみとめ、互いの立場の継承関係や対立関係を俯瞰する記述がなされていたので、わたしとしては新たな発見があった。

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 サルディーニャ語学の画期的な概説書、Eduardo Blasco Ferrer et alii (Eds.)(2017) Manuale di linguistica sarda, Mouton de Gruyter.
 600ページにおよぶ各方面の解説を集めており、わたしにとっては新知識がいっぱい。
 というか、とうとうサルディーニャ語学にも手を染めるのか??

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 最後に、ついに刷り上がりが来た拙著『コルシカ語基本文法』(早美出版社)。
 ここで明かすのははじめてだが、ニホンではじめてのコルシカ語の文法書を書き、公刊した。
 院生のころ、フランスとカナダでレコード大賞を獲得したペトル・グェルフッチの歌唱をきいて衝撃を受けて以来、25年越しのコルシカ語愛をみのらせ、感無量だ。

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 (関係者のみなさまへの献本は来週以降順次送り出す予定ですので、いましばらくお待ちください。)
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 きょうは笹本恒子さんとむのたけじさんの映画『笑う101歳×2』を見に、横浜黄金町の映画館に行ってきた。
 笹本さんは2006年にパリで展覧会・講演会を開かれ、そのときわたしが資料や展示題名の翻訳を手伝ったという経緯もある。

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 映画は日常的なシーンが多いドキュメンタリーのため、若干散漫だったが、民主的な考えを100年つらぬいてきたひとたちの雰囲気にふれるだけでも、いまのろくでもない情況を逆に照らしだすような意味があると思った。


 映画を見おわったあと、中村川にそってながく歩き、二十数年ぶりで中華街をおとずれ、天長門にほどちかい中華料理店でおそい昼食をとった。
 わたしが若いころは、中華街の中華料理店は異常に値が高かったが、いまはデフレ時代のせいか、一般的な中華料理店とおなじような値だんで、とてもおいしい食事がいただけた。

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 現在受給中の科研費の共同研究の打ち合わせのため、上智大学へ。
 四ツ谷駅からそとにでるとすぐに見える上智大学は、(景観が)おおきく変わった。

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 日曜なので、聖イグナティウス教会でのミサを終えたひとたちがおおぜい出てくるところだった。

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 上智大学での打ち合わせは15時半ころおわり、帰途についたが、新宿駅からいったん小田急にのったら、沿線火災で運転見合わせとの報に接した。

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 やむなく中央線で立川、南武線で登戸にゆき、そしてふたたび区間運転している小田急にのって帰宅。

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 いつもなら1時間足らずの行程に2時間半くらいかかった。

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 帰宅後にみた19時のNHKニュ―スの冒頭で、この火災が報じられていた。
 警察官が非常ボタンをおし、自動停車させたため、その後さかんに火災現場から炎が出て、電車に燃えうつってしまったそうだ。
 電車が現場を通りかかったときにはまだ外まで炎は出ていなかったので、もし現場を走りぬけていたら、燃えうつることはなかっただろう。
 これでどうしても思いおこさずにいられないのは、1972年、北陸トンネルで急行 « きたぐに » が火災を起こしたときも、停車したせいで被害が甚大になったという事故だ。
 まいとし恒例のフランス語学研究会合宿のため、月曜からきょうまで2泊3日で軽井沢に行ってきた。
 この研究会合宿はことしで第37回(つまり37年め)という伝統のある行事だ。わたしは2000年(第20回)から参加している。

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 研究会の会場は文化女子大学などの施設、文化軽井沢山荘。
 スイスの湖から名を借りた、レマン湖(!)という人造湖のまわりに開発された別荘地、レイクニュータウンのなかにある。

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 ことしも多くの耳学問をして、たんに興味深いだけでなく、自分の研究の助けになることも多くあった。
 もちろん自分の発表の準備もしたので、勉強になった。
 なにより、気力が失速しやすいわたしにとっては、またがんばろうという気になるのがよい。

 山荘は食事がとてもおいしく、ことしも鯨飲馬食してしまった(東京にもどってきてからは節制にもどっている)。
 初日の夕食。

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 2日めの朝食。

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 軽井沢では毎日最高気温が26度くらいで、朝方は17度くらいと、涼しかった。
 ところが、きのうまでは比較的涼しかったという東京でも、きょうは35度の炎暑になった。
 東京にもどってきて外に出たとき、「この暑さは現実なのか?」と思うほどだった。
 お盆休み、妻とこどもたちとともに、箱根にとまりがけで出かけてきた。
 普通ならお盆の時期に、しかも混雑する箱根になど行かないのだが、今年は息子が中学3年で、勉強もさることながら、部活もまだまだ佳境で、お盆くらいしか休めないということなので、比較的近場のお出かけにとどめた。
 仙石原温泉に行ったが、信州の野沢温泉や上州の草津温泉に匹敵する白濁系の濃厚な泉質で、たいへん満足した。大涌谷の火山活動以来湧出量が減っているとのことだったが、それでもなお立派な温泉だった。
 チェックイン直後に、夜になると順番待ちで混むという貸し切り風呂にはいる。

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 豪華な夕食。あゆの塩焼きがおいしかった。

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 夕食後、ふたたび温泉につかる。他の宿泊客はみな、われわれがさきにはいっておいた貸し切り風呂に行ったらしく、大きな露天風呂も結局は貸し切り状態。

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 もういちど、露天風呂で朝風呂をあびたあとにいただいた朝食も豪華だった。いんげん豆の油いためがとくにおいしかった。

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 おなじ仙石原の « 星の王子さまミュージアム » と « ラリック美術館 » にも行ってきた。どちらも娘の希望。

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  « 星の王子さまミュージアム » は展示、映写、そして屋外に再現されたまちなみが楽しく、気分が出た。『星の王子さま』を読みかえしたくなった(そもそも、子どもむけの話とは言いきれない)。
 室内の展示物は撮影禁止なので、外観の写真をはりつけておく。庭には、まだあじさいがよく咲いていた。おそらくことし最後にみるあじさいだろう。

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 つぎに行った « ラリック美術館 » は、娘の愛読書『アンティークFUGA』シリーズに出てくるので見に行ったのだが、新たな発見として、列車の装飾なども手がけていたようで、パリからニースゆきの急行列車や、オリエント・エクスプレスもラリックの手になるガラス細工が壁の随所にそなえられていた。

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 地図にえがかれた、リヨン経由とクレールモン=フェラン経由の南仏ゆきの経路は、わたしにとってはたいへんなつかしい。リヨンはTGVの経路になったので、20年まえ、南仏に行く若者むけ夜行列車はクレールモン=フェラン経由のニームゆきだったものだ(それとて、いまでは昔がたりになってしまった)。
 オリエント・エクスプレスは実車が1輌展示されており、中もみることができて、息子もわたしも(鉄っちゃんなので)大興奮だった。

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 このオリエント・エクスプレスは、ニホンまで運行されたことがある。そのときのサボも挿されていた。

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 きょうは、大阪からきた三十数年来のふるいともだちとともに、北千住の沖縄料理店 « うるま島2 » でオリオンビール、のち泡盛をのんできた。
 海ぶどう、にんじんしりしり、スパムの素揚げ、ミミガーのごまあえ、グルクンの天ぷらなどをたべた。
 毎日飲みあるいているようだが、お盆休みなので特例ということで(笑)。

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 なお、 « うるま島2 » の数詞 2 は「ターチ」とよむ。沖縄方言では、やまとことばの「ひとつ、ふたつ、みっつ」を「ティーチ、ターチ、ミーチ」という(語源はおなじ)。
 「山の日」というあたらしい祝日。
 午後、« コレド室町 » にある « Brugse Zot » (オランダ語で、「ブルージュの痴れ者」という意味だろう) というベルギービール店にゆき、ムール貝をたべながら、各種ベルギービールを飲んできた。
 5月のロマンス語学会のかえりには新橋にあるベルギービール店 « Antwerp Six » で飲んできたので、それにつづく、「ベルギービール第2弾」といったところ。
 来週から1年間の予定でフランスに旅立つサンドリヨンさまの歓送を目的とし、そして、サンドリヨンさまとのしばしのお別れを理由にして、7月下旬にもお目にかかったばかりにもかからわず、ブランシュ・ネージュさまもおさそい申しあげ、たのしい酒宴になった。

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 先週末、この時期の恒例で大阪にかえっていたが、東京とはくらべものにならない炎暑で、ぐったりしてしまった。
 週明けも少々不調を引きずっているが、まあ、なんとか生存している。
 おくればせながら、先週末の記録を下記にのこす。

 7月29日(土)
 高校2年のとき(1984年)参加した大阪府高校生中国派遣団の同窓会。

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 難波で電車をおり、戎橋筋へ。
 ここのアーケードに満ちる熱気は、むかしもいまもかわらないが、近年とみに外国人観光客がふえた。

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 ことしは « なんばマルイ » にほどちかい四国料理店 « 四国三郎 » にあつまり、ビールをのんだ。
 ちなみに、四国三郎とは吉野川のことだ。坂東太郎とよばれる利根川、筑紫次郎とよばれる筑後川とならんで、「ニホン三大あばれ川」といわれている。
 はまちの刺し身や、たいめしがおいしかった。わたしは四国にルーツがあるので、なおさらだ。

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 20年ぶりくらいで会うひともいて、なつかしく、楽しかった。

 席上、派遣団の団長をつとめておられたK先生がことしの6月に逝去なさったことをうかがう。89歳。
 去年までお元気でこの同窓会にいらして、おいしそうにビールをのんでおられたので、ショックだったが、今後も同窓会は続けていくことになった。

 7月30日(日)
 高校卒業30周年(昨年)を機に交流が再開した、高校1年のときのクラスの同窓会。
 わたしがこの週末大阪にかえることを知らせたところ、6人ほどのひとたちが集まってくださった。
 まず、« 別館牡丹園 » にゆき、点心をたべながら、のみやすい(そして、名まえがおもしろい)宮崎の麦焼酎 « となりのおくさん » をのむ(写真では左上、水にしかみえない)。

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 梅田のまちなかを歩いてくるだけで、暑くてのぼせたような状態になったが、焼酎をのんでかえって気分がよくなった(そういえば焼酎は夏の季語で、暑気払いにのんだらしい)。

 しばらく話しているうち、高校1年のころのことが少しずつ思い出され、ただただなつかしく、だいじなことを再発見したような気になった。
 しかし、当時のことで、昨日はじめて知ったことも多くあった。それとも、当時は経験したつもりでも、黒歴史が多かったので、脳が記憶からはじいているのかもしれない(笑)。
 ひざの手術をうけ、片方だけ用心のため松葉杖をついているひとがいたが、かえりぎわにそれを置き忘れそうになるほどの回復ぶりで、よろこばしい限りだ。
 昼食後、茶屋町の « Butter » に移動し、パンケーキをたべながら話す。

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 時間のつごうで、こちらにだけ来てくださったひともいて、そのひとは中学でも同級生だった。
 三十数年もたつと、記憶の底流にとどまっていたものが呼びおこされ、無条件でなつかしくなる。あ、いや、何十年たってもいやなものもあるけれど(笑)。
 最近、ニホンでは、「プレミアムフライデー」という概念が売りだされているが、月末限定というのはあきらかに中途半端で、腰が引けている。
 毎週プレミアムフライデーにしようぜ、などと思っているうち、George Strait のなつかしい « Friday Night Fever » を思い出した。


 一方、Bee Gees が « Saturday Night Fever » という曲をつくっており、そちらのほうが有名なので、あるひとから、« Friday Night Fever » というのはまちがいではないかといわれたことさえある。ほんとうは両方あるのよ。


 いっそのこと、« Everyday Night Fever » でよいのではないか。

 * * * * *

 ともあれ、今夜は « Friday Night Fever » ということで、しごとがおわったあと、錦糸町にくりだした。
 錦糸町は通りすぎることはあっても、まともに来たのははじめてで、予想以上に都会的でおどろいた(笑)。

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 行き先は、« 東京穆斯林飯店 »。「穆斯林」は「ムスリム」とよむ。ハラール(中国語では「清真」)の中華料理だ。

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 店内の壁に、バスマラが額装されてかざられていた。

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 添え書きされた「奉普慈特慈的真主之名」というのが、「慈愛あまねき、慈愛深きアッラーの名において」の中国語訳だ。
 左下の署名もあわせて、中国の書の形式にとりいれられていることがわかる。
 中国におけるアラビア書道について、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所編『アジア文字入門』(河出書房新社、2005年)57ページに、「まずアラビア書道では常識であるカラム(葦や竹の先を削ったペン)ではなく毛筆です。そのため、アラビア書道では嫌われ漢字書道では重んじられる『画雲』とよばれる墨のかすれがあらわれています」と書かれていた。
 « 東京穆斯林飯店 » にかざられている作品にも、筆に特有の「画雲」がみられるように思う。

 * * * * *

 修士を取得なさり、今春から翻訳事務所に就職なさった元院生のブランシュ・ネージュさまを中心に、総勢5人でテーブルをかこみ、こうむるように飲んできた(酒をのむのはハラールなのか、というツッコミは置いておいて)。
 ブランシュ・ネージュさまとは学位記授与式以来4か月ぶりの再会だったが、あいかわらずお元気で、あいかわらず活溌で、そしてあいかわらず、かがやくようにお美しかった。
 連日の炎暑のせいか、わたしは少々元気がなかったが、おかげさまでいくらか回復したような気がする。
 料理もとてもおいしかった。とくに麻辣羊肉鍋が最高だった。その名のとおり、そして見た目のとおり、とても辛いが、ただ辛いだけでなく、辛さをささえるコク、うま味がある、などというと、「料理評論か!」といわれそうだが。

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 昨年、Abe Books から古書で購入していた参考文献、Melillo, Armistizio Matteo (1977) : Profilo dei dialetti italiani, vol. 21 : Corsica, Pacini. の附録音声資料が33回転のレコードだったので、ターンテーブルがないと再生できないという問題を、まる1年かかってようやく解決した。
 エバーグリーン社製、上海問屋販売のレコードプレーヤーDN-84537を購入。箱をあけてびっくり。同梱品は本体とケーブルと、パソコンにインストールするべきソフトウェアーのCDだけ。説明書らしきものは紙切れ1枚もない。

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 しかし、元来アナログ世代のわたしは、なんとか問題のレコードを再生するところまではできた。音がきけるだけでも長足の進歩で、たいへんうれしい。

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 USBケーブルでパソコンに接続し、デジタルファイル化するところまですすめるつもりで、専用ソフトウェアーをインストールはしたが、ソフトの扱いがあまりにも難解で(インストールしたはよいが、いわゆる Read me ファイルさえなく)、きょうはギヴ・アップ。
 まるっきり使い方のわからないソフトを模索するよりも、USB接続をあきらめ、音声出力プラグからパソコンにつないで、Media Player の外部入力録音を使ったほうが早いかもしれない。いずれにしてもまた後日。

[翌日追記] 南山大学の泉水先生よりご教示をたまわり、昨日わたしが製品付属 CD からインストールした問題のソフト、Audacity は、「窓の社」にも掲載されており、関連記事に解説も多くあるとのことでした。
 いままで孤立無援のようなこころもちでしたが、これならできるかも、と思いつつあります。しばらく情報収集したうえで再挑戦してみます。
 東京外国語大学で、春学期最後の授業をつとめる。
 なぜこんなにはやく終わるかというと、春夏秋冬の4期制に移行して、夏学期、冬学期を集中講義のみにした結果、春学期、秋学期はそれぞれ13週ということになっているからだ。
 それでいて、春学期も秋学期もひとこま2単位をあたえることになっているので、13週では本当は足りない。
 そこで2週間分、「アクティヴ・ラーニング」と称する課題をあたえて、2週相当分の学修をしたということにしている。
 このことをはじめて知ったときはおどろいた。文科省の金科玉条である半期15週ルールを、かろやかに踏みやぶっていると(ま、文科省なんて、加計学園のでたらめを認めている時点で、めちゃくちゃですけどね、アヒャヒャヒャヒャヒャ)。
 そして、率直にいってうらやましい(笑)。
 ともかく、対面授業は今週で最後なので、レポート課題を回収するとともに、いちおうきちんとひとこま分の授業もした。
 おわったあと、大学院生のかたがたと、近隣の « かかし » という店にゆき、ビールを1杯だけのんで、ピザをたべた。ここのピザはとてもおいしく、テイクアウトの客もたえない。

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 先週につづいて武蔵境経由で荻窪へ。
 荻窪で丸の内線にのりかえ。始発駅なので、つぎの列車はどちらの線から出るかの表示しかない。

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 丸の内線にほとんど全部のって(このような経路をとるところが、鉄っちゃんたるあかしか)、茗荷谷へ。

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 茗荷谷には約束より1時間以上はやくついた。ぐうぜん、元同僚のK先生にあって、きゃー。カフェで時間調整。

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 18時35分ころから、ひつじ書房の本社にはじめてゆき、今後の出版の相談をする。
 30分くらいで終わり、近隣の酒肆(酔って、店の名まえをわすれたのが痛恨のミス)で、ビール、そのあとニホン酒をのむ。
 刺し身や、鮎の焼き魚はいうにおよばず、最後にたべたたいめしが、わたしの親しんでいる瀬戸内ふうで、おいしかった。

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 自宅もより駅着はぎりぎり午後、しかし自宅まであるいたら午前さま。なんだか、飲んでばかりの日だった(笑)。

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 東京外国語大学で(今年度だけ、役職につかれた先生の代講をしているので、)ひとこま授業をつとめたあと、つくばに直行する。
 ふだんは京王線経由で東京外大に往還しているので、武蔵境をとおりかかるのは、じつに2002年、フランス文学会の春季大会が東京外大でひらかれたとき以来だ。
 以前、武蔵境駅は地上駅で、西武多摩川線のプラットフォームは、たとえていえば下館駅の関東鉄道常総線のプラットフォームのようだったが(このたとえのほうがわかりづらいか)、いまは高架化されており、あまりにものさまがわりにおどろいた。
 
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 ここからJR中央線でお茶の水へ、総武緩行線で秋葉原へ。つくばエクスプレスでつくばへ。
 筑波大学には17時まえについた。
 18時から、ボルドー大学からの留学生だったバティスト・プヨくん(大学院を満期退学し、いまは学籍はない)の博士論文の公開発表会兼審査会に副査として参加。
 発表をうかがったあと、あれこれコメントや質疑応答をして、20時30分ころまでかかった。たいへん興味深い内容だった。
 最終版論文を書いて出してもらうのはこれからだが、いまのところ順調といえるだろう。

 おわったあと大学近隣の « びすとろ椿椿 Bistro Cin-Cin » に行ってワインをのみ、22時ころ中座して帰途につく。

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 ひさしぶりに午前の帰宅(なので、この記事の日時は事後設定)。

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 きのう、ロマンス語学会事務局からはがきを受けとり、来年度のロマンス語学会大会は2018年5月12日から13日、京都大学でひらかれるむねのお知らせでした。
 わたしは今年度大会のときの総会に出たので、そのことを知っていましたが、次年度の大会の日程や会場を事務局から全会員に知らせるというのは、例年にない念の入れようです。
 その理由は、京都の宿泊事情がきびしいので、いまから予約に動いたほうがよいからです。
 わたしは大阪の実家に泊まるか、それとも、日曜の朝が早いから土曜の夜だけ京大付近に泊まるか、思案中ですが、そうこうしているうちに京都の宿は予約でいっぱいになってしまうかもしれません。
 もしそうなると、なんのために早めに知らせているのか、といわれそうです(笑)。
 京都に泊まるといっても、京大から遠ければバスもタクシーも渋滞するので、時間が読めなくなり、京大の近くに泊まらないと意味がないと思っております。
 初日に行くときも、バスやタクシーは使わず、京阪出町柳駅から歩くつもりです。

ロマンス語学会からのはがき

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 そのロマンス語学会関連の案件ですが、きょうは日曜返上で、午後から上智大学で現在受給中の科研費の共同研究の打ちあわせに行ってきました。
 この共同研究では、フランス語・イタリア語・スペイン語・ポルトガル語・ブラジルポルトガル語・ルーマニア語の6言語パラレルコーパスをすでに構築し、かつ、データを検索・対照可能な形にしているので、今後はどんどん対照研究ができそうです。
 わたし自身も半過去形、大過去形、単純未来形、迂言的未来形などの対照研究を遂行するつもりです。
 とくに大過去形については、つぎの画像にみるように、回顧をのべるとき、フランス語は大過去形をとてもよく使うのに対し、イタリア語は少し、他では皆無という、ドラスティックな対比になっており、共同研究もおもしろいことになりそうです。

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 [後刻追記] 大過去形部分だけを赤字にするつもりでしたが、イタリア語の [5]、[6] は遠過去形 passato remoto なので、赤字にするべきではありませんでした(きょうの打ちあわせで判明)。
 しかし、この点を修正すると、フランス語からはますます遠ざかるので、対照として言ったことは保持できます。
 ただただ、多忙にしているうちに季節はすすみ、梅雨にはいりました。
 先先週までは学会シーズンで週末も留守にしていることが多かったのですが、一昨日、昨日の週末はひさしぶりに自宅にいられましたので、庭で写真をとったりしました。
 ただ、ことしは5月ころから雨がすくなく、庭の花花も咲くのが遅めでした。
 玄関のわきにあり、そこからいくらか自然にひろがったムラサキカタバミ。

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 乾燥をむしろ好むラヴェンダーだけは、雨がすくなくても、例年のようにあざやかに色づいています。

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 2種類植えているのですが、細長い穂の種類が、野生に近いのか、繁殖力が強く、種が自然に飛んで、掃き出し窓のすぐ下の、自転車をおいているところにも咲いています。
 外から風がふいてくるときは、ここから屋内にまでラヴェンダーの香りがとどきます。

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 そういえば、『時をかける少女』は、ラヴェンダーの香りをかぐとタイムスリップするのでしたね(わたしの世代に固有の記憶)。
 栗の木は、去年あまりにも大きくなりすぎたので、幹と大きな枝だけ残して大胆に剪定したのですが、ふたたびさかんに茂っています。

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 拙宅の庭の花や草木はみな素朴ですが、わたしと同世代のある閉じたコミュニティーで最近、「あじさい日記」と称して、あじさいの写真を紹介しあっていた(いいとしをして、みんな星菫派じゃのう(笑))ので、こちらにもその余滴を紹介します。
 しかし、あじさいこそ、雨が必要なので、ことしは関東では花が咲くのがおそいと思います。

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 ところで、細菌が原因となり、あじさいが緑色になる病気が流行しているそうですね。
 http://blog.fujitv.co.jp/goody/E20160629002.html
 わたしが見かけたのも、花びらが一部緑色だった(広く撮っているほうの写真)の、少し気がかりです。単にまだ咲きはじめだからだと思いたいところです。

 がくあじさいは、あじさいの異端のように言われることがありますが、わたしはほかのあじさい以上に好きです。なので、以下はがくあじあしの写真。
 こんな種類もあるのか、と思うような、めずらしい形のものもありますね。

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 きょうはいつもどおり授業を3コマつとめたあと、ロマンス語学会以来3週間ぶりに、博士後期の院生の、コードネーム「えるたそ~」さんと会って、研究相談に応じました。
 そのあと、なぜか昭和時代的な酒肆が大好きな「えるたそ~」さんと、北千住の伝説的な(ピークの時間帯には店外にも行列ができる!) « 大はし » にゆき、ビールをのんできました。
 あさりの酒蒸しが絶品でした。
 こうして酒をのんだこと自体ひさしぶりで、たいへん満足しました。

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 わたしも著者としてくわわった『フランス語学の最前線』第5巻(ひつじ書房)が刊行されました。
 このシリーズは、第5巻でいちおう完結ということになりました。わたしは第2巻、第3巻、第5巻に登場しました。えっ、わたしばかり出すぎ?

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 青木三郎編『フランス語学の最前線』第5巻(ひつじ書房) もくじ
 ・フランス語のsujetおよび対応する日本語の研究  渡邊淳也、ダニエル・ルボー
 ・「捉え方」の意味論—ダイクシスに関する日仏対照研究  守田貴弘
 ・何を「言う」のか—〈Nヲイウ〉と〈dire N〉の日仏語比較研究  須藤佳子
 ・名詞の複数表現をめぐる日仏語対照研究  バティスト・プヨ
 ・言語の形式的特性と感情表出とのインターフェースに関する研究—フランス語と日本語の指示詞の用法を中心に  稲葉梨恵
 ・フランス語と日本語における必然性の意味を伴う名詞修飾表現—-able型形容詞、à+不定詞、動詞+「べき」をめぐって 奥田智樹
 ・話し言葉における理由節の非節化の現象について—parce que, puisque、から、ので  秋廣尚恵
 ・「それどころか」とloin de làの比較研究  田代雅幸
 ・確信度の表現に関する日仏語対照研究  石野好一
 ・femme médecinの語順の不思議—複合語〈Femme+N〉の構造に関する日仏語対照  藤村逸子
 ・ヨクとbienと評価モダリティについて  フランス・ドルヌ、青木三郎
 きのうからきょうにかけて、日本ロマンス語学会第55回大会に参加し、発表するため千葉方面にとまりがけで出張してきた。

 東京駅で京葉線にのりかえる長さをきらって、東京メトロ東西線の快速で西船橋まで行ったのはよかったが、西船橋・南船橋・市川塩浜を頂点とする「船橋トライアングル」を見誤り、市川塩浜でのりかえることに。

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 なんとか海浜幕張に到着。そして学会にも間に合いそう。

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 学会会場の神田外語大学へは、海浜幕張から徒歩15分というたてまえだが、これはやはり、迷わずに行った場合で、しかも校門までの所要時間のようだ。
 校門にはいったあと、さらに10分くらいは歩く。広域埋め立て地なので、学内も学外も、平らでだだっぴろい。

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 会場に到着するのは、結局開会式がはじまる直前になってしまった。

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 下記プログラムをみればわかるように、わたしの出番は初日の最初なので、心配してくださっているかたがたがおられた。申し訳ない。
 http://sjsrom.ec-net.jp/sjsr55.html
 なんとか出番をつとめ、質疑応答、コメントの時間も有意義だった。
 早々に自分の出番がおわり、あとは気らくだ。

 今年はロマンス語学会創立50周年(ぐうぜん、わたしとおないどしだ)ということで、これを紀念して、Elisabetta Carpitelli 先生による言語地図に関する特別講演。
 各国の研究者が共同して、ALiR = Atlas Linguistique Roman と称する、ヨーロッパのロマンス語圏全体で、共通のフォーマットで連続的な言語地図が編まれており、さらに、ヨーロッパ全体での ALE = Atlas Linguarum Europae とも連携しているという。わたしにとっては新知見が多かった。

 特別講演のあとは総会。来年度の共通テーマを総会で多数決できめるのは、この学会の美しい伝統だ。

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 来年の統一テーマは「限定詞・関係詞」ということになった。
 わたしは昨年、今年といずれも統一テーマ(昨年は「時制」、今年は「語彙論」)で発表した。統一テーマのセッションは初日にひらかれるので、2年連続で早く「解放」されたことを笑いながら指摘するかたがおられたので、「さすがに来年はそれは無理です」とこたえた。

 学内の « バルコーネ » に場所をうつし、懇親会。
 ビール、ニホン酒、赤ワインをのみ、いい気分になる。

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 20時30分ころ会場を辞し、共同研究の打ち合わせ。
 話しおわったあと、大学を出て、海浜幕張ではなく幕張まで行こうとするが、ながい水路に沿った暗い道がつづくばかりで、たいへんこころぼそい。

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 しかし、どうやら間違っていなかったようで、突如ポケットからとりだしたように(プルーストの比喩)、幕張に到着。

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 泊まったホテルは幕張から千葉方面に数駅行ったところだったが、さいわいたいへん快適で、よくねむれた。

 今朝もおなじ道のりをたどり、学会会場へ。
 きょうだけくるひとも多く、応接にいとまがない。
 きょうは自由テーマの発表だが、ふたつの分科会にわかれている。時制関係の発表が多い分科会に出て、いずれもたいへん参考になった。

 かえりみち、きょう発表した院生の慰労会と称し、新橋の « Antwerp Six » にゆき、ムール貝をたべながら、ベルギービールをのんできた。
 « Hoegaarden » の500mlのグラスははじめてみたが、数字以上に巨大にみえる。

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 きのうは午後、2時間ほどたいへんな雷雨に見まわれたが、きょうは新緑がまぶしい晴れで、しかも暑いほどではなく、さわやかな気候だ。

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 きょうは半年に一度の恒例で、つくばの名店、« シェ・レノン » で昼食にクスクスをたべてきた。
 いつもながら、チュニスの名店 « Dar Es-Saraya » を思いおこすほどの絶品だった。
 きょうはここに連れて行ってくださった先生が、最近お店に協力なさったことがあり、そのお礼ということで、特別に子羊のあばら肉もつけてくださった。わたしもご相伴にあずかった。

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 はなしは前後するが、きのうのかえり道、« 西武百貨店 » 筑波店撤退後のようすをはじめてよく見てきた。
 « 西武 » のなかにあった書店 « LIBRO » だけは « CREO » の2階の回廊がわにうつって営業していたが、規模はかなりの縮小だ。

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 « 西武 » のななめ向かいにあった、« サロン・ド・テ・なかやま » も撤退してしまったようで、こちらもさみしい限りだ。
 名まえは « サロン・ド・テ » だったが、わたしはここで、1註文ごとに1本の小さなエスプレッソポットでつくられ、供されるイタリアンコーヒーが好きだった(もっとも、« なかやま » のべつの店は存続しているので、どうしても飲みたければそちらに行けばよいのだが)。

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 午後、大学院のオリエンテーションのしごとがあり、つくばに出勤。
 つくばでは、さくらはまだまだ見ごろだ(例年、東京よりいくらか遅い)。

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 科研費研究成果公開促進費(学術図書)の結果が来た。残念ながら不採択だった。
 以前は不採択のときは剥離紙のはがきが送られてきたものだが、いまは封書だ。内封の通知の情報量はけっしてふえていないので、無駄にカネをつかっている気がする。
 予算がもらえなかった身からすると、ついつい、「肥大化する官僚組織にはふんだんにカネをつかわせ、わたしのような人文科学の研究者にはつかわせないようになっているのだな」などと、ひがみっぽいことを思ってしまう。

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 しかし、同僚の和田くんが代表者になって申請した科研費(基盤研究(C))は、このきびしい時代にもかかわらず今春新規採択されたので、もって瞑ずるべきであろう。
 その情報もふくめて、TAME研究会の情報を更新した:
 http://www.lingua.tsukuba.ac.jp/lgfr/tame/
 さくらはうつくしい。ことしは寒かったせいか、さくらが咲くのがおそかった(東京の開花がいちばんはやかったのが「ほんとうか?」と思うくらい)ので、さくらの写真をほとんど撮っていなかったが、きょう、ようやく撮ってきた。
 ちいさな川の岸に、さくら並木がある(ほんとうは、もうすこし上流まで足をのばせば、「さくらのトンネル」とよばれる、両岸からさくらが張りだしているところがあるが、そこまで行くだけの元気がない)。撮った写真を貼りつけておく。

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 * * * * *

 きょうは筑波大学では入学式だった。入学なさったみなさん、おめでとうございます。
 前任校のような入学式への参列義務がないので、きょうはのんびりしていた。
 筑波大学でも以前は入学式の日の夕方に大学院オリエンテーションをしていたものだが、大学会館が改修工事のため、全体での式典を学外でするようになったことと、オリエンテーションの内容が増大した(研究倫理、情報倫理、ティーチングアシスタントをするための講習、などなど)ことから、ガイダンスのわたしの担当範囲は週明けからということになった。
 そのようなわけで、きょうは「嵐の前の静けさ」という感じだ。
 今年度だけ、役職につく先生の代講で、東京外国語大学で非常勤講師をつとめることになった。
 西武多摩川線(anciennement : 是政線)にのって多磨へ。ちょっとした遠足気分。

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 学会や研究会ではなんども来たことがあったが、関係者としてくるのははじめてだ。
 しかし、この大学ではきのうから平常授業がはじまっている。国立大学では例外的なほど早いのではなかろうか。
 これにはからくりがあって、春夏秋冬の4期制にして、夏、冬の学期は集中講義や海外研修に利用するとともに、春学期を七夕ころに、秋学期を1月なかばに終わらせるようにしている。そのかわりに、新年度の始業を早めているのだ。
 しかしそれでも、春学期、秋学期の平常授業が13週しかできないので、のこりの2週分を「アクティヴ・ラーニング」と称し、課題を出してみずから学ばせるようにしている。
 半期15週というルールは、文科省からの通達で、「試験週間を含めてはならないことは言うまでもない」などと念押しをされ、これをなんとしてでも守るため各大学が日程的に苦慮しているわけだが、これをかろやかに踏みこえている!(註: これは賞讃です)



 大学の構内ではさくらが8分咲きくらいで、みんなそれをとりかこむように写真をとっていた。



 わたしが担当するのはフランス語学の専攻選択科目で、学部の3、4年生が対象。
 昨年度、いまの3年生世代の必修科目を教えていた先生(わたしを外大に呼んでくださったかたとは別のかた)がわたしの知り合いで、「とてもいい雰囲気」とうかがっていたので、はじめからけっこう気らくに授業ができた。
 また、後刻のお申し越しで、熱心な大学院生のかたがたも履修してくださることになった。
 まだ履修は確定していないが、16人ほどになりそう。 まずまずのすべり出しではないか。

 * * * * *

 拙宅の庭で、まいとし白水仙よりおくれて咲く、八重咲きの黄水仙。
 頭がおおきく、花がたれ下がって土についてしまうのが残念なので、ことしも麻ひもで囲いを作ってやった。

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 大学1年でフランス語を学びはじめたとき、白水仙 narcisse と黄水仙 jonquille が基本単語で違っていることにおどろいたものだ。
 わたしが大学に入学したのは1987年だったので、それからはもう30年経ったことになる。少年老いやすく、学成りがたし。
 きょうから新年度だが、とりあえず週末なので猶予期間(そういえば、まえの職場では、4月1日が土曜だろうが日曜だろうが始業(会議集中日)で、2日が土曜だろうが日曜だろうが入学式ときまっていたなあ(遠い目))
 アラビア語学の榮谷さんを中心とする「いつメン」で、« お茶の水ビアホール » にゆき、ひるざけをのむ。

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 ビールとワインをほしいだけのんで、新年度にそなえて英気をやしなった(つもり)。

 榮谷さんは3月にエジプトにいっておられたので、おみやげをいただいた。
 スフィンクスの « ペプシ・コーラ »。

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 オリーヴのはいったチーズ。

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 きのうは上智大学に、現在共同で受給中の科研費(ロマンス諸語の時制・アスペクトの対照研究)のうちあわせに行ってきた。
 おなじ用件で、ふだんは週末にしか来ないのだが、学期中の週末より、春休み中の平日のほうが大学はにぎわっていた。
 
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 12月、わたしの日程管理の不手際で、おなじ科研費のうちあわせに参加できなかったので、みなさまとお目にかかってお話しするのはひさしぶりだ。
 ロマンス諸語にはいずれも興味があり、今後共同ですすめてゆくデータベースのタグづけなどのうちあわせをしていると、雑事にまぎれて最近消磨ぎみだった研究意欲がもりかえしてきたような気がする。
 年度もまもなくあらたまることだし、またがんばろう、とめずらしく前むきなこころもちになっている。

 * * * * *

 拙宅の白水仙が見ごろだ。無心に咲く、素朴な花が好きだ。
 東京では、桜だけははやく咲いたそうだが、全般的には、ことしは春がややおそいように感じる。

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 去年のいまごろ( http://palantien.blog137.fc2.com/blog-entry-354.html )、拙宅の庭ですでに咲いていた八重咲きの黄水仙は、ことしはまだつぼみだ。

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 ▲昨年3月29日

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 ▲今年3月30日(きょう)
 春休みにはいったこどもたちと、妻とともに、先週末を中心に、大阪の実家に行ってきた。
 こどもたちにおじいちゃん・おばあちゃん孝行をさせることが主目的なので、主目的は達したと思う。

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 26日は雨だったが、27日は晴れたので、こどもたちをつれて大阪万博記念公園に行ってきた。
 この場所にくるのは、1983年、高校1年のとき、おなじクラスの有志一同と遊びに来て以来、じつに34年ぶりだ。
 ごていねいに、当時、上の写真とまったくおなじ場所で、おなじ太陽の塔を背にしてとった記念写真ものこっている。
 それ以前にもたびたび来ていたので、記憶とふかくむずびついた場所だ。
 そんなところに、ながいときをへだてて、しかも自分のこどもたちとともにまた来ることになるとは、感無量だ。

 芝生の上を走りまわったり、(小学生の娘だけ)遊具であそぶところを見まもったり、家族4人でサイクルポートにのったりしたあと、« EXPO '70 パヴィリオン » と題された大阪万博全体を記念する資料館をみてきた。博覧会当時は « 鉄鋼館 » だったたてものだ。
 1970年の大阪万博には祖母につれていってもらったりしたらしいが、当時3歳だったわたしは万博そのものはまったく記憶がない。
 とはいえ、3年保育の幼稚園にかよった、その1年目の生活ははっきり記憶があるので、たいへん近い時期の世のなかの雰囲気はおぼえているのだろう、当時の写真や、当時使われた道具などの実物展示を、たいへんなつかしく感じた。

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 また、常設展のほか、« 建築の記憶 » と題された企画展もいまだけ開かれていて、こちらも見てきた。
 たんに高度成長時代だったというだけでなく、「科学技術がひらく明るい未来」が強く信憑されていた時代、という背景がはっきり感じられる。
 いまはどうだろう。過去になされた未来予測の多くは、否定的な面をすくなからずはらみながらも、実現してしまっているようだ(否定的ということのなかには、原発事故のような人災もふくまれる)。
 いまから未来を予測するならば、むしろディストピアっぽいことにしかならないのではないか。

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 いまはあとかたもなくなってしまったエキスポタワーにも、中学生のころにのぼったことがある。
 ここはエレヴェーターの「呼」ボタンを押すとかごの中でブザーがなって、オペレーターが呼ばれた階まで向かわせるという、1970年仕様だった...というつまらないことを記憶している。
 しかし、このエキスポタワーのカプセル状になった展望室が、当時構想された「未来の住居」のすがただったということは、今回展示をみてはじめて知った。

 大阪に帰るなら知らせるよう、おっしゃってくださったかたがたには申し訳ありませんが、今回はこどもたちの相手で手をとられることがわかっていたので、とくに連絡しませんでした。ご容赦のほど。
 晴れ。春らしいあたたかさになった。しかし風がつよい。
 えるたそ~さん帰国、ならびにブランシュ=ネージュさま修士取得を祝して、10日につづいて、北千住 « 幸楽 » を再訪し、総勢6人でビールを飲んできた。いつもながら、どじょうの唐揚げが絶品だ。

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 横浜の元町あたりにはめったに行かない。おそらく20年ぶりくらいに来た。なので、みなとみらい線にのるのもはじめてだ。

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 東横線、副都心線から西武線にまで直通で、いちばん遠くは飯能まで直通列車がある。

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 Yui さんとこの元町・中華街駅でまちあわせて、まず近くの « Brasserie Artisan » で昼食をとりながら相談ごとをする。
 そのあと、近隣の « フジムラコンテンポラリーアート » にゆき、いま開催中の Yui さんの銅版画の個展、『錆色の森』をみてきた。

Yui 銅版画新作展『錆色の森』

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 版画はいつもながら微細で、今回は制作の過程もわかるよう、原版も展示されていた。
 今回の展示は、はかなくもうつくしい蝶の生滅にことよせた新たな連作で、夢見ごこちになった。
 1年ぶりに帰国なさった大学院生のえるたそ~さんと再会をはたし、欣喜雀躍♪ るんたった~♪ るんたった~♪
 あ、「1月にもフランスで会ったから、たいした久闊ではなかろう」というツッコミは無用に願います(笑)。

 北千住でまちあわせ、学会発表にむけての準備など、研究上の相談をうける。
 えるたそ~さんはまだ帰国して数日しか経っていないにもかかわらず、すでに図書館で多くの歴史書(コーパスの候補)を借り出し、かつ調査対象の形式に多数の付箋をはりつけておられた。すばらしい。

 まず « イタリアントマト » でカップケーキをたべながら、コーヒーをのみながら話す。

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 ひととおり話したら、朝10時から酒肴を出しているという、北千住ならではの店、 « 幸楽 » にゆき、ビールをのみながら、どじょうの唐揚げをたべる。
 どじょうの唐揚げは絶品だ。えるたそ~さんはこれがとてもお好きのようで(中身はオッサンなのではないかという疑惑)、「ニホンにかえってきた気がする」とおっしゃっていた。

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 夕刻、腹ごなしと酔いざましをかねて、宿場町通りをあるき、荒川の土手まで散歩した。手まえから順に、JR線(複々線)、つくばエクスプレス、東武線(複々線)の鉄橋がならんでかかっている。

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 対岸には首都高速道路がはしっている。

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 河畔にたたずむわたくしめを、えるたそ~さんがうしろから撮ってくださった。左肩からかけたかばんが上着とつながって見えるので、よけいにふとって見える(ということにしておいてください)。

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 おみやげにいただいた、ランス Reims のお菓子。素朴でやさしい味だ。

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 出かけるとちゅう、千代田線車輌なのに新宿行きという、非常にめずらしい運用の電車にのりあわせた。ダイヤみだれで、千代田線と小田急線との相互乗り入れをとりやめた結果、小田急線内にとりのこされた千代田線車輌がしかたなく新宿にむかった恰好だ。

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 筑波大学の交流協定校でもあるパリ第13大学の Aude Grezka さんの講演会があったので、4日まえに来たばかりの早稲田大学を再訪した。

早大戸山キャンパス

 春休み中の平日のせいか、わずか10人ほどの聴衆しかあつまらなかったが、かえって親密に質疑応答できてよかった(すべての参会者がなんらかの発言をできるほどだった)。
 14時から16時すぎまでが講演会で、おわったあと近隣でコーヒをのみ、17時から場所をうつして懇親会。懇親会にはわずか5人しかこなかったので、わたしも Grezka さんと直接いろいろな話ができた。
 今回の企画の主催者だった K さん(あ、そういえばこのブログに登場するほかのかたがたのように、コードネームをつけられないものか)は、かねてより Grezka さんと個人的にも親しく、懇親会がおわったあと、さようならをいうときも、なみだを流して抱きあっておられ、学的交流と個人的な友情がふたつながら成りたっている、うつくしい例であるように思った。
 かくいうわたしも、K さんにはいくらか肩入れしているつもりなので、学的な活動の根柢には、なにほどか情的な次元が存在することはめずらしくないのではないかと思う。「理論」をつかさどる次元に、「感性」があるのではないかと、これは以前、わたしがジョルジュ・パラントの著作にことよせて肯定したことでもある:
 http://www.ne.jp/asahi/watanabe/junya/palante/antinomies.htm
 そうであるだけに、感性的次元から学的次元にいたるまで、堅固な信頼、協力関係をきずいておられる K さんと Grezka さんに敬意をいだかずにはいられない。
 だいたい、ニンゲンどうしで、いがみあっている場合もすくなくないのだから、「協力できる」ということだけでも、すばらしいことだと思う。
 ギリシアの劇作家メナンドロスのことばに、"Deus est mortali juvare mortalem" (ひとがひとを助けることは、神だ) というのがある。つまり、「神」は、「協力」という行為のなかにこそ存するのだ。近年のはやりことばでいう、「神対応」というものに接続したくなる。これをいうときだけは、ふざけているのではない。メナンドロスのことばも、「神対応」も、本質はおなじだと思う。
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 所得税の確定申告書を提出するため、« ぽっぽ町田 » にゆく。
 すでに書いてきた申告書を単に提出するだけでも長蛇の行列で、これだけでも疲れる。

 6年まえ、おなじように確定申告書を提出に行った日に、東日本大震災が起きたことを思い出さずにはいられない。
 高い税金を払うのはおもしろくないことだが、東日本大震災の日、確定申告のために地元にいたおかげで、帰宅難民にならずに済んだものだ。

 * * * * *

 確定申告書を無事提出したあと、« ぽっぽ町田 » のとなりの « ぎょうてん屋 » にはじめてゆき、昼食に、« 二郎 » インスパイア系の「ぎ郎」をたべる。
 健康上の理由から、ラーメンはたまさかの楽しみにしている。
 野菜増しを所望。野菜といっても8割がたはもやしなので、たべるのは見かけほどたいへんではない。野菜はゆでただけなので、卓上の高菜といっしょにたべるとおいしい。

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 たいへんこしの強い太麺で、たべごたえがあり、おいしい。

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 池袋の « 大 » や、かつて渋谷にあった « 梵天 » など、« 二郎 » インスパイア系どうしがひとまとまりに類似しているような気がする。しかも、それらはいずれも、ほんものの « 二郎 » からははなれているように思う。そしてわたしは、そうした布置のなかで、インスパイア系のほうが積極的に好きだ。

 * * * * *

 ♪1年2年は夢のうち~
 ♪まさかとわらって待てば~(中島みゆき『トーキョー迷子』)

 というような心境で待ちつづけた、えるたそ~さんが、ご無事で1年ぶりに帰国なさった。19時ころ、ご本人からメールをいただいた。めでたしめでたし。
 学会誌編集委員会のため、早稲田へ。
 はじまるまえ、すこし時間があまっていたので、(早稲田にはたびたび来ているのだが、はじめて)穴八幡宮にはいり、境内をあるきまわった。
 無知をさらすようで、たいへんはずかしいのだが、ここは鳥居も門も櫓もあざやかな朱色にぬられているのに、なぜ本殿だけは朱色でないのだろう?

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 委員会のひらかれた16階の会議室は、ちょうど穴八幡とむかいあわせの位置にある。

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 きょうの会議はとくにこれといった問題もなく終わったが、わたしは先週末の泊まり勤務以来、ずっと疲れがとれないでいて、最近の紋切り型表現でいうところの、「明日から本気出す」という状態がつづいている。
 « おぼえがき » にはすでに出しているが、イヴェントの告知を2件、貼りつけておく。

 * * * * *
Aude GREZKA 氏 講演会

パリ第13大学LDI(Lexiques, Dictionnaires, Informatique)研究所の Aude Grezka さんによる講演会が開催されますのでお知らせいたします。

Aude Grezka : Ingénieur de Recherche CNRS,
   Responsable de l’Équipe Lexiques de
   Laboratoire Lexiques, Dictionnaires, Informatique (LDI),
   Université Paris 13

発表タイトル: “Phraséologie et traduction : bases de données et applications”

発表内容:
 (i) la méthodologie scientifique et la théorie ;
 (ii) les problèmes rencontrés ;
 (iii) les outils que nous développons au laboratoire

発表要旨へのリンク:
http://www.sjlf.org/wp-content/uploads/2017/02/Grezka.pdf

使用言語:フランス語(通訳なし)

日時:2017年3月8日(水) 14:00~16:30

場所:早稲田大学文学学術院(戸山キャンパス)33号館16階第10会議室

主催:科学研究費助成金(若手B)「フランス語の知覚動詞に関する凝結表現の研究」
   (課題番号 16K16822)(代表 木島愛)
共催:日本フランス語学会 および
   筑波大学総合言語科学ラボラトリー

 * * * * *
Yui 銅版画新作展『錆色の森』

小柳優衣 銅版画新作展『錆色の森』

●会期
2017年3月3日(金)~26日(日)
※ 月・火 定休
12:00~18:00

●会場
フジムラコンテンポラリーアート
http://www.fujimura-art.com/
横浜市中区元町2-91-11 Iyeda Bldg 2F
TEL:045-641-3070
 ことしも前期入試の時期だ。
 今回は25日、26日にそれぞれことなる業務があり、24日から26日までつくばに泊まり込んだ。
 24日は世間では「プレミアムフライデー」だそうだが、わたしはフライデーはおろか、土曜も日曜も返上だ。えっ、「なまけものの節句ばたらき」?

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 2月24日(金)
 晴れ。午前中から出勤。
 必要にせまられ、図書館で、マイクロフィッシュで所蔵されている古い雑誌をみてきた。

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 きょうまで、microfiche がフランス語で microfilm が英語というちがいがあるだけで、それらはおなじものをさすと思い込んでいたが、実は別ものだった。マイクロフィルムは(むかしの映画のフィルムのように)オープンリールに巻かれたものをさし、マイクロフィッシュは縦横にならべて平らな1枚におさめたものだということを、はじめて知った。
 それにしても、機械の扱いがとてもむずかしい。こわしてしまわないかと、ひやひやした。司書のかたがたに懇切に助けていただき、どうにか使うことができた。

 午後は会議1件、面会3件。
 なかでも、この年度末に博士の学位を得られ、4月から他大学に就職なさる他研究科の院生のかたと話したのがたいへん楽しく、興味深かった。

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 平塚徹編『自由間接話法とは何か』を、著者のかたがたから献本でいただいた。
 すこしページを繰ってみたが、新たな観点からの論文ばかりで、とてもおもしろそうだ。ひまをぬすんで読みたい。

 17時をすぎても、きょうぢゅうには来るはずだった学類の卒業判定書類が来ない。担当のかたに電話をして、できあがるのは18時ころ(もう学内便は動かない時間)とうかがったので、18時ころにこちらから出向いて、その場で処理してきた。
 もとより、22日(一昨日)が教員からの成績入力期限なのに、きょうには卒業判定の書類を送り出そうというのが、至難の業ではなかろうか。
 また、ついでに別の教務的案件についても対処方法を確認して、研究室にもどって対応する。

 19時すぎ、「喫茶・軽食」というトリッキーな看板をかかげている « クラレット » で、どどーんと夕食。

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 2月25日(土)

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 9時から監督業務。
 このしごとだけは、いつまで経っても慣れない。だいたい、あの張りつめた空気がにが手だ。
 きまった時間に、きまったことしか言ってはいけないのも苦痛だ。せめて、顔だけでもほほ笑みをこころがけている。
 はじめの試験時間中、10時19分に地震がおき、ひやっとしたが、たいしたことはなくてよかった。これ以外は万事平穏だった。

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 ふだん長距離通勤しているせいか、ながい時間じっとしていること苦にならないほうだと思うが、それにしても1科目あたり120分の試験はながながしく感じる。

 最後の試験時間は18時15分に終わるが、そのあと、確認作業などのため、1時間以上は待機しなければならない。
 19時30分ころ解放された。
 待つ時間がながいだけで、たいしたことはしていないのだが、それでもどっと疲れた。

 2月26日(土)
 きのうより1時間おそくてよいので、ふだんはめったにたべない朝食をホテルでたべる。

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 10時から採点業務。しかし、フランス語は受験者がすくないので、短時間でおわる。
 おわったあと、出題・採点担当の先生がたとコーヒーをのみにゆく。

 かえりみち、明後日最終的に閉店してしまう西武百貨店筑波店に立ちよってみた。
 売りつくしセールをしていたが、ほしいものがなかった。そういえば、ここにかぎらず、ながいこと「百貨店」と名のつくところでは買い物をしていない。わたしはとりわけ無頓着なほうだとは思うが、わたしと似たような消費傾向のひとはめずらしくないだろう。道理で西武も撤退するわけだ。

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 資料の受け渡しなどのため、かねてよりの約束のとおり北千住でホルヘさんと会い、ビールを飲んできた。

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 くもりのち雨。きのう自宅の庭木を剪定したせいで、筋肉痛だ。のこぎりで太い枝を引くとき全身を使うので、太ももがいちばん痛い。

 9時すぎに家を出て、地下鉄東西線の竹橋へ。一ッ橋をわたり、そのむこうにみえる « 如水会館 » へ。
 ここは国立にうつるまえに一橋大学のあったところだ(といっても移転は戦後ではなく、関東大震災のあとの1927年と古い)。
 一ッ橋は川の上を高速道路がふさいでおり、まったく風情はないが、通りかかったときは白いカモがおよいでいた。

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 「「老人はおしゃべり屋で言葉だけの哲学者だ。老人は自分の経験を弱々しく冗漫で不明瞭な説教口調で語るため、つい〈常套句〉だけになってしまう」(『ヘルダー旅日記』)
 これは、いま老人と呼ぶのに不足はない年齢に達したぼく自身が、老人学者に投げつけたいことばだ。モデルはいくらでもいる。ぼくは老人であることは、自分ではわからないが、これら身のまわりのモデルを通して、自分を鏡に映したかのように、そうだとわかる。それにもかかわらず、こんな自伝を書こうとするのはどういうわけだろう。それは、いまのように老け込んでしまった社会、若いままに老いてしまった人たちの目にうつるであろう、ぼくの自己弁明のためである」((『田中克彦自伝 あの時代、あの人びと』p.7)

 田中克彦先生の自伝出版記念講演会ならびに懇親会に出席。
 わたしは田中克彦先生の著作は80年代後半から90年代にかけて集中的に読み、絶大な影響をうけた。

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 自宅ですぐに見つかるかぎりの書物をならべてみた。
 とくに『国家語をこえて』はわたしのいちばん好きな1冊で、EU の統合がすすんで国家レヴェルの言語が相対化されてきている現在、ますます光彩を放つ著作だろう。

 [後日追記] だいじな本がまだあることを忘れていた。下の写真のものも手もとににあった。この『モンゴル:民族と自由』のなかにある、「モンゴル文字のよみがえり」もおもしろい。

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 追記おわり。

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 11時にはじまった講演第1部は、自伝(一部、伝記や日記)そのものを主題化し、戦前の軍神廣瀬中佐にはじまり、戦後からお読みになったというマリー・キュリー、ソーニャ(ソフィヤ)・コヴァレフスカヤ、マリー・バシキルツェワの日記、アウグスティヌス、大杉栄、荒畑寒村、片山潜、クロポトキン、ルソー、ゲーテ、シュヴァイツェルらの自伝、伝記についての話で、わたしにとっては新情報が多かった。
 たとえば、「フランコフォニー」(francophonie) の名づけの親として知られるルクリュが、アナーキズム、そして地理学というふたつの共通項を介して、クロポトキンとまじわりがあったことなど。
 また、Kindlers Leteratur Lexicon が、狭義の文学のみならず、ふだんは話題にもならないモンゴルの文献にひろく言及していたことを例とし、関連することはひろく研究する姿勢を範とするお考えをのべておられたが、この考えかたは、ともすると拡散的にすぎるといわれそうな研究をしているわたしにとっては、勇気づけられるようなものだった。
 講演第1部がおわったあと、田中克彦先生の息子さんにあたる田中ひかるさんが登壇され、1871年のコミューヌ・ド・パリ(フランス語ではたんに La Commune という)のさなかに作詞作曲された L'internationale の解題。ひかるさんは作詞者・作曲者のフランス語の名まえを読みあげるとき、壇上から「フランス語のよみかたはこれでよいでしょうか、わたなべじゅんやさん?」とわたしに確認してくださった。
 ひかるさんとは2005年にわたしがジョルジュ・パラントの訳書を出したころから交流があり、最近では大杉栄全集のフランス語関係の解題に協力したご縁で、同全集月報にも書かせていただいた。しかし、父上がどなたかはきょうまで知らなかった(じつは、わたしにとってはこのことがきょうはいちばん衝撃的だった)。
 L'internationale を会場で大合唱。ニホン語でも、フランス語でも、ドイツ語でも、ロシア語でも、すきな言語でうたってよいということで、田中ひかるさんに招かれて前にでていっしょに歌ってしまった。
 その後、田中克彦先生が親しんでおられ、L'internationale の伴奏もしてくださった新宿のうたごえ喫茶、« ともしび » のかたがたを中心として4曲ほどの演奏をきき、一部はいっしょに歌う。
 講演第2部は今回の出版に関する話で、複数の他社に原稿をもちこんでもうまくいかなかったが、平凡社で出版できたことがよろこばしい、続篇もあるかも、とのことだった。くわしい裏事情も話しておられたが、会社名、個人名など固有名詞が多く、ここには書けない。
 13時から懇親会。乾杯の発声はスペイン語学の原誠先生。
 もとゼミナリストのかたがたによって構成される主催者がわに、わたしをおさそいくださったおふたりのほか、非常勤先でごいっしょしている先生もおられたことにおどろいた。また、学会などで交流のあるかたがたとも話すことができた。
 田中ひかるさんと話し、『チョムスキー』のあとがきに、「チョムスキーの年譜がはなばなしいできごとにかざられておらず、簡素であることに、むしろ私は好感をいだく」(同時代ライブラリー版 p.219)と書いておられる田中克彦先生が自伝を出すのはちょっと矛盾しているのではないですか、と冗談を申し上げたところ、「そんな指摘をしても、『人間は矛盾に満ちたものだ』といわれて終わりですね」と笑っておられた。
 ユーリッヒ・リンス氏、木村護郎クリストフ氏をはじめ、名の知られたエスペランティストのかたも多く来ておられた。
 最後のあいさつで、田中克彦先生が、「この会場は(一橋大学関係の施設なので)石原慎太郎が都知事になったときに祝賀会が開催された『いやらしい』場所です。このような催しをひらくことができ、お清めになったと思います」と発言され、拍手喝采のうちに15時30分ころ終了。

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 大学院のわたしの担当授業で、14時から17時30分まで白熱した議論をかわした。
 おわったあと、院生のみなさんと大学近隣の « 灯禾軒 » にくりだし、熱燗のニホン酒で乾杯。

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 偶然、となりの席に、他専攻所属の知りあいの院生、「ざしき~」くんが来られ、ときならぬ交流をたのしんだ。
2017年1月、フランス出張日誌
 ブザンソンにあるフランシュ=コンテ大学での博士論文審査員(じつは予備審査報告 pré-rapport を書く担当でもあった)をひきうけ、公開審査がひらかれる1月17日を中心として、1週間ほどフランスに出張してまいりましたので、以下に時系列にそって報告をお目にかけます。

 2017年1月14日(土)
 成田に前泊のため、16時ころ自宅を出発。息子は合唱の練習で留守 (だが、息子を送り出すときにたがいに声をかけあった)。娘は妻と昼寝をしていたが、出るときはかならず起こしてね、といわれていたので、声をかけてから出る。1週間、こどもたちと会えないかと思うとさみしい。外はとても寒い。
 18時ころ成田につき、京成成田駅ちかくのホテル(といっても、奇矯な女性社長が目立っているホテルではない)にチェックイン。ホテル近隣の « イオン » で飲みものなどの買い物をし、« かつや » でとんかつの夕食。

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 寝るまえにみたニュースで、わたしの聖地、新潟県十日町市が豪雪にみまわれているところがうつる。

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 2017年1月15日(日)
 今回のホテルは送迎つきなので、8時30分にホテルをでて、9時まえには空港(第1ターミナル)につく。AF275便は11時45分から35分に、10分出発を早めたとのこと。

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 あずけ荷物を入れ、両替をして、安全検査まえに飲みほしておくべき飲みものを飲みきったら、9時30分くらいに出国。保安検査、出国カウンターともすいていて、9時40分ころには搭乗口まで達してしまう。ひどく時間があまった。なるべくひとけのないベンチにすわり、公開審査の予習。観光庁の職員が、出国しようとしている観光客とおぼしいひとに詳細にアンケートをしている。ニホンはすでにじゅうぶんすぎるほど(ある意味で消費者を甘やかしてだめにするほど)歓待的な国なので、これ以上「おもてなし」に磨きをかけなくてもいいかな、と個人的には思う。
 AF275便は早めた出発時間に達しても機内に案内されることはなく、けっきょく11時40分ころ搭乗。ほぼ定刻に出発した。効率的に乗り込ませるために出発時間に関してさばをよんだのではないかとうたがいたくなる。機内は文字どおりの満席。これだけ混んでいたら、直行便のメリットをうち消すとさえ思う。
 きのう、オンラインチェックインしたのだが、にが手な窓がわしか空席がなかった。もちろん通路がわに変更することもできない。しかし窓から、利根川や霞ヶ浦、さらには筑波山神社の赤い鳥居がみえたりして、それなりに楽しい。下の写真では、うつっている霞ヶ浦の左端が土浦。

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 新潟の雪景も見えたが、すぐニホン海に出てしまい、写真をとりそこねた。
 窓がわ座席だから、トイレにいくために迷惑になってはいけないと思い、なるべく飲みものをひかえたが、結局、12時間の飛行で2度トイレにいった。わたしとしてはうんと少ないほう。
 ただし食事には赤ワインをつけ、洋なしの食後酒ももらった。

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 16時に着陸、16時20分に駐機場へ。パリはみぞれまじりの雨がふっている。

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 飛行機をおりたら、あずけ荷物もうけとらずに Roissyval という空港内新交通システムにのらないといけない、直観に反する構造だ。入国審査が非常におそく(ずらりとならんでいる窓口のなかで、EUのパスポートと、ほかのパスポート、それぞれ1つずつしかあいていないので、まるで行列をさばけない。半年前に経験したポーランドでのEUへの入境のほうがずっとよかった)、17時15分ころまでかかる。17時20分にあずけ荷物のうけとり場所へ。わたしのスーツケースはすでにテーブルをまわっていた。

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 RERの駅に移動し、17時45分第2ターミナル発。ダンフェール=ロシュローDenfert-Rochereau でメトロにのりかえ、18時45分ころオルレアン門 Porte d'Orleans へ。19時ころホテルへ。
 ホテルちかくのスーパーが、自社サイトで日曜も21時まで営業していると書いていたので安心していたが、じっさいに行ってみると13時まで(12時45最終入店)だった。あとで Google をみると、正確な情報があった。しかし、自社ホームページ以上に Google のほうがただしいって、どうなのよ。
 しかたなく、ホテル内で軽食と飲みものを買って飲み食いし、シャワーをあびて、ひさしぶりにインターネットに接続し、たまっていたメールに返信して就寝。

 2017年1月16日(月)
 時差ぼけで5時ころに目ざめる。これでも寝たほうだ。テレヴィのニュース局(BFM)をつけると、昨夜左派の大統領選予備選の討論会のとき、オランド大統領が劇場に劇を見にいっていたことが、候補者に対する挑発(provocation)ではないかという憶測が出ていた。かりにそうだとしても、自分の任期がおわったら自分のしごともおわりなのだから、知ったことではないという態度はべつにわるくはない、むしろある意味で健全だと思う。それに、放っておいてくれたほうがあとのひとはやりやすいのではないか。しかしオランドは観劇について釈明し、« Le théâtre, ça détend » (演劇というのは、リラックスさせてくれる)といっていた。ここで、総称文と ça の用法に興味をもつのが言語学徒としてありがちだろう。もうひとつ、言語学徒が興味をもちうるポイントとしては、予備選を primaire とよぶのは、アメリカの大統領選挙の予備選を primary とよぶことに影響された外来語法だと規範主義者が批判していることだろう。

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 それから、おなじテレヴィのニュース局の天気予報で、température ressentie という用語が出てきた(以前は天気予報ではこの用語は出てこなかった)。風を勘案して、実際の気温より低く出る「体感気温」といったところ。いまから数日は、体感気温はいうにおよばず、実測にしてもほとんどずっと氷点下のようだが、「頭寒足熱」といった感じで、中途半端に寒いよりも、わたしにとってはここちよい。
 昨日以来とどいていたメールに返信したあと、明日の公開審査の準備。9時、近所のスーパーの開店にあわせて買い物にゆき、朝・昼食をかねた食事をホテルでとる。11時ころ、ようやくひととおりできあがる。正午チェックアウトという寛大なホテルなので助かった。大荷物をあずかっておいてもらい、11時45分ころ出て、駅でカルネを買って地下鉄でカルティエ・ラタン Quartier Latin にむかう。

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 鉄っちゃん的に遠回りして、とちゅう、La Motte-Picquet という、たいへんなつかしいところ(留学時代、Champs de Mars の近くに住んでいたので)にたちよった。
 ソルボンヌ広場 Place de la Sorbonne の入り口の角に、かつてはフランス大学出版局 Presses universitaires de France の書店があったものだが、いまでは Nike の店になっていた。商業化に浸蝕される左岸。

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 « Gibert Jeune » の言語学書専門の支店で、来年度の専門の授業で講読教材にできそうな本をえらぶ。

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 これまたなつかしい « Royal Luxembourg »(留学時代、よくここで院生どうしで集まっていたものだ。ちなみに、1968年5月革命のときには、このカフェのまんまえにバリケードがきずかれたことでも有名だ)で生ビールをのむ。留学時代よりずっと洗練されており、わかいひとが経営していた。

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 15時30分ころ再出発してホテルにとってかえし、大荷物を受け取ってリヨン駅 Gare de Lyon に向かう。Porte d'Orléans からリヨン駅に行くとき、巨大すぎて不便なシャトレー Châtelet でののりかえをさける方法はないかとしばらく考えたが、1回ののりかえを2~3回にふやさないかぎり、明らかに、ない。しかし、4号線から14号線へののりかえがたいへん近く、しかも4号線はシャトレーを出るとリヨン駅までとまらないので速い。
 リヨン駅は改装されて、とてもきれいになっていた。各所にあたらしく優雅な名まえがつけられていた。たとえば、1990年代にはただ屋台にちかいカウンターがずらりとならんでいるだけだったながい廊下は、いまでは Galerie des Fresques になっていた。しかもカウンターはすべてとりのぞかれて、壁になっていた。

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 わたしののるTGVの発車番線がなかなか表示されない。あとから出るリヨンゆきのTGVに順番をぬかされる始末。そうこうするうちに、10分遅れるという放送がきこえる。TGVはブザンソンゆきではなく、ドイツのフライブルク・イム・ブライスガウ Freiburg im Breisgau ゆきの国際列車。2階だてのTGV。

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 切符の指定席標示に fenêtre haute (高い窓) と書かれていて、天窓みたいなものか、と思っていたら、2階席のことだった。となりにドイツ人のおじさんがすわって、みょうに礼儀ただしいひとで、しかも Michel Onfray の最新著書を読んでおられたので、「同志!」と思った(とてもしずかな車内だったので、そこまでは話していない)。
 ブザンソンにTGVの新駅(Besançon Franche-Comté駅)ができたことから、てっきり全区間が新線かと思いきや、ディジョン Dijon 近辺では在来線をはしるので、あまり速くない。ディジョン駅は Dijon Ville といい、中心街近くにある。こうなると、ブザンソンのように新駅をつくった都市だけが、不便をしのんで損をしているような気もする。というのも、Besançon Franche-Comté 駅から旧来の Besançon Viotte 駅へは新設連絡線(未電化単線)にのりかえなければならないのだ。ディジョンからブザンソンのあいだも、ひとたび新線にのりいれれば時速320キロを出すので、速いことは速いが、便利かというと疑問だ。

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 雪のせいか15分くらいおくれたが、Besançon Franche-Comté 駅での接続に余裕があったので吸収でき、定刻20時に Viotte に到着。フランシュ=コンテ大学のルボー先生が迎えにきてくださり、ホテルまで送っていただく。

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 « Best Western Citadelle » というはずかしい名まえだが、2009年にきたときにもとまったことのある、旧名称 « Granvelle » という瀟洒なホテルだ。シャワーをあびて、ほとんどすぐ就寝。

 2017年1月17日(火)Jour J
 朝食込みのホテルだったので、ふだんはめったに食べない朝食をホテルでとる。時差ぼけもあって朝5時に起きるから、食べてもよいだろう。

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 朝9時半に出て、Rue Claude Goudimel にある大学施設にむかう。フランシュコンテ大学国際部のかたととお目にかかるはずだったが、そこにはいないという。べつのところ(Rue de l'Orme de Chamars)にある建物にまわされ、15分おくれでようやく合流し、話しあいに同席する。

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 正午から、審査員どうしでの直前打ち合わせをかねて、レストラン « 1802 » で昼食をとる。牛のほほ肉のブルゴーニュ風煮物がおいしかった。フランス式で、しごとのまえなのにワインものむ。アルボワのピノ・ノワール。

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 14時からいよいよ本番。博士論文の公開審査会に審査員のひとりとして参加。話す順番が2番めなので、フランスでは慣習的にいって批判役か?と思ったが、話しはじめるときにルボー先生に確認すると、かならずしもそうではないというおこたえで、安心して話す。とはいえ、たいへん緊張した。ぎこちないコメントや質問になってしまったが、なんとか、かろうじて自分のつとめを果たした(つもり)。

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 ニホンの博士論文審査といちばんちがうところは、学位授与にかんして審査員が全権をあたえられていて、大学は審査結果を事後的に追認するだけなので、その場でなにがしかの時間の審査の結果、「言語学博士の学位を授与します」という遂行文を審査員代表が宣すれば、その場で、その瞬間から候補者は博士になるということだ。ニホンでは、学内での審議承認事項として諸会議にかけないといけないだけでなく、課程博士なら学年末まで必要単位がそろうかわからないこともありうる(もっとも、博士ともなると必要単位は何年もまえにそろっていることが多いが)。
 フランスとニホンのもうひとつ大きな違いは、フランスではごく最近まで、審査結果は合否だけでなく、mention(評語)がついていたということだ。低い順に、« honorable » (名誉な), « très honorable » (たいへん名誉な), « très honorable avec les félicitations du jury » (審査員の祝福つきで、たいへん名誉な), « très honorable avec les félicitations du jury à l'unanimité » (審査員総員一致の祝福つきで、たいへん名誉な) の4つがあった。最低評価でも「名誉」になるのは、もちろん、博士号を得ること自体が名誉だからだろう。この用語は、近代初期の市民社会のにおいがする。これに対し、昨秋から変わったこととして、それらの評語は全廃され、かわりに、« Oui » (合格), « Non » (不合格), « Oui, après corrections » (修正ののち合格) の3つしかなくなった(わたしはこのことをきょうはじめて知った)。現職のオランド大統領が数十年ぶりにおこなった改革だ。
 きょうの審査結果は合格で、れいの遂行文が発せられ、めでたく終わった。フランス語で pot という、その場でのお祝い。Tariquet という、ガスコーニュ Gascogne の白ワインがとてもおいしかった。
 さらに、夕食をかねてレストランでもお祝いをしよう、ということになっていたが、きょうは不思議なことに、ドゥー川 Doubs が輪状にとりまく中心街のレストランはのきなみ休みなので、しかたなく、輪から出たところにあるカジノのなかにはいっているレストランにくりだした。カジノに行くこと自体はじめてだが(べつに自分が品行方正だと主張したいわけではない。かけごとを避ける程度には打算的な人間だというだけだ)、レストラン自体は洗練されていて、非常によかった。ローヌの赤ワインをのむ。

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 筑波大学からブザンソンに留学中の学生・院生のうち、わたしが直接知っている3人(そのうち、ひとりは昨年の春からことしの春まで、ふたりは昨年の夏からことしの夏まで留学)はそろってごいっしょくださり、お元気なようすに接することができた。とりわけ、12月におきた筑波大学からフランシュ=コンテ大学に留学していた女子学生が行方不明になった事件で、衝撃をうけていることにはちがいないが、それでも気丈に、留学自体は予定どおり最後までがんばりたいという意志をもっているようだ。3人それぞれと、今後の学修・研究などの相談を明日午後にすることになった。24時ころに帰還。わすれられない、感動的な日になった。
 フランシュ=コンテ地方の天気予報。

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 フランス全国の天気予報。

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 2017年1月18日(水)
 酔いざめと時差ぼけが同時にきてしまったようで、4時に目ざめてしまう。7時から朝食。10時から昨日朝とおなじ国際部にゆき、今後フランシュ=コンテ大学より応募予定のプロジェクトの書類作成にかかわる具体的な相談。12時30分ころまで熱心に話す。
 « Le Petit Polonais » にゆき昼食。牛のあばら肉。素朴ながらおいしい。ねだんも安い。

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 午後は留学中の学生とホテルのロビーで会い、今後の学修について相談をうける。
 さらに、夕方17時から留学中の大学院生と会い、今後の研究について相談をうける。まず « Brasserie Granville » でコーヒーをのみながら、学会発表の予定、博士論文の構想について話す。18時30分ころ出てまちなかをあるきまわる。ちいさな町のこととて、さきほど会った学生とすれちがう。相談のつづきという口実のもと、夕食もごいっしょしていただく (ニホンではともかく、フランスではひとりではレストランにはいりづらい)。≪ Les Tables d'Antan ≫ で鮭とシャンピニョンがおおくはいったグラタン、Gratin du pêcheur をたべる。とてもおいしい。また、アルボワ Arbois の赤ワインを1本、ふたりで空けた。ここちよい酔いで、終わりよければすべてよし、という気になる。ブザンソン最後の夜にふさわしい夕食になった。

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 2017年1月19日(木)
 やはり時差ぼけで、5時起床。こうなったら時差ぼけをなおさないほうが、帰国後安心かもしれない(笑)。
 来年度大学院科目のシラバスうちこみのしめきりが経過して、一刻も早く入力せよというメールがきていたので、あわてて入力する。
 7時50分、エールフランスのウェブサイトで、明日の飛行機のオンラインチェックインをする。往路とちがって、きっかり出発の30時間前、オンラインチェックインがはじまる瞬間を期していたので、ばっちり通路がわ座席を確保できた。
 8時30分ころから朝食をとる。ここも正午チェックアウトという寛大なホテルなので、チェックアウトはしないで、9時30分から開店する « Galerie Lafayette » にゆき、こどもたちへのおみやげをさがすが、目ぼしいものはなかった。パリについてからにしよう。

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 11時ころチェックアウト。シャルル・ノディエが住んでいた家のまえをとおって、ゆるやかに、シャマール Chamars の電停まであるき、2年ほどまえにできた路面電車にのってヴィオット駅へ(前回2009年にきたときは、まだ工事さえはじまっていなかった)。

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 待合室で、一昨日博士を取得なさった K さんといっしょになる。それぞれに予約したものの、たまたま、パリまで同じ便で行くことになっていた。しかしTGVの車輌はちがうので、いったんブザンソン・フランシュ=コンテ駅でわかれる。また2階席。12時48分発。フランスらしいひろい野原をかけぬけ、15時パリ・リヨン駅着。

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 K さんと再合流し、駅からほどちかいブラッスリーにゆき、白ビールの生をのむ。

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 16時ころリヨン駅を辞し、先週日曜とおなじ Porte d'Orléans のホテルへ。フロントのひとが、「ニホンに行ったことがある」と言っておられ、すこしばかり気にいられたのか、いつもよりひとまわり広い、快適な部屋をあてがわれた。
 18時ころホテルを出て、ガリエニ Galliéni へ。ガリエニは、パリ市のとなりのバニョレ市 Bagnolet にあり、大規模店舗が規制されているパリからほんの1歩出たばかりのところに、巨大なショッピングセンターがある。パリのなかをへたにあちらこちら回るより、ここだけでいろいろなものがそろう。とはいえ、今回はあまり気にいったものがなく、チーズ、お菓子などのおみやげを買う。ハイパーマーケット « Auchan » で、売り場の分類が天井から看板で吊り下がっているのだが、ヌガー nougat の上位語(分類用語)である confiserie をど忘れしてしまって、広大な売り場で苦労した。一方、にんじんしりしり carottes râpées、レバノン風ひきわり小麦 taboulé など、ホテルで夕食がわりにたべるものと、Ottweiler Pils というドイツのビールを買ってくる。Ottweiler Pils は1本1ユーロ未満と激安なのに、かおりがとてもよく、おいしい。さすがドイツ、さすがカールスベルク Karlsberg だ(デンマークのカールスベルクとはちがう)。20時30分ころホテルに帰着。シャワーをあびてから夕食。

 2017年1月20日(金)
 あいかわらず時差ぼけで、5時起床。パソコンをいじったり、左派の大統領予備選のニュースをみたりして、時間をすごす。昨夜の残りもののにんじんしりしりを朝食がわりにたべて、荷づくりをして、10時すぎにホテルをでる。うまいぐあいに、ダンフェール=ロシュローからのったRERが、北駅を出たら空港まで停まらない最速の便だったので、10時50分ころには空港駅着。搭乗券、あずけ荷物のタグの印刷を端末で自分でするようになっていて、それをすませたら、あずけ荷物の計量、あずけ入れも自分でするようになっていた。なれるまではめんどうだが、結局はこのほうが速い。すべてすませると11時35分くらい。出国はロワシーの空港にしては比較的すいていて、11時45分ころ出国、Roissyval にのってから、保安検査をうけ、正午ころ、搭乗口につながり、免税店のならぶ、通称「物欲ゾーン」に到達。すこしだけ、おみやげを買い足す。

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 ロワシーでは、成田とちがって、かなり早くから搭乗することになっている(あれはどうしてだろう?)。13時50分発予定だが、13時10分ころには搭乗。給油などに手間どったようで、すこしおくれて14時10分ころにうごきだし、14時30分に離陸。
 高畑充希主演「植物図鑑」をみる。半年まえの出張では、土屋太鳳主演の「オレンジ」をみて泣いてしまい、はずかしかったので、もう飛行機のなかで映画はみるまいと思っていたが、「植物図鑑」は少しは内容を知っていて、これなら安心だろうと思って見た。それでも泣いてしまった。どれだけ涙もろいのか。としをとったということか。
 機中泊。とはいえ、となりに子どもづれがいて、ゲームに興じていたので、ほとんどねむれなかった。

 2017年1月21日(土)
 8時半ころに朝食が供される。9時55分成田に着陸。10時10分降機、ただちに入国。10時30分にあずけ荷物をうけとり、税関を通過。47分には京成特急で空港発。30分くらいで空港を脱出できる迅速さがニホン的。しかし、とちゅう、のりかえついでに昼食を食べたことと、あまりにも眠気で地元の電車を乗り過ごしてしまい、帰宅は14時ころ。8歳の娘が抱きついて歓迎してくれた。息子は中学校の合唱団から音楽之友社にCD収録に行っていたが、もどってきたらやはり歓迎してくれた。
 としあけ初めての平常授業。といってもきょうは、大学院をふくむ、まったり系の授業ばかり。
 大学院の授業がおわったあと、北千住に移動し、沖縄料理店 « うるま島2 (ターチ) » で新年会。
 12月に修士論文を提出なさった、コードネーム「ブランシュ・ネージュ」さまへの慰労会を兼ねて、総勢7人が集まり、オリオンビールで乾杯。たいへん楽しく、ひさしぶりにはじけてしまった(笑)。

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 ブランシュ・ネージュさまはアイドル状態で、みんな最前列でヲタ芸をおどっているファンのようになり、楽しい酒宴になった。
 あけましておめでとうございます。
 ことしもどうぞよろしくお願いいたします。

 まずは、昨年の正月にたて、公表した( http://palantien.blog137.fc2.com/blog-entry-342.html )目標がどの程度達成されたかをふりかえってみます。

 (1)冬休み前に初校を返し、としあけ始業後に再校がくる予定の科研費論集を、1月中に刊行する。⇒達成!
 (2)11月末にしめきられ、現在査読中、3月から編集されて6月刊行予定のフランス語学会研究促進プログラム『パロールの言語学』論集の刊行を編者としてめざすとともに、そこに投稿したわたし自身の論文も公刊できるようつとめる。⇒達成!
 (3)ロマンス語学会で、科研費でごいっしょしているかたがたとともに、統一テーマでの発表や論文執筆をめざす。⇒達成!
 (4)応募済みで、1月末に要旨査読結果が判明する予定の、時制専門のシリーズ Cahiers Chronos 主催の学会(6月にフランスのカーン Caen で開催予定)で、もし採択されれば発表する。⇒達成!
 (5)2年越しの目標である、認知モードとアフォーダンスに関する論文を執筆し、公刊をめざす。⇒未達成。この問題は非常にむずかしい。2017年5月のロマンス語学会大会に応募し、強制的に研究を進展させるつもり。
 (6)11月に大学書林にあずけた原稿がもしみとめられれば、著書刊行をめざす。⇒未達成。大学書林にまる1年原稿を放置され、「編集の開始をお願いしているのではなく、見通しだけ知らせてほしい」と再三要請しても明確な返答が得られなかったので、こちらから同社での出版を願い下げとするむねを伝え、11月、科研費研究成果公開促進費に応募した。結果は2017年4月に判明予定。

 というわけで、6件中4件達成、達成率66.7%といったところです。
 これにこりずに、以下に2017年の目標をたて、公表します。

 (1)前年未達成の(5)をうけ、2017年5月のロマンス語学会大会で認知モード関連の発表をし、3年越しの課題を論文化する。
 (2)前年未達成の(6)をうけ、単著新刊書を2017年9月までに刊行する。
 (3)(2)とはべつの単著新刊書(ジェロンディフ、現在分詞関連)を2017年3月までに刊行する。
 (4)(2)、(3)とはべつの単著新刊書(白水社、中級文法新3部作のうちの1作)を2017年秋(詳細しめきり未定)までに脱稿する。
 (5)現在初稿進行中の共著書に書いたダニエル・ルボー先生との共著論文を2017年5月に刊行する。
 (6)2016年12月に原稿を提出したくろしお出版の論文集の単著論文を2017年10月に刊行する。
 (7)2017年度が最終年度のわたしが代表者の科研費の論文集を2017年12月に刊行する。

 もののみごとに刊行課題ばかりで、しかも、わたしひとりがいくらがんばってもどうにもならない案件もありますが、研究者たるもの、論文や著書を江湖に問うてなんぼのものだと思いますので、これらの目標をかかげて奮闘いたしたいと思います。

[後刻追記] ちょっと途中をはぶきすぎでした。ことしの目標の(2)は、もちろん、科研費の研究成果公開促進費が採択されることが前提なので、その前提がくずれると、この案件は再出発を強いられます。
 年末の家族旅行で、新潟県に行ってきた。
 目的地は上越市大潟区(上越市は市町村合併で成立した市なので、政令指定都市ではないにもかかわらず「区」がある。cf. http://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/jichi-chiiki/jitiku-sikumi.html )の鵜の浜温泉というところだ。
 はじめて行く « 鵜の浜ニューホテル » にとまった。15畳くらいある、ひろびろとした客室をあてがわれた。

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 往路は夕刻(しかも、みぞれが降るなか)、暗くなってから着いたので写真はなし。
 まずは温泉にはいる。ナトリウム-塩化物強塩泉(旧泉質名称では強食塩泉)で、さっぱりとしたつかりごこちだが、身体が浮き上がるようなので、塩分が濃いのだろう。

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 夕食(の一部)。

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 朝食(の一部。ビュッフェ形式)。

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 帰途はよく晴れ、朝から動いたので、あれこれ写真をとった。
 温泉のもより駅は潟町駅。このあたりは小川未明の『赤いろうそくと人魚』のもとになった人魚伝説で知られるところなので、近年たてかえられた潟町駅の駅舎も「人魚の家」のコンセプトによってデザインされている。

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 潟町への往復は、上越新幹線越後湯沢から北越急行(ほくほく線)か、長岡から信越線か、あるいは北陸新幹線上越妙高からえちごトキめき鉄道(はねうまライン)か、と3とおりの経路があるが、まだほくほく線に乗ったことがないので、第1のルートにした。
 ほくほく線には以前特急「はくたか」が走っていたが、北陸新幹線開通とともにすっかりローカル線になってしまった。しかし、越後湯沢から日本海がわへのショートカットを目的としてつくられた線だけあって、いまでも高速運転だ。

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 十日町あたりの雪景。

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 越後湯沢で、新幹線にのりかえるついでに途中下車して、駅ビル « CoCoLo » の温泉にはいる。

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 かえりみちの新幹線で上州にさしかかると、「国境(くにざかい)の長いトンネルをぬけると、雪国であった」の逆で、なにやら夢がさめたようなこころもちになる。

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 きょう、最終日になってようやく、中学生の息子とふたりで、町田市民文学館でひらかれている « 八木重吉展 » を見にいってきた。
 はじまったころ(10月)からずっと行きたかったけれど、時間がつくれなかった。

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 八木重吉は町田出身の夭逝した詩人で、わたしは大学生のころに知り、それ以来ずっと好きだ。
 いま、手もとにある詩集をみると、1990年1月12日、土浦の白石書店で購入したものだった。

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 たとえば、

 夕ぐれ
 夏のしげみを ゆくひとこそ
 しづかなる しげみの
 はるかなる奥に フヱアリの 国をかんずる

 といった詩が有名だろうか。
 こどもたちは、NHKの番組 « にほんごであそぼ » で、うなりやベベンが詠唱する、つぎのような重吉の詩をそらんじていた(そういえば、うなりやベベンもちょうど1年まえに亡くなった)。

 こころよ
 では いつておいで

 しかし
 また もどつておいでね

 展覧会は、重吉の詩稿、書簡、写真、そして(じつは知らなかったが)絵画作品が展示されており、はじめてみるものも多かった。

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 重吉の筆跡の繊細さにも好感をもった。

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 重吉の詩はときに繊弱すぎると思われる (cf. http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-266.html ) が、この繊弱さは、かぎりないやさしさと別のことではない。
 また、現実に存在する「フヱアリの 国」ともういべき、多摩丘陵のやさしい自然のなかでこそ、つむぎ出すことのできた詩だという気がする。
 わたしは前任校勤務時代に相模原市から町田市に引っ越し、もう13年が経ったが、ときおりわたし自身もあるきまわっている、町田をとりまいている多摩丘陵の山々は、ほんとうに「やさしい自然」だと感じる。
 どれほど山奥に行っても遭難するような場所ではなく、ただただ、なだらかにうねっているだけだ。
 津波がおそって来る海からも、水害をひきおこす大河からも、土石流が起きる大きな山からも遠い、箱庭のような自然のなかでこそ、八木重吉のような純粋な精神がはぐくまれたのではなかろうか。

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 12月にはいってから、さっぱり « 日録 » を書けなかった。
 12月前半は、« フォト蔵 » のメンテナンスが長引き、投稿しようにも写真がアップロードできなかった。
 そしてあいにく、今週にはいってから体調をくずしてしまい、医薬に親しむ仕儀になってしまった。
 まだ体調は完全には本復しておらず、抗生薬をのみつづけているが、熱はさがっているので、ゆっくりとうごきはじめた。

 下に書くこともふくめ、いくつかの用件のため、今週末は大阪に帰っていた。
 リニューアルされた阪急百貨店本店の前。

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 きょうは午後、« 別館牡丹園 » で、高校時代に属していたあるグループのかたがた、総勢8名と中華料理をたべてきた。

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 きょう会ったひとのなかには、30年ぶりに再会するひともいた。
 明日の月曜からは、つくばでまったくの平常業務なので、17時ころに解散して、そのまま新大阪にゆき、新幹線で東京にもどってきた。
 ことしも « つくば光の森 » が点灯された。
 クリスマス直後に消灯するのではなく、公現祭 (Épiphanie) のころまでつづけるヨーロッパ方式で、わたしの個人的な趣味に合致している。

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 昨夜はつくばに前泊し、きょうは推薦入試の業務だった。
 2013年度に学類の入試実施副委員長、2014年度に同委員長を経験し、そのご褒美で2015年度は入試業務なし、ということで、3年間のブランクを経て現場に出たが、やはり(根が不まじめな人間のせいか)入試のはりつめた空気はにが手だ。

 きょういただいたメールで、「学会発表の準備でお忙しいところ...」と書かれていて、「はっ、準備せねば」と思い出した。われながら、なんといういいかげんさだろう。本番は12月10日。
 http://wjunya.blog39.fc2.com/blog-entry-415.html
 きょうは大学院説明会のしごとがあり、1年ぶりに茗荷谷へ。

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 筑波大学文京キャンパス。かつて筑波大学の前身の東京教育大学があったところだ。

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 人文社会科学研究科全体での説明会。60人くらいが来場してくださり、盛況だった。

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 文芸言語専攻の広報委員長として登壇し、(にが手な)パワーポイントをもちいて説明した。
 おわったあと、文芸言語専攻のうち言語学分野についてはわたしが質問に個別対応することとし、5人から質問をいただいた。文学分野については専攻長が対応くださり、3人から質問があった。
 さて、おおぜい受験してくださるとよいが、まずは1月...
 ことしはわたし(と、もと同級生)の高校卒業30周年のとしだ。
 9月には大阪で学年全体の大規模な同窓会があったが、黒歴史の多いわたしは欠席(うまいぐあいに科研費の打ち合わせもあったので、そちらを優先)。
 しかしその後、1年生のときにおなじクラスだったひとたちと自然に交流が復活し、メーリングリストで話すなどして、なつかしい思いをしていた。
 きょう(祝日)の午後、東京近辺に住んでいるひとだけ集まれないかと検討したところ、じつに9人が集まった。
 新宿のヴェネツィア料理店 « Il Bacaro » に正午にあつまり、4時間くらい、ワインをのみながら話した。

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 また、いかにも現代的なことだが、同時刻に大阪でもおなじクラスの同窓会をひらいており、Skype で大阪とのあいだをつないでお話しした。
 30年のときをへだてても、みんな面影はのこっており(ひとの面影は目とそのまわりに残りつづけると知った)、すぐにむかしの感覚で話すことができた。
 意味を知らなかったあだ名の命名理由をきょうはじめて知るなど、まるで高校時代のつづきをしたような気がした。
 おかげで、なにやら若返ったような気が...ゲホゲホ...あー、腰がいたい。
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 ひさしぶりに(とはわたしの主観的な尺度にすぎないが)午前の帰宅とあいなった。
 じつは、ことしの3月から1年間の予定でブザンソンのフランシュ=コンテ大学に留学中の院生のコードネーム「えるたそ~」さんが、ご家族の事情で急遽一時帰国しておられ、きょう、筑波までたずねてきてくださったのだ。
 6月に学会発表のためカーンに出張したとき、発表をききにブザンソンからカーンまで来てくださったことがあった(この日録でも言及ずみ:http://palantien.blog137.fc2.com/blog-entry-366.html )ので、それ以来5か月ぶりの再会ということになる。
 「えるたそ~」さんは、フランスの自由な空気がよほど肌にあったらしく、出発前の繊弱な印象はうすれ、心身ともに充実しているようにお見受けした。
 かねてよりお約束していた論文の相談ごとをしたあと、6月にカーンにごいっしょしたわたしの同僚と、哲学が専門の院生で、「えるたそ~」さんと学部生時代以来親しい、コードネーム「ざしきー」くんとわたしと4人で、大学近隣の酒肆 « くぼや » にゆき、ニホン酒の熱燗をあおり、酔っぱらった。寒い夜は熱燗が身にしみる。月曜のせいか、あるいはつめたい雨のせいか、店は終始貸し切り状態だった。

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 かえりみち、雨にすこしみぞれがまじっていたようだ。
 「えるたそ~」さんより、フランスでよく知られたサブレーをおみやげにいただいた。ありがとうございます。

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 関東の晩秋らしい乾燥した晴天で、うれしい。

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 近所の川には、年ぢゅういるカルガモにくわえて、マガモなど、渡り鳥もきていて、こどももいるので、にぎわっている。

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 フランス語学会の例会と、付随(寄生?)する研究会のため、早稲田大学へ。
 肉眼では向かいあわせに見えるように感じる東京スカイツリーが、写真では意外と存在感がない。ニンゲンの知覚はあてにならないということか。

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 おわったあと、5人ほどで、発表おつかれさま、そして来年度の予定決定おめでとう、などの名目で飲みにくりだす。
 神楽坂の毘沙門天にほどちかい « 食彩一番 » で、ビールをのみ、そのあと焼酎をのんで、たのしく話した。

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 5日、京都で研究会があったので、4日から6日まで関西に行っていた。
 あたらしくなった京都駅には、いつまで経っても慣れない。観光都市としての高名が世界中にとどろき、むかしとはくらべものにならない、おびただしい観光客がおしよせている。

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 研究会の会場は、京都駅からほど近い民間の会議室で、「ベーコンラボ」というところ。

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 「テクストと時間」と題した研究会で、正午から17時ころまで、わたしのものもふくめて4件の研究発表ののち、コメントの交換や質疑応答をした。たいへんみのりおおい会だった。
 おわったあとは、近隣の酒肆 « 酔心 » にゆき、ビールをのんできた。10年ぶりくらいでお話しする先生方もおられ、なつかしく、たのしい機会になった。

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 季節はずれの暑さ。東京の最高気温は25.7度。
 まいとしの恒例で、中央大学にゆき、ゲストスピーカーをつとめてきた。
 多摩センター経由。多摩ニュータウンはつくばと開発年代が近いせいか、雰囲気がとても似ている。多摩センター、つくばセンターという命名センスも同じだ。

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 多摩センターからはモノレールにのる。空中散歩のようで、ここちよい。

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 中央大学のキャンパスは空がひろく、筑波大学と似ている。

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 かんじんの仕事は例年以上にうまくゆき、重要な質問や有益なコメントをいただくことができた。
 祝日で、すこしばかり閑暇があったので、以前からずっと Twitter で作ろうと思っていたコルシカ語 bot を作りました。
 https://twitter.com/bot_di_u_corsu
 5時間に1度、コルシカ語の単語を日本語による語釈つきでつぶやきます。
 [後日追記] ツイート間隔を約3時間にあらためました。

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 2013年、コルシカ議会で、島内ではコルシカ語をフランス語とならぶ公用語として位置づける「併用公用語制」(cuufficialità) が定められましたが、これがフランス共和国憲法の規定に反するのではないかとの疑義が出されているため、その帰趨は予断をゆるしません。
 そこで最近、オベンキョーのため、昨年出た併用公用語制にかんする書物を入手しました。
 この書物(全篇コルシカ語書き)のおもしろいところは、前置詞 pè が pà になっていたり、svucalatura(非強勢音節での母音交替)がいっそう徹底されているなど、南部コルシカ語の特徴が鮮明で、わたしが知っているコルシカ語の変種とはかなりちがいますが、一定の対応関係があるので問題なくよめます。
 単一の標準語をもたず、各方言が対等の規範性をもってならびたっているという、「多規範的」(pulinòmicu)なコルシカ語のありかたに慣れると、「みんなちがって、みんないい」という気になります。
 考えてみれば、併用公用語制も結局、多規範性の延長線上にあると思います。EUで価値づけられている多言語主義・多文化主義にもつながる考えかたですね。

 Cuufficialità の著者、Colonna 氏出演動画:

 世間ではきょうから3連休のようだが、わたしはしごとのため、大妻女子大学の千代田キャンパスへ。

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 『構文と意味の拡がり』と題されたた研究会に参加し、発表もする。
 年末しめきり、来年発刊予定の同題の論文集の見とおしをつけるための研究会だが、発表者はわたしをいれて10人もいて、内容ゆたかで、学ぶことが多かった。
 ずいぶん前から交流しているかたがたが多いこともあり、たのしい機会になった。また、きょうはじめてお目にかかるかたがたとも、たのしく話した。
 おわったあとは、懇親会と称して近隣の酒肆 « 酒菜 あい田 » でおいしい料理をいただき、ビール、焼酎、日本酒を無秩序にのむ。

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 肥大化する官僚機構を表象するかのごとく、複雑きわまりない事務書類書きで、ここ数日ひどく疲弊しています。
 きょうはそれに追いうちをかけるように、まるで関西のつゆどきのような溽暑で、たえがたい気候でした。
 暑気払い、というわけではありませんが、半年に1回の恒例で、つくばの « Chez Lénon » に行き、クスクスをたべてきました。
 この店のクスクスは絶品で、パリで食べるよりおいしいです。チュニスの名店 « Dar Es-Saraya » に匹敵するおいしさで、記憶に深くきざまれます。
 赤かぶとサーモンの前菜も、デザートのもりあわせも、とてもおいしいです。
 « Chez Lénon » はちょうどきょう、現在地に移って7年目に入ったそうです。おめでとうございます。きょうも大繁昌でした。

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 きのうからきょうにかけて、長野に行っていました。

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 かねてより応援している銅版画家の小柳優衣さんの個展が、« ながの東急 » の別館でひらかれているので、それをみることが主目的でした。今回は約100作品という、見ごたえのある展覧会でした。

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 今回の個展を代表する新作「羊水」では、魚と花々が細密にえがかれ、新しい命をやわらかに見まもる思いをよく表現しておられるように思いました。こころに沁みるやさしさをたたえた作品です。
 先月も滋賀県まで展覧会を見にいきましたが、今回もうかがったので、小柳さんからは「大ファン」と認定していただけました(笑)。たとえていえば、最前列でオタ芸をおどっているレヴェルかもしれません。
 しかし、8月は論文書きで苦しんでいたときの気分転換、そして今回はその論文を脱稿したあと、安手のクリシェでいうところの、「がんばった自分へのご褒美」というような意味あいもありました。
 小柳さんには、かつて2度にわたってわたしの著書の表紙を(銅版画をあしらって)作っていただいたことがあり、わたしにとっては、研究の基底になる精神性や、ゆたかな着想をよびおこす手がかりのひとつになっていると思っております。

 昨夜は会場にいないといけない時間がおわってから、小柳さんといっしょに近隣の « Gatto » にゆき、はじめだけビール、のちにワインをのみながら夕食をたのしみました。赤かぶをつかった前菜や、かものローストがおいしかったです。

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 おもに « Musée du vin » の赤ワインをのみましたが、1杯だけ、« たかやしろワイナリー » の白ワインをのみました。なんと、« たかやしろワイナリー » は小柳さんのお友だちのご実家だそうです。芳烈な香りで、おいしいワインでした。

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 あいにくきのうは颱風16号の影響で、長野では朝から夕方まで、避難準備情報が出るほどの大雨でしたが、21時ころに « Gatto » を出るときには、雨はあがっていました(夜おそい時間ほど多く降るという予報だったので、徒歩10分くらいのホテルまでどうやって行くか、ひそかに心配していましたが)。

 きょうは天気がよく、しかし暑くはなかったので、だらだらと散歩をしてすごしてきました。

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 権堂のアーケード街はよい雰囲気で、近年とかく衰退しがちといわれる商店街とは一線を劃する例のように思いました。

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 地元のかたがたの推奨を小柳さんから伝えきいた « 藤の家 » で、昼食にざるそばをたべました。虚飾を排した簡素な店ですが、そばは絶品でした。さわやかで、すいすいとたべられます。

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 « ながの東急 » の地下で、戸隠の新そばを売っていたので、家族へのおみやげに買ってかえりました。
 しばらく、あいだがあいてしまいました。
 これには事情があり、ほんらいは8月末しめきりだった共著論文が、しめきりまでにできあがりませんでした。
 単著論文では、これまでしめきりを過ぎた経験はないのですが、今回は共著ということで、お相手の先生からのお話を待たずに独断で進められないという顧慮もありました。
 このため、論文集編者の先生に相談し、しめきりをのばしてもらいました。
 爾来、日々呻吟しつつ書きすすめておりましたが、ようやく、9月15日(木)になんとか脱稿しました。
 今回はいままでになく苦しい思いをしましたが、さいわい、新しい発見も多くありました。

 間髪おかず、つぎの論文書きにとりかからなければなりませんが、今度は単著なので気らくです。

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 きょうは日曜ですが、都内で研究打ち合わせ(謀議ともいう)があり、昼から出かけておりました。
 おわったあと、はじめていく « KITTE丸の内 » に移動。
 ここは、故鳩山邦夫氏が、「文化財を文化財でなくするのは、トキを焼き鳥にして食うようなものだ」と発言したことで有名になった施設です。
 旧来のたてものはとりこわされはしなかったけれど、高層棟を接ぎたされ、「トキにブロイラーをかけあわせたようなもの」になってしまいました。

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 郵便局のゆるキャラの巨大なくまのぬいぐるみが、吹き抜けに吊るされていました。

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 相談ごとがあったついでに、アラビア語学の榮谷さんとまちあわせて、« スーパードライ » でビールをのんできました。
 わたしはビールにはなにより爽涼さをもとめるほうなので、アサヒのビールをおいしく感じます。

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 あとは、最近買った本の紹介。
 『比較で読みとくスラヴ語のしくみ』。スラヴ諸語全般の見とおしが得られる、貴重な本です。
 もう1冊、『簡明ウズベク語文法』。「簡明」とはいえ、既存の文法書よりはくわしい知識がえられます。

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 きのう、軽井沢での研究会合宿が無事打ち上げられたあと、わたしは家にかえらずに、現地で家族と合流して、いっしょに万座温泉に行ってまいりました。
 昨年夏もほぼ同時期に行ったのですが、家族旅行の行き先としてははじめてのリピートです。

 軽井沢を出るとき、駅付近は濃い霧、いやむしろ、雲のなかだったというべきかもしれません。

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 万座温泉ゆきのバスにのり、熔岩がごつごつした鬼押出しを経由して、万座温泉にむかいます。

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 万座温泉は標高1800メートルとあって、軽井沢よりさらにすずしく、この温度計は17度をさしています。

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 泊まった宿も昨年夏とおなじ « 日進館 » で、種田山頭火もとまったことのある由緒のある宿です。

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 白濁系の濃厚な硫黄泉で、高地の涼しさとあいまって、たいへん爽快な温泉です。

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 夕食、朝食ともにビュッフェ形式で食べ放題なので、軽井沢につづいて鯨飲馬食してしまいました(なので、万座をはなれてからは節制にもどっております)。

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 宿のちかくに湯畑があり、まわりには硫化水素をふくむ湯気がながれているので、草がはえていません。水はみどり色です。

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 きょうは « 日進館 » をチェックアウトしたあと、草津温泉に寄ってきました。
 とちゅうに白根火山があるのですが、一昨年から噴火の警戒のため、火口付近は監視員以外駐停車禁止・下車禁止で、通過しかできません。夜間は通過さえ禁止されます。
 白根火山付近は濃い霧がたちこめていました。これも雲のなかというべきでしょう。

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 殺生河原でバスをおりて、写真をとりました。

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 殺生河原では、熔岩からたちあがる湯気の有毒ガスで、小鳥が死んでしまったことから、その名がついているそうです。
 草津について、有名な湯畑を見てきました。万座の湯畑の何十倍もあろうかという広々とした湯畑です。

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 この近くに源泉のある白旗の湯に入ってきました。

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 源泉に(ほんとうはだめなのですが)投げ込まれた多くの硬貨が、温泉の成分によって黒く溶けかかっています。

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 白旗の湯も万座とおなじく白濁系の濃厚な硫黄泉で、ここちよい温泉でした。
 「湯がとても熱い」という話をよくきくので(じっさい、浴場の入り口にも「源泉から近いので高温です」とのほこらしげな注意書きがありました)、熱い風呂がにが手なわたしは身がまえていたのですが、おそれていたほどではなく、3分くらい、全身でつかることができました。
 かえりは長野原草津口から吾妻(あがつま)線にのりました。

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 民主党政権時代、工事を中止するか否か二転三転した八ッ場ダムの建設地がちかく、吾妻線は水没する予定の低い位置から高い位置に線路がつけかえられました。つぎの写真では、新旧の線路が前方にみえます。

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